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受容と未来 | 和合亮一

『未来芸能』を作る

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後藤「そういえば、このインタビューでは、未来について話すというテーマなんですが、未来について話していただけないでしょうか。たとえば、僕は、ここ何年かはドキュメントをテーマにしていました。世の中を見回してみても、震災以降、ドキュメンタリー作品がたくさん生まれました。でも、僕たちはこれから物語みたいなものを獲得し直さないといけないというか、物語にパラフレーズしてゆく必要があるのかもしれないと思うんです。そうしたほうが、作品としてのパワーは増えるんじゃないかと思ったんですね。 “僕がこう思った” と書くよりも、少女を主役にするとか、第三者の物語として描くことで、強い表現ができるんじゃないかと」

和合「すごくよく分かります。僕が提案していることで『未来芸能』というものがあるんですが』

後藤「その言葉、面白いですね」

和合「震災以降、すごく怒りを感じた瞬間が、何度もあったんですが、ふいに、その怒りに、ある時岩手県の北上にある『鬼剣舞(おにけんばい)』という伝統芸能を見た時の記憶が、重なって来たことがあったんです。それは“哀しみ”とか“怒り”など、人間の感情を表す鬼が舞う踊りなんです。感情を姿形のある鬼に変えて見せることで、いろんな災いを肩代わりしたり、人々にメッセージを伝えてきた。怒りや哀しみは、3年経った今も、全く変わらずに福島にある。で、この福島の気持ちを表現するような、新しい鬼の踊りを作りたいなと思って。で、そのはじまりの舞台を、大友良英さんのギターとコンテンポラリーダンスの唐沢優江さん、そこに尺八の方も加わってもらって、初めてなんですけど、作ったんですよ。で、僕はいわば、祝詞(のりと)のような形で詩をよんだ。今伝わっている伝統芸能は、過去の災いを物語にしたものです。でもこれからは、我々が未来芸能を作っていかなければならない。これから廃炉になるまで何年かかるかわからない。ドキュメントとフィクション、ふたつとも重要ですが、震災で得た事を、時間の長さでもって語ってゆく必要がある。そのときに有効なのは、物語の力だと思うんです」

後藤「はい」

和合「3年経過して、解決していないことはたくさんあるし、心の問題はもっともっと深い闇に進んでいっている。そういった現実を受け止めるのに、物語が必要だなと思うんです。僕自身も、たくさん批判は浴びましたが、負けずにやってきてよかったのは、人の哀しみを受け止めること、ひとの話をきくこと、だと思う。受け止めるというのは “受容する” ということ。あまりに日本人は受容することをおざなりにして社会を動かして来た。誰がどう考えてもおかしいのに、民主主義で勝ったからということで、みんな再稼働に賛成していることにしちゃう。仮設住宅では、自殺とか、病気の進行とかあるのに、そんなことは隠してしまう。もちろんエネルギーの問題は複雑で一筋縄では行かないと思うんですが、おかしなことを隠して、なおも原発を輸出までしてしまう。そういう現実を、外国人は奇異なまなざしで見ていると思うんです」

後藤「そうですね」

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和合「踊りを作ることで、福島で起きているこの震災の時を受け止めようと思うからこそ、なにかがそこに生まれる。震災までは、僕はそれは感じなかったことなんです。僕は現代詩を書いて来て、つねに、新しい感覚、誰も感じたことの無い感覚を書きたい、と思いながら書いて来た。広告デザインなんかもそうですけど、言葉が新しい感覚をとらえる、それが現代詩だと思うんです。でも、震災があって、“あまりにも、受け止めることをわれわれはしてこなかった”と感じた。震災前に自分がやっていたことと、今やろうとしていることは、反対のことかもしれないなと思うんです」

守るために、今、もう一度集まる

後藤「民俗史の本を読んだりすると、いかに教科書に書いていない歴史のほうが大きいかということ、人々の実体験として積み上がっている歴史のほうが、いかに悲惨で過酷だったかがよくわかります。僕は、日本のことすら捉えられていない。よく外国のミュージシャンに “お前らは日本のことを知らなすぎる” と皮肉られます。実際に、僕らはどうしても西洋のロックから影響を受けた音楽をやっているので、日本の伝統芸能や本当の意味での邦楽と接続しているところを見つけられなかったりもします。今、日本全体が分断してしまっているんじゃないかと思う。日本全体が、縦にも横にもバキっと。だから繋がる部分をあらためて探していかなきゃなと思うんです。人と人もそうですが、教科書に載っていない日本の歴史とも。高校のときは、日本史なんか全然好きじゃなかったんですけど(笑)」

和合「僕もじつは文書書くのが苦手で、高校生の頃、適当に作文書いたら、なんだこの作文はって放送で呼び出されて怒られたり。でも、表現をするって知識を超えるんですよね。直感が来るのって、大きな物語と繋がるためのスイッチなんですよ。スイッチが入ると、直感が知識を超えようとすることがある。生きている我々の本能が、他のつまんないすべてを超えようとすることがあると思うんです。その時に、表現って本当に形をなしてくる。本当の意味で形を与えてくれるのって、お客さんですよね。僕が出したものって、主観でしかないし、抽象でしかない。けれど、他の方々の存在のまなざしが、自分の主観に具象を与え、フィードバックしてくれるんです。受け止めてくれる方がいて、ああ自分が感じていたのはそういうことだったんだって、形を持つ。読者は鏡です。共存していく存在であり、常にお互い動いているものというか。僕は震災を表現して有名になろうとか名を残そうとか、思わない。本当に考えているのは、この震災のわからなさを、クリエイターとしてどう作ってゆくか、すごく不謹慎な言い方ですが “震災をデザインする” ということになっていくと思う。クリエイターは、作品の内側に、震災の、言い表せない意味性みたいなものを閉じ込めるしかない。復興ソングとか嘘だと思うんです。復興と言う旗印のもとに作られるものって嘘だと思ってしまう。現実はもっと、残酷でどろどろしている。福島はもう疲れているんですよ。ただ歌って帰っていく人に、“がんばれと思って来ました”そう言われても、一緒にやろう、作ろうと言う感覚がないんだなって思ってみてしまう。ああ、この人は福島に興味を持っていない。どうせ帰って行くんだろうな、と。受け止めるという感覚を持たずに歌われても、我々は戸惑うしかない」

後藤「はい」

和合「だから、『未来芸能』を一緒に作ることで、お互いに向き合う時間が必要なんじゃないかと思うんです。たとえば津波について、誰かが何かを言って、それに対して、涙を流す。そういうことから始まっていく何かがないと。それをわかってくれて、一緒に歌ってくれる表現者が、今は、必要だと思うんです。それはアジテイターでも、今は日本にいないけど、政治家でもいいんだけど」

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後藤「文章って時限装置だから、10年後とかに読むこともできる。今でも、ビートルズとか、ボブ・ディランに感動できるのも、作品として残る物の良さですよね。古い作品だとしても、初めて出会ったそのときに、みずみずしく、作品の能力が開きはじめる。ああ、僕がこの作品を開くときを、待っていてくれたのか、みたいな。記録したものはそういう効果があるんじゃないかな。そうしたら、もっと今のことを、今しか書けないことを、書いたほうが良いのかなと思うようになってきました」

和合「僕は、これまで、集まるということは、新しい感覚を表現するために、必要なことだと思っていた。でも震災後は、人々を守るために、集まるしかないと思いはじめた。新しいことを創出するためではなく、何かを守る、受け継ぐために、集まる。スロベニアという国は、ドイツに占領されたとき、スロベニア語を禁止されてドイツの言葉をおしつけられた国です。でも、スロベニアの詩人たちは、占領下でも、地下に集まり朗読会をしていた。母国の言葉を守るために、隠れて朗読をしていた。だから占領が終わった時に、母国の言葉をすぐに取り戻せたんです。言葉を守るために集まっていたこと、それが力を持ったんです。だから、何かを守るために、もう一度自分たちは、直(じか)にあつまらなければいけない。そう思います」

(2014.8.22)
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和合亮一(わごう・りょういち)

和合亮一(わごう・りょういち)

1968年福島県福島市出身。詩人、国語教師。1998年第一詩集『AFTER』で第4回中原中也賞、2006年第4詩集『地球頭脳詩篇』第47回晩翠賞を受賞。日本経済新聞紙上などにて“若手詩人の旗頭的存在”と目される。詩集のみならず、エッセイも多く手掛け、ラジオパーソナリティとしても活動する。2012年には『ふるさとをあきらめない フクシマ、25人の証言』を発表。震災以降、地震・津波・原子力発電所事故の三重苦に見舞われた福島から、Twitterにて『詩の礫』と題した連作を発表し続けている。Twitterアカウントは(@wago2828)。