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未来について話そう

編集長通信 5/6


 2012年の5月5日、北海道電力の泊原子力発電所3号機が定期検査に入り、国内に50基ある原子炉は全て停止した状態になりました。この事実を喜ぶべきかどうかは難しいところだと思います。けれども、この初夏の時点においては、原子力発電所が一基も稼働していなくとも、私たちの生活が成り立っていることだけは事実となりました。ただし、燃料の調達費など、電力会社が抱えている当座のコスト問題は度外視してのことですが。もっとも、原子力発電を維持した場合の、廃炉や放射性廃棄物の処理に関するコストの問題も、ずっと無視されてきたのですけれど。


501.jpg 4月の29日、私は『TWIT NO NUKES』というデモに参加しました。このデモはツイッターで集まった個人の有志たちで運営されています。つまり、特定の団体が営利目的でやっているわけではないということ。誰でも参加できるデモ活動で、「特定の政治的スタンスに依ることなく、反原発/脱原発をのみを唯一のポリシーとして」と、彼らの告知用のブログにも明記されています。

 当日は1000人以上のひとが参加し、渋谷の宮下公園から渋谷区役所を回って公園通りを下り、井の頭通りから宇田川町を経由して109の前を通過、スクランブル交差点を渡り、そのまま表参道駅まで直進、表参道を神宮前交差点まで進み、明治通りを原宿から渋谷へ向けて戻ってくるというルートで、このデモは開催されました。

504.jpg 恥ずかしながら、デモ行進に参加するのは初めてでした。3月11日に日比谷で行われた東日本大震災の追悼イベントの後、少しだけ脱原発デモと並走するように歩いたことはありましたが、最初から最後まで参加するという経験はありませんでした。この日も、ライブのリハーサルの後、本番までの時間を使って参加したので、出発の時間には間に合わなかったのですが、公園通りを下るところでデモの最前付近のグループに混じることができました。

 デモを外側から観るのと、実際に参加するのでは随分違いました。何が違うかというと、ゴールデンウィークで人出の多い渋谷/原宿ということもあってか、明らかに好奇の的になっていることを感じたのです。私は異物として見られているということを、多少、自意識過剰なバイアスがあるにせよ、感じずにはいられませんでした。


 もちろん、沿道から「頑張って」声をかけてくれるひとたちも、手を振ってくれるひとたちもありました。ですが、ほとんどのひとは「変なひとたち」としてデモの参加者を眺めているのではないか、そういう意識が渋谷駅前のスクランブル交差点を抜けるあたりまで消えませんでした。初めての参加であることが原因なのかもしれません。だけれど、ここまでの異物感を自分(たち)に感じることは今までなかったように思います。

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 スクランブル交差点を抜けると、少しずつ気が楽になりました。街の雰囲気が変わったというところが影響していたのかもしれません。もしくは、単純に私が慣れたのかもしれない。いずれにせよ、そこから表参道まではそれほど好奇な対象としての視線を感じませんでした。ただ、明治神宮前の交差点では渋谷と同じような視線を感じました。なぜなのかは分かりません。そこから渋谷に戻る明治通りでは、もっとクールな、静観以下の、無視にも近いような雰囲気を感じました。ファッションの街からすれば、格好の悪い行為に映るのでしょうか。もちろん、これも私の自意識とバイアスによるものかもしれないのですが。

 「環境に悪いから自転車で通勤しろ」というような主張を掲げたデモに、数万人も集まるような国も世界にはあります。すべてをよその国と比較して自虐的になるつもりは毛頭ないけれど、申請をすれば行える、権利として認められた行為であるデモがどちらかというと変わった行為とされてしまうのは、どういうことなのだろうかと思います。

 原子力発電を継続していくのか、現状での再稼働は本当に緊急事態に対応できる設備を見直してのものなのか、直近のエネルギーの供給は大丈夫なのか、放射能の危険性をどいう捉えているのか(この問題は最も意見が別れるところでしょう)、いろいろな論点があるのだから、いろいろな意見もあるでしょう。デモをしている側も、「脱原発/反原発」という同じ方向性を持っているとしても、全てにおいて一枚岩のような同じ意見というわけではないと思います。いや、それでこそなのだと思います。ひとつ、だけであることは怖いことです。それは歴史が語っています。

 ただ、ここに集まったひとたちは営利を目的としていません(主催の有志たちはこの点にとても注意を払っているように感じました)。特に利益らしきものが自分に直接返ってくることを期待もせず、それを分かったうえで、ゴールデンウィークの休日をこのような行為に捧げています。悪意ではなくて、「社会を良くしたい」という言葉に近い善意を持ち寄っています。この行為に浴びせる辛辣な言葉を私は知りません。エゴイスティックな行為ならば、一銭にもならず、ヒーローにもなれず、目立ったニュースにもならない(されない)場所では行われないと私は思うのです。

 「お祭り騒ぎ」だと揶揄するひとがいるなら、こう反論したいです。お祭りならもっと楽しいものが現代には山ほどあります。

 『The Future Times』は「歩かないデモ」を標榜してスタートしました。現在は、デモの最たるかたちである「デモ行進」について考えています。一般的な権利を使って、それぞれの考え方の違いはあるにせよ、社会のために何らかの意見を発信することが特異な活動になってしまう風潮は、かなり行き過ぎていると私は思います。

 デモ行進も含めて、市民が意見を主張したり話し合ったりすることが、もっと開かれていくことを願います。

 参加しないことや主張しないことが、面倒を回避するもっとも便利なツールとして無意識的にも意識的にも選択されてきたことが、この狭い島国に建設された50基(プラス福島の4基)の原子炉の問題にも繋がっているように私は感じます。ひとつの象徴のように思えます。

 肉体性を持って参加することには、とても意義があると改めて感じました。

 皆さんは、デモについて、原子力発電の問題について、どう考えていますか?


2012年05月06日

The Future Times 第2号発行に寄せて


『The Future Times』の第2号の配布が始まりました。

 img002_1.jpgとはいえ、『The Future Times』って何?という人も、きっといるでしょう。Twitterのリンクから辿り着いて記事を読んではみたものの、一体、どこの誰が何のために作っているページなのかが分からない。そういうことは普通に起こり得ることなので、この場でもう一度自己紹介をさせて下さい。

『The Future Times』は有志で作っている「未来を考える」新聞です。スタッフたちは、それぞれ自分の仕事を持っています。普段の生活の中から、自分の時間をこの新聞の制作に「寄付」してくれているのです。休日や空いている時間で、編集と取材を行っています。

 そして、編集長はASIAN KUNG-FU GENERATIONというバンドで活動している私、後藤正文です。




「ミュージシャンが何故、新聞を作っているのか?」

 このような質問を受けることが多いのは事実です。みなさんも、疑問に思っていることだと思います。これについての答えは、正直に言って「作りたいから」としか言いようはありません。ただ、動機やきっかけについては説明できます。

 長い間、私は何らかの創作物を世の中に発することを生業としていますが、日本において、音楽、とくにロックの分野では、社会というものにコミット=接続した表現をすることを避ける向きがありました。特に我々の世代に強かったと感じています。それについての疑問は日々膨らんで行きましたし、自分に対して常々問いかけてきました。自分の作る作品にも影響が出ていきました。

 契機となったのは、このとてつもない震災です。

 はっきりと、これは職業の問題なのではなくて、ひとりの市民として何かをしたいと思いました。震災の前から行っていた様々な準備が、この新聞のために役立ちました。例えば、音楽の歴史についての勉強は、新聞作りのヒントになりました。中世ヨーロッパの吟遊詩人たちが担っていた口頭のニュースペーパーという役割を、形を変えて模倣することを思いつきました。CDやレコードといったメディアに対して考え続けてきたことも、「紙」という媒体を選ぶことに繋がっています。そして、私は原子力発電に対する、かなり消極的な意見表明を2011日の3月8日に自分の日記で行いましたが、そこに対する当時のリアクションや、自分自身の「気づき」の遅さに対する後悔なども新聞作りの動機にはいくらか含まれています。

 前置きが長くなりましたが、この新聞で掲げたいことはとてもシンプルです。

「未来について話そう」たったこれだけのことです。

 下からでも上からでもなく、自分の生活の中から、自分たちの暮らしや、その先にあるものについて考える。調べる。出会う。話し合う。そういうことのきっかけになれば良いなと思います。

 そして、一切をこの画面から取り出さないといけません。身体や肉体といったことについて考えるのも大きなテーマです。例えば、Twitterで出会った情報や人や様々な事柄と、実際に肉体性を持って、ハグするように出会うこと。抱きしめるように体感すること。そういうことも、「紙」という媒体を作りながら探っていこうと思っています。この新聞は実際に、私の何気ないツイートから始まりました。作りながら勉強する、私にとっては全身を使った学びの場でもあります。


 第2号は本日6日より配布です。配布先はリストのページから確認して下さい。そして、実際に街に出て、手にして下さい。多少面倒なこともあるかもしれませんが、探して手に取ってもらうことも、「紙」で発行していることの目的です。

 何度目かの、長い自己紹介、失礼しました。

 みなさんの手元に届き、そしてこの新聞をきっかけに新しい何かが、それぞれの場所で始まることを願っています。

 
2012年04月06日

編集長通信3/17



img002.jpg 4月6日の発行に向けて、THE FUTURE TIMES第2号の編集は最終段階に突入しています。

 2号では「一年後の現在地」を特集テーマに、被災地の現在を取り上げます。多くのメディアがこぞって『3.11』の特集を組んでいます。バブルのように、言葉の通り泡のような一過性のものでないことを願います。DOMMUNEで宇川さんがおっしゃっていましたが、「メディアが『3.11』を消費している」側面は否めないと私も感じます。その番組でも特集されていたように、『3.12』、つまり震災後をどう生きていくのかが、当たり前ですが、現代を生きる私たちの課題です。

 特集記事では岩手と宮城の若者たちの取り組みを記事にしました。同時に福島県南相馬の現状と市民のネットワークについての記事も作成しました。福島出身の箭内さんのインタビューは、東京から福島を思うことについて、とても大切な言葉を拾い上げることができたと思っています。

 放射性廃棄物の最終処分場の問題を取り上げた映画『100,000年後の安全』のマイケル・マドセン監督のインタビューも示唆に富む内容でした。

 毎号恒例の「◯◯と未来」の記事は、スペシャルバージョンとして坂本龍一さんが登場します。かなり早い段階から『more Trees』などの取り組みを行ってきた坂本さんのインタビューは若いひとたちにこそ読んで欲しい内容です。そして、作家の西加奈子さん、『murmur』マガジンの編集長である服部みれいさん。西さんからは言葉を綴ることについての心持ちを、服部さんからは現代における女性性の意味と強さ、そして優しさを学びました。

 エネルギーのページは、下水道から生まれるバイオガスを取材しました。取材に際しては、神戸市の神戸市建設局下水道河川部に協力して頂きました。親切な対応に感謝しています。神戸市の「こうべバイオガス」という取り組みは大変ユニークなので、是非、記事を読んでみて下さい。とても面白い記事です。

 記事にも関連しますが、ひとつだけ違う話を。

sm02.jpg 私の故郷である島田市が岩手県の大槌町、山田町の瓦礫の受け入れを正式に表明しました。そのことについては、私の連載に詳しく書きました。

 ツイッターや、様々なブログでデマのような情報が飛び交っています。「島田市のものはもう食べられない」と言った、嘆かわしいとしか言いようのない言葉を書き綴っているひともいます。島田市出身者として、そのような言葉が外野から市民に向けて投げかけられることを、とても残念に思います。

 瓦礫の広域処理の問題については、原発事故のお陰でデリケートな側面が確かに存在しています。(放射能のフォールアウトがなかったor極めて少なかった地域での瓦礫処理には専門家も慎重な姿勢を表明しています。)ただし、島田市を例にとるならば、瓦礫も焼却灰も事故前のクリアランスレベルの100bq/kgを下回るという試験結果が出ました。確かに、震災以後の政府の対応が私たちの猜疑心を増幅させた面はあると思います。ただ、その目ですべての物ごとを見るのは、ちょっと度が過ぎると私は思います。

 環境問題を契機に、偶然にもこの国の一般廃棄物処理場(焼却場)の設備は高性能なりました。もし、ダイオキシンなどの問題が立ち上がっていなかったら、ここまで高性能のバグフィルターが施設に設置されていなかったかもしれません。関東地方の普通ゴミを燃やしただけで、その灰からは高濃度のセシウムが見つかりました。それは、焼却場の集塵施設が優秀だったからです。灰に濃縮されずに環境中に放出されつづけたら、どうだったでしょう。「信じられない」や、やり場のない怒りや悲しみをぶつける相手ではないと、私は思います。

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 この煙突から出ているものは何だと思いますか?

 実は、「煙(けむり)」ではありません。水蒸気なのだそうです。そのくらい、普段から煤塵(ばいじん)の濃度は厳しく管理されているのだという話を伺いました。

「この煙突から出ているものは何だと思いますか?」という問いに対して、それぞれが抱く感情はひとつではないはずです。ただ、数字に目を向ければ、それは数字として一切の感情を排除したようにそこにあるだけです。読み取ることが出来るのは専門家だけです。残念ながら、一般市民としての私たちは、その数値に感情以外のなにかを持たせられる知識を有していません。


2012年03月17日

編集長通信1/2 『LOST』に寄せて


 The Future Times 創刊号にDLコードを添付しています、私のソロ作品『LOST』のミュージックビデオをYouTubeにアップしました。




 ディレクターを務めてくれたのはPerfumeやサカナクションのビデオでお馴染みの関和亮君。そして、振付けは同じくPerfumeの振付けを担当しているMIKIKOさん。(ふたりは着ぐるみの中に入ってビデオ出演もしてくれました。)撮影は矢部弘幸さん。皆さんは同志として、行為そのものをThe Future Timesに寄付して下さいました。コーラスはYeYeという京都のシンガーソングライターが参加してくれました。

 また、撮影は『Studio EASE』さんが無償でスタジオを提供して下さいました。本当に感謝しています。

 この曲はタイトル通り、“喪失” を歌った曲です。誰しもが等しく “死” という絶対的な “喪失” からは逃れられないことを考えながら、同時に、今ここにある “生” に対する愛おしさを歌った曲です。歌詞の中にある “全てを失うために 全てを手に入れようぜ” 、このストレートな一節が、この曲の幹なのだと思います。

 『LOST』は、震災の前に書きました。日々の生活の中、目の前を通り過ぎていくことの全てを、もう少しだけ愛したい。それはいつかなくしてしまうからこそ。そんなことを考えながら、書いた曲です。この瞬間に出会うものを目一杯感じたいという気持ちと、“生きること” そのものに宿る “悲しみ” としか呼びようのないフィーリングを曲に込めました。なんとなく、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのスタジオには持っていかずに、大切に自分の中で温めておいた曲です。今年になって、込み上げるように完成しました。

 この『LOST』のフルバージョンは、以下のサイトから有料でダウンロードできます。

「THE FUTURE TIMES Online Store」
http://www.ec-spmltd.com

 販売という方法を取っていますが、実際には寄付としての意味合いを持たせているつもりです。値段は100円から、この音源をダウンロードするひとが、それぞれ決められるようになっています。収益は、広告を取らずに発行しているThe Future Timesの制作費に使わせていただきます。

 どうして広告を取らずに、自己資金で運営しているのか。それは、この新聞の制作自体が社会に対する行為としての寄付だからです。自分が属するこの社会が少しでも良い方向に進んで欲しい。そのためならば、多少の出費は惜しくありません。編集スタッフ一同も、行為自体を寄付してくれています。これには感謝の気持ちしかありません。


 お金を出すことだけが復興支援ではないと、私は考えています。

 分かりやすく行為そのものが金銭に変換されることに、労働があります。それとは別に、貨幣価値という物差しでは量れない価値が宿る行為が、世の中にはたくさんあります。そういう少しずつの行為としての寄付が、我々の社会を良い方向に向けるのだと私は信じています。

 そのような心持ちで、The Future Timesを続けていきたいと思っています。

 聴いて下さった皆さん、どうもありがとう。それぞれの生活が、それぞれに少しだけ愛おしくなるような、音楽はそういう類の魔法であることを信じて止みません。『LOST』も、そんな1曲であったら嬉しいです。


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2012年01月02日

編集長通信 11/30

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 創刊号が完成しました。テーマは「住まう」。住むこと、住み続けること、現代の我々が直面しているとても大きな問題について、真っさらな気持ちで考え直したい、そんな想いで編集部一同、取材/記事制作に取り組みました。

 津波の被害だけではなく、原発事故の影響がとても重くのしかかっていることは、誰の目にも確かなことだと思います。アンタッチャブルな地域を空洞のように生じさせてしまったことで、原子力発電所近辺だけでなく東北全体の沿岸部の復興へ歩幅に影響が出ていることを感じます。あの事故さえなければという思いが、多くの人の胸に、今でも強くあります。

 そういう厳しい現実の中でも、ささやかな希望の芽がいろいろな場所で地表に顔を出し始めています。The Future Times創刊号では、そういったいくつかの希望を記事にできたと思います。

 一方で、代弁のできない言葉も集めることにしました。多くのメディアで、様々な角度から集められていることは知っていましたが、我々も独自の視点で福島県の人々のインタビューを行いました。とても複雑で、いびつな構造によって、彼らだけがその重荷を背負わされているように私は感じます。この問題は、すべての人が当事者になるべき事柄です。他人事ではありません。福島の人たちだけに差別的な感情を投げつけずに、強い気持ちで解決していかなければならない問題です。

 創刊号は、創刊準備号の倍、28ページの分厚い記事になりました。かなり読み応えがあると思います。少しでも、皆さんが何かを考える役にたってくれれば幸いです。そして、それを自分の身の回りにフィードバックして下さい。そして、ゆくゆくは我々の場所までエネルギーを戻して下さい。我々も、新聞を作ることで学び、皆さんの返してくれたエネルギーからも学び、進んでいきたいと思っています。

 夜明けはまだまだ先です。我々は、はっきりと闇の中にいます。ただ、弱いひかりがそこかしこに灯っています。そのひかり達を、今後も取材し続けたいと思います。同時に、闇の深さについても考え続けたい。

 創刊号が皆さんの手元に届くことを願っています。また、このWEB版も紙面とは違うインターネットの特性を利用して、ますます充実させていきますので、よろしくお願いします。



2011年11月29日

編集長通信11/02


kn01.jpg 弾き語りライブで訪れた宮城県の気仙沼。震災直後の状況から比べれば、かなり片付いているという話を伺った。それでも私の目には復興への歩みがここにきて停滞しているようにも映ります。自治体の想い描くビジョン、それぞれ住民たちの想い、いろいろな問題もあることだろうと想像します。ただ、それにしても、津波で被害を受けた沿岸部への公的な支援の速度が遅すぎはしないかと、被災地に行く度にやきもきとした気分になります。同時に、その被害面積の大きさに途方にくれてしまいます。ミュージシャンがいくら慰問に訪れようと、決して動かせないことだけが転がっています。

 併せて放射能の問題も私たちは抱えています。瓦礫の処理についても、放射能の問題はついてまわります。原発事故と津波による被害のことを切り離して考えてしまいがちですが、復興に向けた様々な活動は、原発の事故さえなければ現状の何倍ものスピードで進んでいたはずです。それもまた、とてももどかしい。

 物理的なことや経済的なことも含めて、僕たちは「住む」ということをもう一度考えなければいけない時代になったのだと思います。それぞれが、それぞれの自由と責任で住む場所を選び直さなければならない。もちろん、「想い」のようなもの、ときには柵のような事柄とも向き合う必要があるのだと思います。そのうえで、選ばなければならない。これは東北だけでも、東日本だけもなく、日本人全体の問題になったのです。


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「選ぶ」ということはとても大切な行為です。同時に権利でもあります。僕らが買う商品の選択ひとつをとっても、その集積が「社会」です。極端な例を出せば、消費者のすべてが断固として有機栽培の野菜を選べば、野菜売り場には有機野菜だけが並ぶようになります。ある程度の数が集まった場合の消費者の選択というのは強いのです。だから、僕たち一人ひとりが何をどんな考えを持って選ぶかはとても重要です。むしろ、それ以外の方法で社会が変わることはないと私は考えます。

 私たちは、精神風景としての、現在という荒野に何を建てるのか、真剣に考える必要があります。そして、行動に移す必要があります。これは大きなことではなくて、私たちのささやかな生活の中にある選択すべての積み重ねなのです。

 そんなことを考えながら、創刊号の編集に取り組んでいます。
2011年11月02日

取材記 9/29


sen01.jpg 先週末、東北の各地を取材してきました。左の写真は仙台市若林区の風景。

 仙台市の沿岸部は津波によって甚大な被害を受けました。辺りの水田は農業用水も含めて壊滅的な打撃を受け、現在も復旧は進んでいません。そんな中、農地を再生させる動きがささやかながら強かに進んでいます。塩害などが予想されていましたが、野菜たちはすくすくと育っていました。

 特別な土壌改良をしたわけではない土地で、以前よりも育ちが良いくらいだという野菜たち。近隣ではカボチャが野生化していました。植物たちのこういった強さは、私たちにとって確かな希望になるものだと感じました。久しぶりに、とても明るいニュースに触れたような気がします。

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  しかしながら、広大な面積の農地が手つかずのままでした。他県の沿岸部の地域と同様に、以前住んでいた場所へ戻るのか戻らないのか、行政の判断を含めて、進んでいないという印象を受けました。


 夕暮れ時の浜辺を散策。台風通過直後ということで、広い範囲で農地が水没。落ちていた枝で測ってみると、膝上くらいの水深がありました。湿地のような風景です。(※写真をクリックすると拡大されます。)

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sen08.jpg 海岸線の風景。同じ太平洋岸ということもあって、どこか私の地元の静岡の海岸線と似た雰囲気を感じました。この堤防を越えて津波は町を飲み込みました。波の高さは小学校の3階に届くほどだったそうです。

 そして前回、私が書いた記事、浜岡の海沿いのことも思い浮かべました。浜松市や静岡市の沿岸部のことも考えました。同程度の津波が押し寄せた場合には...。地理的な条件はもちろん違いますけれど。

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 取材内容についてはThe Future Timesの創刊号で。この地で芽吹いた確かな希望を記事にまとめて、皆さんに報告しますね。発行は11月の末を予定しています。

 今後も、このような取材記を更新していきますので、引き続き、よろしくお願いします。
2011年09月29日

編集長通信 9/1 "浜岡見学記 後編"


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hm12_2.JPG 浜岡原子力発電所のある御前崎市は、人口3万5000人くらいの小さな町です。小さな町ではありますが、発電所にかかる固定資産税や核燃料税、交付金によって静岡県でも最も財政状況の良い町のひとつとなっています。事故があった場合のリスクということの一点で考えれば、近隣の市町村も同じですが、実際に立地している市町村だけが財政の面では飛び抜けて潤っているという現実。御前崎市のことを悪くは思いませんが、複雑な気分になります。

  海から観る浜岡発電所。立ち入り禁止の看板の向こうには排水口があります。

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 地元のサーファーの話によると、このあたりは排水口から流れる温水によって、冬場でもかなり水温が高いとのこと。それによって魚が集まり、大きなロウニンアジが釣れたり、サメが出没したりするのだそう。“シャーク”というサーフスポット名が付けられているという話も聞きました。

 また、この温かい排水を利用して、御前崎市ではクエの養殖も行われていました。地元の市場で食べることが出来ます。残念ながら、この日は時間がなくて食べられませんでしたが、なかなか強かな利用方法だなと感心しました。

hm14.jpg 原子力発電所付近の海辺は、かなり高い堤防が造られていました。高さにすると10メートルはあるでしょうか。建物の3階分くらいはあるように感じました。とても大きい。ただし、陸前高田や気仙沼、多くの三陸の町を襲った巨大津波のことを考えると、怖いようにも思います。ただ、津波に免疫のない静岡県民から思えば、十分に立派な堤防に見えました。


hm12.jpg それでもこの図説を見ると不安にならざるを得ないですよね。どう見ても震源域のど真ん中であることは間違いありません。“どうしてこんな場所に造ったんだろう” これは誰しもが抱く疑問のひとつだと思います。

 静岡県民のひとりとしては、小さい頃から繰り返し東海地震の危険性は学校でも家庭でも話題にのぼることなので、生まれたときには既にあった原発の耐震性については、“そんなもの大丈夫に決まっている”と考えもせずに受け入れていたフシがあると思います。このあたりは反省しなければならないですね。津波での被害も恐ろしいですが、真下で地震が発生する可能性がある場所に立地しているということ、これはどう考えても恐ろしいことだと思います。

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hm16.jpg 剥き出しの防波堤の奥に見えるのは取水口です。船のような、灯台のような物体が5体見えますよね。あそこから取水して、前編で紹介した復水器に水が送られています。案外、小さいことに驚きました。

 取水口が津波で壊れるということはないのでしょうか。近隣はビニールハウスなども多く、津波で流出したビニールや資材が詰まるということがあっても怖い。ちなみに、この取水口、大量のクラゲによって取水できなくなった過去があります。現在はクラゲの対策は施されたとのことですが、笑えない話ですよね。

 これが、私の地元から車で30分くらいのところにある浜岡原子力発電所です。首都圏からでも、名古屋あたりからでも、比較的見学しやすい原子力発電所だと思います。興味がある方は、観光がてらに見学してみてはどうでしょうか? どのような場所に原子力発電所があるのか、見ておくのも良いと思います。恩恵とリスクの両方を一身に背負っている町です。そして、一番潤っているのは誰なのか、よく考えてみる必要があると思います。事故を起こした会社が潰れていないこと、これはとても重要な事実です。そして、一番大きな代償を支払ったのは誰なのか。胸が痛みます。

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 故郷を離れなければならなくなってしまったひとたちの心情を簡単に想像することは出来ません。そして、もともとはそこに存在しなかった放射性物質に怯えながら生きて行くことを余儀なくされたひとたちも沢山居ます。首都圏も例外ではありません。セシウムは静岡県中部のあたりまで降り注ぎました。

 もし仮に、浜岡原発に何かがあった場合、僕はどうするだろう。両親を故郷から連れ出すことは無理だと思います。彼らは、この場所で最期まで生活することを選ぶでしょう。友人たちや親戚はどうするのか。弟や妹はどうするのか。考えただけで途方に暮れてしまいます。

 そういう想像力を、面倒くさいという言葉と引き換えに心のどこかにしまい込んで、平然と暮らしていくことが怖いです。あるいは“経済”という、神様みたいに扱われる言葉の前で、飲み込んでしまわないといけない問題なのか。少なくとも僕は、無関心ではいられません。

 他人事なのだという感覚を排していくこと。実際に現地に行くのは、実感するためです。完全なる当事者にはなれないかもしれないけれど、物事と自分の距離を知ること、考えること。それは頭の中に地図を作るという行為だと僕は思います。無関係なことではないということを知るためには、体を動かすことがときには必要なのだと、強く感じます。
2011年09月01日

編集長通信 9/1 "浜岡見学記 前編"


 僕の出身地である静岡県の島田市は、浜岡原発から30km圏内の町です。物心がついた頃から“必ず来る”と繰り返し注意が喚起されている東海地震のことを思うと、正直言ってとても不安な気持ちになります。現在は停止中の原子炉ですが、冷却機能を失ってしまえば、起きる事態は同じです。

 そういう心配を心に抱く傍らで、実はそれほど浜岡原子力発電に馴染みが無いという現実。原発近くの町で生まれ育ってもです。小学生の頃に行った原子力資料館についてのおぼろげな記憶だけで、本当に浜岡のことを理解できるのか? そういう気持ちがムクムクと心の中に立ち上がりました。六ヶ所村の核燃料再処理施設や上関町の田ノ浦、そういった町に実際に訪れて思ったことが、行く前と後では全く違うことも、思い返しました。

hm01.jpg というわけで、浜岡原子力発電所まで行ってみることにしました。実際に行ったのは5月の初旬で、4ヶ月も前のことになります。そのときに思ったこと、あれから考え続けていること、それを今回はここに綴りたいと思います。そして、皆様には馴染みのない静岡県御前崎市の風景や浜岡原子力館の写真を、何枚か記事に添えたいと思います。



 まずは新エネルギーホールへ行きました。「自然のちから、みつけよう!」という標語がお出迎え。案外、自然エネルギーについては肯定的な立場なのかと、そんな想像が膨らむ外観です。

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 でも、今泉さんとの対談記事にもあるように、本当は“新エネルギー”ではなくて、“再生可能エネルギー”と呼ぶべきなんですよね。そのあたり、あくまで自然エネルギーはまだまだ新参者だという扱いなのでしょうか。気になるところです。

hm03.jpg 中に入ってみると、このような展示がありました。自然のちからを見つけたのは良いのですが、このようにして、「お金がかかりますよ」というような指摘が随所に見られます。なるべくフェアな目線を持って見学することに努めましたが、「やっぱり原子力発電はスゴいんだよ!」というようなアピールの場であったように思います。それが良いのか悪いのかは私には分かりません。原子力発電所に隣接する建物ですから、原子力発電の魅力をアピールするのは当然のことでしょう。ただ、ちょっと怖いなと思いました。

 続いて、浜岡原子力館へ。

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hm05.jpg 館内に入ってまず目に入ってきたのは、5月初旬現在の原子力発電所の運転状況。この後、4号機、5号機は政治的な判断で停止されました。それぞれの原子炉の営業運転開始の年号をみると、とても不思議な気分になります。1号機は僕の生まれた年と同じ年に運転が始まりました。現在は廃炉へ向けての作業中。

 日本の原子炉、実は一基たりとも廃炉が完了したという実績がないのだそう。廃炉と言っても簡単なことではないという話も聞きます。造ってしまうと元に戻すことがかなり難しく、とても長い年月がかかること、このあたりも忘れてはいけませんね。実績がないということは、出来るかどうか分からないということでもあります。1号機、2号機のある場所が更地に戻るのは何十年後でしょうか...。

 原子力館の中には、福島第一原発で事故を起こした原子炉と同じ型の原寸大模型が展示されています。大きさにも驚きますが、配管などの細かさにも目がいきます。TVで放送されていた簡易的な図説とは印象が違いました。

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hm07.jpg それは同じフロアに展示してあった縮小版の模型を観ても変わらぬ印象でした。思っていた以上に配管が細い。一本の太いパイプが出たり入ったりしているのだと、てっきり勘違いをしていました。

 巨大地震ならば、格納容器の外の配管のどこかがポキっと折れてしまうことはないのか、素人の目では不安に思ってしまいます。あくまで模型を観ての感想ですが。ただ、とても厳重に格納容器が造られていることは、ふたつのサイズの模型を見学して分かりました。あとは、不謹慎かもしれませんが、構造物としてある種の美しさも感じました。当時は、最先端の夢の精密機械だったのだと想像します。

hm08.jpg 右の写真は復水器と呼ばれる、原子炉からタービンを通ってきた蒸気を冷やす場所の模型です。遠州灘から汲み上げた海水で冷やしています。写真には撮影できなかったのですが、冷やす部分の配管はかなり繊細に出来ているように見えました。

 そう言えば、5号機では、その部分が破損して、海水が流入してしまうという事故がありましたよね。冷却というのは、原子炉の安定的な停止にとっての肝なのでしょう。ここが壊れてもダメなのだということを理解しました。

hm09.jpg 続いては、作業員の衣服の展示を見学しました。黄色とグレーの作業着が展示してありました。放射線を浴びるリスクのある場所で着るものということで、かなり分厚いものを予想していましたが、特別な素材という感じは全くありませんでした。様々なものが付着しにくい加工になっているとのことですが、ゴミ焼却施設などで使われているものと同じなのだという話を、ゴミ処理関連の仕事をしている友人から聞きました。“信じられない”というのが率直な感想です。

 そして、実際に作業員が現場から出て来るときに通るゲートでは、線量計の単位がmSv(ミリシーベルト)であることに驚きました。僕らが年間の積算で2mSvという数値でビクビクしているなか、小数点以下が設定されているとはいえ、当たり前のようにmSvという単位が表記されています。改めて、原子力発電所の技術者の皆さんの大変さを思いました。

hm11.jpg 私たちの生活を支えるエネルギーの最前線では、このようなリスクと戦いながら作業をしているひとがいます。そのことについても、僕らはもう少し想像力を膨らませないといけないのだと思います。逆に言えば、誰かにそういったリスクを背負わせることで成り立っている発電方法だということです。

 でも、なんだってそうかもしれませんよね。石炭火力発電だって、どこかの国の炭坑では落盤事故が起きるかもしれない。後進国では、貧困にあえぐ子供たちが素手で石炭を掘っているような場所もあります。先進国が湯水のように使うエネルギーと欲望を満たすために。

 エネルギーをシフトさせていくスピードについては様々な議論があることが正しいのだと思います。スイッチのON/OFFみたいな話ではないということも理解しています。ただ、社会全体の方向としては、自然からのエネルギーを増やしていく、持続可能なかたちで活用できるような技術革新を促していく、転換していく、こういった流れは否定できないものだと僕は考えます。そうしていくことが、僕たちの社会にとっての本当の意味での利益になるのだと思います。

後編につづく
2011年09月01日

編集長通信 8/16


 紙面とはボリュームを変更して、株式会社スマイルズ代表取締役の遠山正道さん、建築家の谷尻誠さん、それぞれの記事をアップしました。反響も沢山頂いて嬉しい限りです。

 遠山さんの視点は、経営者ならではなものであるのと同時に、クリエイターとしての気質をとても感じる内容でした。語られる言葉の内容以上に、人間そのものから溢れるエネルギーを実際にお会いして感じました。もしかしたら、こういう類いの時代を切り開いていくようなエネルギーは、僕たち30代前半の世代には欠けているのかもしれません。エネルギーがあったとしても、内向き、自分に向かってしまっているような...。それを“ときめき”という言葉が代表するような楽しさやクエイティブな事柄に向けて行くこと。表に発散していくこと。そして、そのエネルギーでもって多くのジャンルを横断していくこと。それを起業家として社会と結びつけている遠山さん、“格好良い大人だな”と思いました。


 そして、谷尻誠さんの記事。

 「紙面と比べてボリュームが大幅に違うではないか」というツッコミを頂くほどの拡大版記事です。でも、そのツッコミは僕は間違いだと思うのです。なぜなら、WEBの利点はそこですから。ほぼノーカットでインタビューを掲載することが出来るということ。そして即時性があり、随時変更が可能なことが利点です。ですので、The Future Timesでは、今後もWEB版と紙面ではボリュームに差があります。メディアとしての特性が違うのだから、内容が違って当然ではないかと、考えています。

 紙では“編集すること”ということにも焦点をあてています。WEBではノーカット掲載が可能な記事を、紙という制限のある場所で、どのように編集するのか。それは強い言葉を選び出すということだと思っています。普段なにげなく接している雑誌などのメディアにおける“編集”という行為、実はとてもクリエイティブな行為なのだと僕は思っています。そこには作家性が確実に存在します。


th02.jpg 記事の対談とは別に、先日、谷尻さんのオフィスにあるスペースにて不定期で行われているトークイベント『THINK_05』に参加させていただきました。記事中にもあります、敢えて名前を特に決めていないという事務所3Fのスペースです。お茶を飲めばカフェにもなるし、写真展を行えばギャラリーにもなるというこの場所。名前を付けないことで広がる可能性、これはとてもおもしろい考え方だなと感動しました。


 当日はUSTにて、トークの模様を配信。トーク後は集まってくれた皆様の前で数曲歌わせて頂きました。歌を歌えば、ライブハウスになるというのも、このスペースの面白いところです。

th05.jpg

 このThe Future Timesという新聞についても、日々、いろいろ考えています。とくに着地点を考えずに、ぐるぐるといろいろな思考回路を巡っています。紙であることの意味や、WEBで出来ることについて、メディアについて、編集することについて、ミュージシャンなのにどうしてこのような活動をしているかについて、そして箇条書きに出来ない本当に些細な思考の断片を積み重ねては掃き散らし、掻き集めなおす毎日です。

 特に紙という肉体性を情報が持つことの意味については創刊準備号以前から考え続けていることではありますが、実際に行ってみての実感から学習させてもらっています。例えば、実体があることで、思わぬ広がりを見せることがあること、それはカフェの机の上で、あるいはどこかのオフィスの休憩所で、誰かが置き忘れたベンチの上で。欲しいと思っていないひとが不意に手に取ること、これは紙の面白さです。

 逆にWEBには、好きなものを自分で探して集めるという行為にとっての利便性があります。ただし、欲しいものしか手にしないような、入り口が狭いタコ壷のような、そういう世界にどっぷりと浸かってしまう危険性もあります。雑誌などの良いところは、興味のない情報も一緒に載っていることなのではないかと、そんなふうに感じています。

 僕はミュージシャンとして、この紙についての話しは、CDやレコードについて考えることとも繋がっているのだと思っています。新聞を作ることを通して、いろいろな物事が、ただそのたったひとつのことのためには存在していないことを実感しています。Aということを考えるのは、BやCや、果てはZを考えることと具体的な区別はあっても奥の奥で繋がっていると、そう感じます。

『THINK』

考え続けたいと思います。

2011年08月16日