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未来について話そう

編集長通信 6/26 首相官邸前デモについて

R0010621.JPG 6月22日の首相官邸前の反原発/脱原発デモ。主催者発表では延べ4万5千人、警視庁の発表で1万1千人が集まりました。一部の方からは「後藤さんがデモに参加するなんて残念です」というような反応がツイッター上でありました。電力の安定供給に対する不安を理由に、現在行われているような即時停止を迫るような要求はおかしいのではないかという意見もありました。
 
 今回は、端的に、どうして今、デモが必要なのかについて書きたいと思います。
 
 大飯原子力発電所は国際原子力機関(IAEA)が定める5つの安全基準を3つしか満たしていません。例えば、免震施設、格納容器ベントフィルターなどの整備を待たずに再稼働するのです。避難計画の見直しやヨウ素剤の備蓄などもされておらず、福島県の事故を受けての対策がされているかも疑わしいと感じます。
 
 つまり、事故以前と同じ理屈、安全対策を軽視して「過酷事故は起きないだろう」という前提の元で原子炉を動かすことに、これだけ多くのひとが怒っているわけです。これでは、安全に対するルールがあっても、政府が動かすといえば動くということ。「ルールはありません」と言っているようなものです。今までデモに参加しなかったひとまでが怒っているのには、そういう理由があります。
 
 仮にも再稼働が必要であるならば、福島県で起きた事故の教訓を活かして、設備を整えた原発から再稼働すべきです。それについても、十分な検証と説明が必要だと思います。
 
R0010613.jpg そして、相変わらず「デモ=過激」、または「デモをするひとたちは考えが浅い」などという偏見があるので、ここに記します。現在の首相官邸前のデモには、様々な考え方のひとが参加しています。旗印は「脱原発/反原発」というシングルイシューではありますが、段階的に原発への依存度を減らすべきだというひとから、即時を求めるひとまで様々です。とても幅広いグラデーションで存在しています。(主催者のインタビューなども参考にして下さい。)この写真はデモが始まる直前の風景です。TOPの写真は私が仕事で離脱する前、18時半くらいの写真です。向きは反対ですが、どんどんと人が溢れていく様子が、2枚の写真の比較から感じられると思います。
 
 多くの参加者が感じているのは、今反対しなければ、段階的な脱原発もありえないのではないかという危惧です。事故の検証、再処理の問題、放射性廃棄物の最終処分場の問題、それを今までどおりどこかにしまいこんで、「経済」だけを旗印に使用していくのであれば、単純に福島県で起きた事故をなかったことにして、それ以前に戻ることと同じです。また新しい「安全神話」が立ち上がるだけです。
 
 右でも左でもなく、参加者の多くは、この国の将来を考えているのです。(ちなみに、ごく少数ですが、仮装してきてしまう変わったひともいます。)今、こんな大切なことがデタラメな手続きで行われていることについて、私たちが憤怒の念を示さなければ、全ては現状維持されてしまいます。そうやって、誰かが決めるのだと高みの見物と決め込んでいるうちに、こういう物言わぬ社会ができあがってしまったのです。
 
 僕のまわりでは、被災地のことを思ってデモには参加せず、震災からずっと物資を運び続けていたひとたちも列に加わりはじめています。
 
 煽りたいわけではありません。考えて欲しいと思っています。

 The Future Timesの制作を通じて学んだこと、それは肉体性を軽視してはならないということです。意識の中だけでは、社会は変わりません。町に出ることです。フィールドワークすることです。足を使い、身体を使うことはとても大切です。意見の表明の場合も同じです。1万人のインターネット署名とデモでは、情報の立体性と具体性の濃度に差があります。一人ひとりの行為の貴賎ではなくて、それを感じる側の受け取り方としての話です。

 何を目的として、何を行うかはひとそれぞれでしょう。それでも、法を破らずに行われる意見の主張が、当たり前の世の中になることを願います。そして、望みます。もちろん、デモに対する反対意見もあって然るべきだと思います。

 ただし、現在の僕には、ここで押し黙る理由が見当たりません。

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2012年06月26日