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続々・あっちこっちと未来  | 森林から都市を眺める

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「あっちこっちと未来」 ■「祝島、1148度目の祈り」 ■「続・あっちこっちと未来」

世界有数の森林大国である日本は、国土の約7割が森に覆われている。
だが、その森林資源のほとんどは、手をつけられずに眠った状態のままだ。
西粟倉、飛騨、奥多摩……それぞれの森から“分散型社会”のあり方を展望する。

取材・文:水野光博/撮影:高橋定敬/写真提供:『トビムシ』

それぞれの土地にそれぞれの解決法がある

後藤「この号のテーマは、『暮らし方で社会を変える』にしようと思っていて。そんなとき、“日本の森林をフィールドにすごくおもしろい活動をしている人がいるよ”と、せいこうさんから竹本さんをご推薦いただいたんです」

竹本「ありがとうございます。どんな鼎談になるのか、僕も今日は楽しみにしてきました」

いとう「竹本さんと最初に会ったのはいつだっけ!? 確か、東京都が主催する林業のイベントだったよね。パネリストの林業家はみんな“俺たちの時代は終わった”とでも言わんばかりに、ドヨーンとした空気だったんだけど、そこでひとり気を吐いてたのが竹本さんで(笑)。今日これから話してもらう『トビムシ』のプロジェクトのことを熱く語ってたんだよね。で、僕はすごく興味を持ったんで、すぐに声をかけて」

竹本「そうでしたね。私はもともと環境法政策や環境ビジネスに携わってきたんですけど、そのなかで“持続可能な社会ってなんだろう?”ってことを考えるようになったんです。同時に、それを実現するにはエネルギーや食料の問題に直接関わってくる、地域の森林資源をどう活かせるかがポイントなんじゃないかと思うようになって。それで5年前に『トビムシ』を立ち上げたんです。設立当初は西粟倉村(岡山県)で、最近では、奥多摩(東京都)や飛騨(岐阜県)で森林を再生させるためのプロジェクトを展開させています」

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岡山県にある人口1600人の山村、西粟倉村。面積の8割が人工林で覆われている。ファンド出資者を招いたツアーが定期的に組まれる。

後藤「飛騨は僕も、せいこうさんに勧められて、いろいろ見てきたんですが、すごくおもしろいところですよね」

竹本「そうですね。あっ、でも“飛騨”ってひと口に言っても、実はすごく広い地域のことを指すんですよ。飛騨古川と飛騨高山では、それぞれ特色がだいぶ違ってきますし」

後藤「そうなんですか?」

竹本「かなり違いますね。たとえば森林の構成を見ても、古川は広葉樹が8割以上、高山は針葉樹が半分以上だったり。ほかにも、ちょうど分水嶺になるので、古川は日本海を、高山は太平洋を向いているなど、流域文化圏が違ったりするんですよ。だから“飛騨の森林をうまく活用しよう”となったときの対処法も、高山と古川でおのずと変わってくるはずなんです」

後藤「なるほど」

いとう「僕が『トビムシ』をおもしろいと思っているのは、まさにそういう部分で。“同じ方法論を当てはめない”ってことなんですよ。実際にその土地に入って生活しながら――どういう文化があって、どういう交通網があって、どういう資本があって――というようなことをきちんと把握したうえで、じゃあ、高山の森林資源を活かすには、こんなソリューションがあるんじゃないかって導き出していく。要するに、一個、一個、別々のモデルケースを作ってくんだよね」

後藤「分散型解決っていうことですね」

いとう「そう。日本のどこかで起きてる問題に対してひと括りに“こんな解決法があります”って提案しても、地域ごとに条件が違うから、“うちには川がない”“こっちは担い手がいない”ってなっちゃう。そうじゃなくて、“それぞれの土地に、それぞれの解決法があります”って提案するのが竹本さんのスタンスで」

竹本「特に平成の大合併以降の市町村の区分けって、もう完全にその地域の顔を見えなくしちゃってるんです。同じ市町村の中でも、文化圏が違うなんてざらなんで、一体感を醸成するって難しいんですよ。とても地名でひとくくりにすることはできない。実際に社員がその地に暮らすなどしないと実際的なアプローチなんてとても見つからないです」

いとう「なるほどね。最初に手掛けたのは、西粟倉だったよね?」

竹本「そうですね。西粟倉には、他の中山間地域同様、そのほとんどが森林で、林道も通っているんですけど、国内の多くの森林と同様、所有者がバラバラ、林業に従事する人もいなければ、重機の導入も遅れていて、林業がなかなかうまく機能していなかったんです」

いとう「日本の山は権利者によって無数に分割されちゃってるんだよね。だから、ひとつの山をどうにかしようとしたとき、合意形成が難しい。しかも、山主は高齢者が多いし、都会に住んでいて山に興味がない人や、よくわかんないから触んないでくれって人もいる。自分が山を所有してることさえ知らない人も多くてね」

後藤「それは、なんか歯がゆいですね」

いとう「そこで竹本さんはまず、個人所有の森林を10年間村役場で預かって一括で管理しますっていう仕組みを考えたんだよね。そのうえで、森から出てくる木材を効率的に切り出して販売するなどして、林業でも経済的に回り得るファンド(『共有の森ファンド』)を作って。で、出資者を募ったら、ものすごい集まったんだよ」

後藤「なるほど」

いとう「集まったお金で間伐をして、その状態をホームページでモニタリングできるようにしたり、西粟倉にいない出資者をツアーで呼んで、山で採れたものを食べてもらったりすることによって、“ここは自分たちの山だ”っていう当事者意識を醸成してね。つまり、ファンドの活動を通して、その山が活性化すればするほど、出資者も喜ぶっていうシステムになってると」

後藤「素晴らしいアイデアですね」

竹本「もともとは500人強の山主がバラバラに所有していた山で、1500haをまとめる計画でスタートしたんです。最初に任せられたのは200haほどだったんですが、丁寧に利益をお返しするなかで実績を作って、現在、1100haを超えるところまできています。とはいえ、まだまだ理解が行き届いていない部分もあって」

いとう「そうなの?」

竹本「たとえば、ファンドのお金で1000万円以上する間伐用の重機を買ったんですね。ところが、出資者に報告すると、“なんで私たちのお金で、森を伐採する機械なんかを買うんですか?”ってドン引きされたりして(笑)」

いとう「それは“木を切る”ってことの意味をわかってないってことだよね?」

竹本「そうなんです。“森を守る=植林”だって思い込まれてる方が多くて」

いとう「根強くあるからね、『植林幻想』っていうのが。たとえばどっかの地方で“森林保全のために予算が下りたけど、どうする?”ってなったら、みんな植林しちゃうんだよ。でも、すでにぎっしり生えてるところに植林したって、世話する人がいなきゃ意味がないんだよね」

竹本「植えっぱなしっていうのは、森にとって逆効果なんですよね。育ちの悪い木ばかりが密集しちゃう状態になりかねないので」

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間伐が行き届いた西粟倉村の針葉樹林の様子。木々に適度な間隔が空き、日光が射し込む。

後藤「確かに森の中にちょっと足を踏み入れると、日光が入らず真っ暗で、ヒョロヒョロの木が生い茂ってるような光景をよく見かけますね」

いとう「森を生き返らせるためには、最初にきちんと間伐して、日の光を入れなきゃね」

竹本「ちなみに、これは間伐が行き届いた、西粟倉の森(次項の写真参照)なんですけど――」

後藤「幹のしっかりした木ばかりですね」

いとう「写真を見ただけでも、空気がよさそうな感じがするよね」

竹本「針葉樹の森でも土がフカフカになるくらい日光が射し込んでいて。結果、広葉樹も自生したり、多様性も育まれています。この前、この森で友人のバイオリニストが演奏したら、たくさん鳥が集まって来て。演奏中は一緒にさえずって、終わったら帰っていったんです」

いとう「すごい! トトロの世界だね(笑)」

竹本「僕も驚きました。ただこれも林業の営みが続いているからこその風景なんです。同じ西粟倉エリアでも、手が入ってないせいで、暗くジメッとした状態のままの森ってたくさんあるので」

後藤「山主の意識次第で、全然違ってくるということですね」

いとう「そうなんだよね。手入れしないからほこりを被っちゃってるけど、研磨したら森林はものすごい資源なんだよってことに早く気づかなきゃダメだよね」

竹本「だから、我々の仕事は、営みが途絶えた森を預かって再生させることなんです」

いとう「そうか。森ならなんでもいいわけではなくて、重病人を引き受けてるわけだ」

竹本「そうなんです。すでに健康な森は、我々を頼ってくれなくても大丈夫なので」

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いとうせいこう

いとうせいこう

1961年生まれ、東京都出身。作家、クリエイター。小説、音楽、映像、舞台など幅広い表現活動を展開。2013年、『想像ラジオ』が第35回野間文芸新人賞を受賞した。日本のヒップホップのオリジネイターでもあり80年代にはラッパーとして活動。また、台東区『したまちコメディ映画祭in台東』総合プロデューサーも務める。本紙5号では祝島(山口県熊毛郡上関町)を訪れ、島民が約30年間続ける原発建設反対デモを取材、レポートした。


竹本吉輝(たけもと・よしてる)

竹本 吉輝

1971年生まれ、神奈川県出身。株式会社トビムシ代表取締役。外資系会計事務所、環境コンサルティング会社を設立等を経て現職。専門は環境法で、環境ビジネスにも多数関わる。2009年にトビムシを設立し、2010年にはワリバシカンパニー株式会社の設立にも参画。トビムシの活動内容はオフィシャルサイトで。(http://www.tobimushi.co.jp/