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編集長通信 9/1 "浜岡見学記 後編"


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hm12_2.JPG 浜岡原子力発電所のある御前崎市は、人口3万5000人くらいの小さな町です。小さな町ではありますが、発電所にかかる固定資産税や核燃料税、交付金によって静岡県でも最も財政状況の良い町のひとつとなっています。事故があった場合のリスクということの一点で考えれば、近隣の市町村も同じですが、実際に立地している市町村だけが財政の面では飛び抜けて潤っているという現実。御前崎市のことを悪くは思いませんが、複雑な気分になります。

  海から観る浜岡発電所。立ち入り禁止の看板の向こうには排水口があります。

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 地元のサーファーの話によると、このあたりは排水口から流れる温水によって、冬場でもかなり水温が高いとのこと。それによって魚が集まり、大きなロウニンアジが釣れたり、サメが出没したりするのだそう。“シャーク”というサーフスポット名が付けられているという話も聞きました。

 また、この温かい排水を利用して、御前崎市ではクエの養殖も行われていました。地元の市場で食べることが出来ます。残念ながら、この日は時間がなくて食べられませんでしたが、なかなか強かな利用方法だなと感心しました。

hm14.jpg 原子力発電所付近の海辺は、かなり高い堤防が造られていました。高さにすると10メートルはあるでしょうか。建物の3階分くらいはあるように感じました。とても大きい。ただし、陸前高田や気仙沼、多くの三陸の町を襲った巨大津波のことを考えると、怖いようにも思います。ただ、津波に免疫のない静岡県民から思えば、十分に立派な堤防に見えました。


hm12.jpg それでもこの図説を見ると不安にならざるを得ないですよね。どう見ても震源域のど真ん中であることは間違いありません。“どうしてこんな場所に造ったんだろう” これは誰しもが抱く疑問のひとつだと思います。

 静岡県民のひとりとしては、小さい頃から繰り返し東海地震の危険性は学校でも家庭でも話題にのぼることなので、生まれたときには既にあった原発の耐震性については、“そんなもの大丈夫に決まっている”と考えもせずに受け入れていたフシがあると思います。このあたりは反省しなければならないですね。津波での被害も恐ろしいですが、真下で地震が発生する可能性がある場所に立地しているということ、これはどう考えても恐ろしいことだと思います。

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hm16.jpg 剥き出しの防波堤の奥に見えるのは取水口です。船のような、灯台のような物体が5体見えますよね。あそこから取水して、前編で紹介した復水器に水が送られています。案外、小さいことに驚きました。

 取水口が津波で壊れるということはないのでしょうか。近隣はビニールハウスなども多く、津波で流出したビニールや資材が詰まるということがあっても怖い。ちなみに、この取水口、大量のクラゲによって取水できなくなった過去があります。現在はクラゲの対策は施されたとのことですが、笑えない話ですよね。

 これが、私の地元から車で30分くらいのところにある浜岡原子力発電所です。首都圏からでも、名古屋あたりからでも、比較的見学しやすい原子力発電所だと思います。興味がある方は、観光がてらに見学してみてはどうでしょうか? どのような場所に原子力発電所があるのか、見ておくのも良いと思います。恩恵とリスクの両方を一身に背負っている町です。そして、一番潤っているのは誰なのか、よく考えてみる必要があると思います。事故を起こした会社が潰れていないこと、これはとても重要な事実です。そして、一番大きな代償を支払ったのは誰なのか。胸が痛みます。

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 故郷を離れなければならなくなってしまったひとたちの心情を簡単に想像することは出来ません。そして、もともとはそこに存在しなかった放射性物質に怯えながら生きて行くことを余儀なくされたひとたちも沢山居ます。首都圏も例外ではありません。セシウムは静岡県中部のあたりまで降り注ぎました。

 もし仮に、浜岡原発に何かがあった場合、僕はどうするだろう。両親を故郷から連れ出すことは無理だと思います。彼らは、この場所で最期まで生活することを選ぶでしょう。友人たちや親戚はどうするのか。弟や妹はどうするのか。考えただけで途方に暮れてしまいます。

 そういう想像力を、面倒くさいという言葉と引き換えに心のどこかにしまい込んで、平然と暮らしていくことが怖いです。あるいは“経済”という、神様みたいに扱われる言葉の前で、飲み込んでしまわないといけない問題なのか。少なくとも僕は、無関心ではいられません。

 他人事なのだという感覚を排していくこと。実際に現地に行くのは、実感するためです。完全なる当事者にはなれないかもしれないけれど、物事と自分の距離を知ること、考えること。それは頭の中に地図を作るという行為だと僕は思います。無関係なことではないということを知るためには、体を動かすことがときには必要なのだと、強く感じます。
2011年09月01日