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民主主義の練習 | 対談:藤村龍至

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話し合いをしないと、無難に終わってしまう

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模型が並ぶ『まちラボおおみや』。大宮駅の目抜き通りに面する商業ビルにあり、アクセスしやすい。

後藤「今、被災地の海岸沿いを全部コンクリートで固めていますが、あれもいずれ耐用年数が来るということですよね。現地の方に聞くと、多くは「海が見えないほどの防潮堤って大丈夫かな」って言いますけれど、いつの間にか決まっていたという感覚みたいです」

藤村「日本ではそういった重要な事柄に関しても話し合いを経て意思決定するプロセスを積み上げてこなかったせいです。これまでは反対運動しかなかったわけですから、反対を受けないように隠されて物事が進んでしまう」

後藤「あの巨大な防潮堤も、こういう鶴ヶ島スタイルでやっていったら、ずいぶん形が違ったのかなとかと思いますね」

藤村「いきなりでは難しいかも知れません。私は「民主主義の練習」と言っていますが、これから縮小していく社会で街全体を畳まなくてはいけないときに、小学校や公民館など、地域の小さな施設を整備しながら、ものの決め方をまずみんなで共有するのがよいと思います。それに慣れてきたら、市でひとつ持っているような文化ホールや図書館についてみんなで決めて、それができるようになって、ゆくゆくは国立競技場のように数千億円がかかるものも投票で決めることもできるようになる。国立競技場のような大きな施設で今いきなり投票なんてやっても気分で選んじゃうだけで、「本当にそれが必要か」「どういうあり方だったらいいか」「何億円だったら大丈夫か」という繊細な議論はできないと思うんです」

後藤「確かに僕も含めて、日本人は民主主義がよくわかってないんじゃないかと感じます。いや、もう本当にこれに尽きる。民主主義の練習って、わかります。だから藤村さんは建築家なのに調停者のようになっているんですよね、いろんな場面で」

藤村「そうですね。練習が足りないと「やっぱり個性的なものは良くない、使いやすいものがいい」という単純な話になっていき、どんどんつまらないものが選ばれてしまいますから。鶴ヶ島のときも、初回の投票で1位だった模型は一番無難なものなんです。それが2回目になると「少し過激なものがいいかな」となり、3回ぐらいになってくるとだんだん成熟してきて「とがっているだけじゃダメだけど、個性もどうやら必要だ」となる。その結果、少しずつ複雑なものができていくので、それにはやっぱり練習です。1回の投票だけだと凡庸なものになってしまうし、いきなりコンペをやるとお祭り感覚で変なものが建ってしまう」

最初からゴールを定めないのが大事

後藤「先ほど「街の身の丈にあった空間を考えるべきだ」という話もありましたが、街によってサイズも違えば抱えている問題も違う。だからみんなで話し合って、どうなりたいかも含めて決めていくしかないのでしょうね。建築家の藤村さんが一発で解決策を出してくれるんじゃないかというイメージになりがちですけど、結局必要なのは、そういう設計図的なものじゃないんですね」

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藤村「都市計画等でもかつての「マスタープラン(総合計画)」という考え方ではなくて、ゴールをイメージせず、その都度手続きをちゃんと取っていくという地に足の着いた方法が議論されていて、建築もそうなっていくんだと思います」

後藤「そうやってベターを積み上げていくことで、ゴールを最初から定めないのはいいことだと思います。50年だろうが、100年だろうが、そうやって積み上げながら、ベターな方向に進むこと。全員にとってのベストじゃないかもしれないけど、全体として、よりよい方向へ変化していくと「あ、なんかよくなっていきそうな気がする」と思えますから。希望が持てる」

藤村「まだ時間はあるから、日本が元気なうちにちゃんと対策を練っておけば、ちゃんと2020年以降も乗り切れるんじゃないかと思いますよ」

後藤「なるほど。社会への参加の仕方を個人が変えると、社会そのものが変わっていくんだなと思いました」

(2015.3.23)
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藤村 龍至(ふじむら・りゅうじ)

藤村 龍至(ふじむら・りゅうじ)

1976年埼玉県生まれ。建築家、ソーシャルアーキテクト。藤村龍至建築設計事務所代表、2010年より東洋大学理工学部建築学科専任講師を務める。建築家として住宅、集合住宅、オフィスビルなどの設計を手掛けるほか、インフラの老朽化や人口の高齢化を背景とした住民参加型のシティマネジメントや日本列島の将来像の提言など、広く社会に開かれたプロジェクトも展開している。近著に『批判的工学主義の建築』『プロトタイピング』がある。