HOME < やっとここまで来れた〜福島県双葉郡富岡町〜

やっとここまで来れた〜福島県双葉郡富岡町〜

東日本大震災から3年が経過した今、被災地の状況はどのように変化してきたのでしょうか。2年前にもインタビューさせていただいた、『富岡インサイド』を運営する平山勉さんに双葉郡富岡町を案内していただき、町の現状とこれからについて、じっくりと伺いました。

取材・文:西山武志/撮影:栗原大輔

■前回のインタビュー記事はこちら→「Connecting the dots 福島からの言葉 vol 1.5」

“帰るか/帰らないか”の選択をする岐路に立っている

img001

震災当時から止まったままの常磐線富岡駅

後藤「今号のテーマは『3年目の現在地』ということで、全域とはいきませんが、福島・岩手・宮城の各地の“今”を誠実に伝えていきたいなと思っています。今日見せていただいた場所だと、いわき市内は以前に来たときより道路も建物もキレイになっていて、着実に復興が進んでいることが感じられたんですね。それだけに、被災当初の面影を色濃く残している富岡町の現状は強烈に目に焼きつきました」

平山「確かに場所によって復興の進度には差があるけども、自分の中では3年が経ってようやく、はっきりと今後の方向性が見えてきたような気がしてるんだ」

後藤「どういう方向性ですか?」

平山「居住制限区域(※1)までの除染の計画も発表されたし、イチエフ(福島第一原子力発電所の通称)近辺の土地を国が買い上げるって話も出てきた。避難している住民が“帰るか/帰らないか”の選択をする材料がそろってきたんだよね。その数が見えてくれば、自ずと町の未来も具体的に考えられるようになるから」

後藤「昨年(2013年)末に町役場から発行された『富岡町復興まちづくり計画』(※2)を読んだんですが、住民アンケートで“富岡には帰らない”と答えている30代の割合が想像以上に多くて驚きました。あれは子育て世代ってことなんですかね?」

平山「恐らくそうだね。この辺に避難してきてる20代から40代だと、イチエフやニエフ(福島第二原子力発電所の通称)やそれらの関連企業で働いてる人も多い。彼らのほとんどはいわきの借上げや仮設住宅などに住んでいて、今でもそこから仕事先に通ってる。“帰らない”ってことは、子供の問題や生活環境の利便性なども大きく影響してると思う」

後藤「いわきが暮らしやすいってことですよね。川内村(※3)の村長も『一度郡山のように開けた街に住んでしまうと、元いた場所に戻りにくくなるだろう』っておっしゃっていました」

平山「広野町(※4)の帰還が進まないのも同じ理由だよ。やっと子供が避難先の学校に慣れてきたタイミングで、わざわざリスクの残っている場所に帰るか……って考えたら、気が進まないのは致し方ないことだよね」

フレコンバッグの山が物語る現状

img001

町営野球場に積まれたフレコンバッグ(除染廃棄物用容器)

img001

バリケードの奥は『帰還困難区域』。
立ち入りが制限されている

img001

富岡第二中学校の校庭に詰まれた除染廃棄物

img001

富岡駅周辺では、津波の爪痕がそのままに残っていた

後藤「案内していただいたなかでは、夜ノ森駅周辺のバリケード(※5)が非常に印象的でした。見た目では何も違いのないのに、目の前が“帰還困難区域”で立入禁止になっているのは、心をえぐられましたね。それと、海岸沿いに打ち上げられたままの漁船や瓦礫、どんどん積まれていく除染作業で出た除染廃棄物とか……ああいう現状は、もっと広く多くの人に知ってほしいです」

平山「確かに外から来て、あの仮置場のフレコンバッグの山を見ると悲惨なイメージが残るよね。けど、地元の人間からすると『あ、やっとここまで来たんじゃないか』って感じるんだよ。“警戒区域”が再編されるまでは、一般の人は町にはほとんど入れなかったわけで。他にも『あの道路の亀裂が埋められた』とか『あのガソリンスタンドが営業再開した』とかさ。そういうことを見たり聞いたりすると、少しずつだけど復興に向けて進んでいる実感がわくの」

後藤「なるほど。1年前は、廃棄物の仮置場すら十分になかったんですもんね」

平山「そうそう。ここ1年くらいで楢葉町(※6)の大規模な仮置場の整備も進んだし、これから富岡の仮置場も急ピッチで増設されていくよ。もちろん、あくまで仮置場だから次のステップについても考えなきゃいけないけど」

後藤「中間貯蔵施設の建設場所の問題ですよね。地元の方々は、自分たちの町にそういった施設ができる可能性について、どのように思っているんでしょうか?」

平山「それも意見が分かれるんだよ。例えば、同じ大熊町(※7)の住人でも『大熊はもう住めないから、どうぞ作ってください』と賛成する人もいれば、『そんなものを作ったら一生帰れないじゃないか』と反対する人もいる。かといって先延ばしできる問題でもないから、どっかで踏ん切りをつけなきゃいけない。そう言った意味で、『イチエフ周辺何km圏内を国が買い上げる』というのは、ひとつの方法論としてアリかなと」

後藤「そうですね。手放しでいい案だとは言えないですけれど……。このまま場所を決められずにいたら、避難している皆さんも“帰るか/帰らないか”の決断ができなくなってしまう」

平山「最初からそれしかないと思ってる。これは浜通りだけではなくて中通り、ひいては福島県全体の問題だしね」

後藤「むしろ、もっと広く、関東一円で考えるべき問題だと思うんですよね。東京の人たちが原発に対して、今何を思っているのかは正直よくわからないんですけど、僕は『他人事じゃないんだよ』っていう気持ちがあるんです。『福島で発電された電気を一番使っていたのは自分たちなんだよ』って。“中間貯蔵”って言っても、恐らくかなり長い年月そこに置かれるのは容易に想像できますし」

平山「半永久的に置くことになるだろうね。他に持っていく場所なんてないから。そもそも、元から使用済み核燃料の廃棄場所がはっきり決まっていれば、中間貯蔵の場所だってそこでよかったわけで。それすら決められていないのに、今までよく原発を稼働してたよね」

後藤「そうですよね。ただ、やっぱり感情論が入ってくると難しいというか……身近なところで言えば、火葬場とかゴミ焼却場の建設なども、似たような問題だと思うんです。必要な施設なんだけれども、建てるのが難しい。自分の家の近くにあったら、あまりいい気分ではないですから」

平山「どっかで感情論に歯止めをかけないといけなくて、そのためには誰かが悪者になる覚悟でやらないと」

“どうしようもない現実”を受け止め、それでもできることを考える

img007

後藤「復興の進行具合は地域によってかなり差が出ているように感じるのですが、一方で町同士の協力体制は整ってきたんでしょうか?」

平山「住民レベルでは少しずつ繋がってきてる気がするよ。自分も2年前に後藤君にインタビューしてもらった後から、すごくネットワークが広がったんだよね。地元の人たちとも、外から来た人たちとも話す機会は増えた。だけど行政レベルでは、あまり連携はとれていないように感じる。ボランティアの対応ひとつ取っても、町によって全く扱いが違ったりするし。“例外”が通らないんだよね、こんな例外だらけの状況の中にいるのにさ」

後藤「確かに、例外だらけですよね」

平山「その中でも富岡町は“お役所町”って言われるくらい保守的な町で。原発の恩恵を受けすぎていて、自分たちで積極的に何かを変えようとか、動かしていこうっていう姿勢が薄いんだよ。あと、これは富岡だけに限らないけれど、これまで原発の恩恵を守ろうとして合併しないできたことも、周りの町との連携の取りづらさに繋がっていると思う」

後藤「僕もいろいろな場所でお話を聞いてきましたけど、どこに行っても“役所・公務員の柔軟性のなさ”への不満は耳にしました。“お役所的”というのはいい面も悪い面もあるだろうから、一概に批判できないとは思います。ただ、その“お役所”を作る人たちは、自分たちで選んでいる部分もあるんですよね。自治体の首長が優秀だと、そこの職員の対応も的確だったりして。自分が住んでいる町の選挙も大事に考えなければいけないんだな、と反省しました」

平山「そうだね。決定権を持つ人が迅速に判断できていると、組織としてうまくまわっていける。そういう人が周りの様子を気にしすぎて、判断を下すことに臆病になっちゃってるケースが多いんだよ。何か問題があったら困るとか、誰も責任を取りたくないという感じで。むしろ上に立つ人間に、『責任は自分が取るからどんどんやれ!』っていう人が出てきてほしい。これまで誰も体験したことのない事態だから、仕方ないかなとも思うんだけど」

img008

後藤「責任の所在が不明確で、問題が起きても誰が悪いのかわからない……そういう構造が震災をきっかけに各所であらわになりましたよね。中央に大きな空洞があるように感じます。今日、富岡町の様子を見せていただいて『これは、自分の力ではどうにもしてあげられない』って痛烈に感じたんです。うまく言葉にならないんですが、誰かに何とかしてほしいというか……」

平山「そうそう、個人や小さな共同体ではどうしようもない問題が山ほどあるんだ。だからこそ“どうしようもない現実”っていうのを前提として受け入れて、『それでもできることはあるだろう』って探していかなきゃならないんだよ、自治体も東電も、もちろん地元の人間たちも。自分の場合は『富岡に戻る』って決めてる人間だから、それなりの覚悟を持って色んなことに迷いなく取り組めてる。何十年かかってでも、富岡を住める場所に戻そうってね」

後藤「本当にタフさが必要ですよね。瓦礫の撤去などの目に見える問題もそうですが、それ以上に目に見えない放射線の問題もあります。夜ノ森では、バリケードの向こうに新築の家なんかも見えてましたよね。抜け殻みたいな住居を見て、『なるべく早く、ここに人が戻れるといいな』と、切実に感じました」

cover

(※1)帰還困難区域

2012年4月より、それまで福島第一原発の周辺で設定されていた『警戒区域』『計画的避難区域』は、『避難指示解除準備区域』『居住制限区域』『帰還困難区域』への再編が開始された。『帰還困難区域』は長期間にかけて放射線量が高いと策定されたエリアで、原則として立ち入りが認められていない。一方、『避難指示解除準備区域』と『居住制限区域』については、一時帰宅や限定的な店舗営業などが認められるようになった。

(※2)『富岡町復興まちづくり計画』

ここで発表された住民意向調査の結果では、「現時点で(富岡町に)戻りたいと考えている」が12.0%、「現時点でまだ判断がつかない」が35.3%、「現時点で戻らないと決めている」が46.2%となっている(調査実施期間は2013年8月5日~19日、回答率は全町民の54.1%)。

(※3)川内村

福島県双葉郡の村。富岡町の西側に隣接する。2011年3月17日以降、仮役場を郡山市にある施設に置いていたが、住民の帰還を促すため、2012年4月より役場機能を村に戻している。
関連リンク:「郷里を取り戻すために」

(※4)広野町

福島県双葉郡の町。富岡町の南に位置し、いわき市に隣接する。2011年4月15日以降、役場機能をいわき市内の施設に移転していた。川内村と同じく、住民の帰還を促すために2012年3月1日より役場機能を元の広野町役場に戻した。

(※5)夜ノ森駅周辺のバリケード

富岡町と大熊町の境に位置するJR常磐線・夜ノ森駅周辺は『居住制限区域』と『帰還困難区域』の境目があり、そこにはバリケードが張られている。

(※6)楢葉町

福島県双葉郡の町。北は富岡町、西は川内村、南は広野町といわき市とそれぞれ接している。『避難指示解除準備区域』に設定されている。

(※7)大熊町

福島県双葉郡の町。富岡町の北側に隣接し、村内に福島第一原子力発電所の1号機から4号機を有する。町の96%が『帰還困難区域』に設定されている(2014年4月時点)。