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未来について話そう

THE FUTURE TIMES 4号の配布がスタートしました!!


tft4.JPG THE FUTURE TIMES 4号の配布がスタートしました。配布先については、こちらのリストを確認して下さい。無料です。

 この新聞がどうして紙なのか、ということを色々な場所で訊かれます。もちろん、web版だけではないことには意味があります。

 例えば、TwitterでもFacebookでも、その他のSNSでも、同じような考えや興味を持つ人たちが交流しやすいという反面、それがタコ壷化、つまり似たような人ばかりが集まってしまうということが起こります。だから、例えばいろいろな問題が話題になっているようにSNSのタイムライン上で見えても、別のコミュニティでは知っている人が少ないなんてことが起こります。

 紙に刷ることの強さは、全く関係のないところで新しい出会いや交流を獲得できる可能性がwebとは別のかたちであるというところです。例えば、時事ネタを拾おうと思って買った雑誌には、自分にとってどうでもいい情報もたくさん載っています。そんな情報の中から、人生を変えるような映画に出会うかもしれない、というのが雑誌の魅力でもあります。でも、このような出会いは、ネット上で全く起こらないとは言い切れないですよね。

 ではもう一歩、紙の魅力とは何か。

 それは、例えば、このTHE FUTURE TIMESを誰かがどこかの喫茶店に忘れることから起こります。或いは、忘れる場所が会社の食堂でも構いません。実家の食卓の上でもいいのです。そうすると、THE FUTURE TIMESをもらってきた本人以外の誰かが読むかもしれない、というチャンスが発生します。これは紙ならではの出会いです。置き忘れることができる肉体があるからこそ得られる機会です。また、上書きされたり、流れてしまったりしませんから、その紙の上でゆっくりと情報が発熱します。急激な盛り上がりを作ることは難しいかもしれませんが、ゆっくりと、確かな温度が持続します。誰かが紙面を開く度に、その熱は立ち現れます。

 実際に僕は、とある町の年配の林業家の方に話しかけられて、THE FUTURE TIMESの住田町の記事を読んでペレットストーブについて視察に行くのだという話を伺ったことがあります。こういう交流/対流は紙ならではのものだと、感動したことを覚えています。

 情報に身体が、肉体があるということの意味、紙に書き付けられていることの強さ、それについては常々考えています。これは音楽とCDやレコード、ネット配信について考えることに似ていますから、ミュージシャンとして、とても勉強になります。

 僕の尊敬する思想家・作家の佐々木中さんはこのような単文を以前にツイートしていたそうです(ある編集者の方からお教えいただきました)。感銘を受けた言葉ですので、ここに引用します。

「史実。紙の本は戦争に強い。塹壕のなかでも列車来ぬ待ち時間でも配給待つ長蛇の列にあっても電源なしに読める。夜でも蝋燭一本で。両大戦中再読に耐え検閲官が理解できぬ高踏な良書は売れている。どんな大空襲でも完全消失した本は無い」

 とても心強い言葉です。

 大分、話が逸れました。

 皆様、THE FUTURE TIMES、是非手に取って下さい。僕らが足で集めた情報です。町に、その足で取りに出掛けて下さい。そして、いろいろな場所に置き忘れて下さい。この狭いコミュニティから、もっと大きな場所に解き放ってあげて下さい。パブリックスペースに展示して、皆で回し読みして下さい。そうやって、予期せぬ出会いがたくさんあったら、本当に嬉しいです。

 想いや気持ち、感情を肉体化させること。可視化させること。それはやっぱり、ちゃんと伝わります。別に紙じゃなくたって、想いや気持ち、感情や情報が肉体化されているものが身近にあります。それは人間です(だから、デモは意味があると僕は考えます)。

 この新聞がどうして一切の広告を取らずに無料なのかは、また今度話します。

 ではでは、THE FUTURE TIMES 4号。よろしくお願いします。


 
2012年12月12日

THE FUTURE TIMES 第4号について


 THE FUTURE TIMES 第4号が完成しました。

TFT04_hyo1.jpg 表紙は『NARUTO -ナルト- 』の岸本斉史さんが描いて下さいました。縁側から覗いた家族の、団らんのひととき。何気ないひとコマですが、とても温かい感触に溢れています。

 インタビュー記事には、最新作『希望の国』が話題の園子温監督、作家の乙武洋匡さん、女優の松田美由紀さん、コミュニティデザイナーの山崎亮さんが登場。それぞれの想い描く “未来” について語っていただきました。

 エネルギーの記事では、いとうせいこうさんと山口県熊毛郡上関町祝島を訪ねました。島の対岸に予定された上関原子力発電所と、その建設に反対するデモ。デモはなんと30年も続いています。豊かな島の自然と人々の暮らしを見学しながら、デモの話だけではなくて、様々な話題について、せいこうさんと対話しました。対談の全文は後日、web版としてもアップします。

 また、第4号の紙面にはアナログフィッシュの楽曲『抱きしめて』のフリーダウンロードコードを添付しました。今を生きる僕たちに必要なフィーリングを有した素晴らしい楽曲ですので、是非ダウンロードして聴いてみて下さい。


 そして、今号の特集記事は『それぞれのふるさと』と題して、福島第一原子力発電所にほど近い福島県の地域を訪ねました。震災直後から現在も南相馬市で捜索活動を続ける消防団『福興浜団』のフォトジャーナリスト・渋谷敦志によるドキュメント、誘致の声によって完成した子供たちのための室内公園『ふくしまインドアパーク 南相馬』、川内村村長・遠藤雄幸さんの『帰村宣言』にかける想い、20km圏内の富岡町を故郷に持つミュージシャン・渡辺俊美さんのインタビュー、この4本の記事を掲載します。

 僕たちは、原発事故以降、様々な分断の中を生きています。例えば、放射能のリスクに対して、避難する人、しない人。行為にだけ注目すれば結果はふたつしかありませんが、人の数だけ、それぞれの選択があり、それぞれの “理由” があります。それでも巷には、マルバツクイズのようにふたつに分けて、お互いに厳しい言葉を投げ合うような風潮があります。

 こういった分断には、想像力を持って抗わなければなりません。身体性を全く伴わない空想のことを “想像力” と呼ぶことはできないと思います。人の声に耳を傾けること。それぞれの立場や理由を知ろうとすること。そして思いやること。思い合うこと。それが本当の意味での “想像力” ではないでしょうか。

 分かりやすい旗印となる言葉のもとに、人々をひとつのイメージのもとにまとめて語るのには無理があります。一方的に行われるイメージの単純化は、それは人間それぞれの顔を奪うような行為です。相手がのっぺらぼうであれば、その無機質さや匿名性に向かってどんな乱暴な言葉でも吐き出せてしまいます(もっとも、それを乱暴だとすら思っていないことがほとんどですが)。そして、その言葉は更なる軋轢と分断を生み出します。

 震災から1年と9ヶ月。

 僕らが本当に考えなければいけないこととは何か。この分断の元凶とはなんだったのか。紙面にはそれを直接書きつけてはいません。ですが、それを考えるきっかけとして、THE FUTURE TIMESが存在してくれたら嬉しいです。

 第4号が皆様に届く、そのときを願っています。

 WEB版も随時更新していきますので、よろしくお願いします。
2012年12月03日