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福島からの言葉 Connecting the dots vol.1.5

東日本大震災という大きな出来事を経験した私達は、これからどんな“未来”を作っていけるのでしょうか。「THE FUTURE TIMES」では、これから時間をかけて、様々な人の声を紹介していきます。今回は福島県で音楽レーベルを営み、震災後は地元・富岡町の現状を伝えるWEBサイトを運営している平山さんに、現状について伺いました

取材/文:後藤 正文

「地割れを避けながら、なんとかいわきまで辿り着けた」

後藤「震災の当日はどこに居たんですか?」

平山「当日は富岡で、実家のビジネスホテル(※1)での仕事が一段落して、床屋に行ってたの。大体切り終わって、顔剃りますねって横になった瞬間にガーっと揺れて。カミソリあててなくて良かったなって。(笑)」

後藤「そうですね。(笑)。それで、そのまま避難所に行ったんですか?」

平山「いや、避難指示が出たのは12日になってから。11日はホテルのお客さんも残っていたし、原発に通ってるお客さんが多いんだけど、遅い人は夜中に戻ってきた人もいた。結局、そのときに最初の炊出しをやったの」

後藤「ホテルのお客さんにですか?」

平山「そう。おにぎりとみそ汁。それで次の日避難指示が出て、西に逃げろという話だったから、お客さんも従業員も避難させて、自分だけ残って、両親も先に川内村へ行かせた。そしたら、両親は避難渋滞につかまって、ずっと動かないから飽きて帰ってきちゃったという。(笑)」

後藤「富岡に?」

平山「そう。しょうがねぇなぁとか思いながら。結局、12日も町の様子見ながら避難しないで、『爆発したら死ぬなあ』なんて思ってた。実際その日に爆発とかあったのは全然知らなくて…。でも夜、ラジオを聞いてたら、事態は思ったよりずっと緊迫してて、本当にもうヤバイと避難を決心したわけ。いわきの親戚のところに行こうと。それであちこち道路が通れなくなってるっていう情報を聞いてたので、13日の昼ごろ、確認する為に警察にいったら、すでにそこでさえ誰もいなかった。で、とにかく行けるだけ行ってみようと、道中、地割れを避けながら、山麓線(県道35号)を進んで、なんとかいわきまで辿り着けたっていう」

後藤「警察も避難していたんですね」

平山「そう。碓か本来は13日の時点で、町に残ってる人はいないはずの状況だったんだけど。自分たちとか、何人かは残ってた。」

後藤「なるほど。その後、いわきに移ってということですよね。今もいわきに住居があるんですか?」

平山「最初の親戚のところから、自腹で3月末にはアパートに移って、後から借上げ扱いに」

後藤「借上げっていうのはどういうものなんですか?」

平山「民営のアパートとかマンションとかを、福島県が代わりに家賃を払う制度」

後藤「なるほど」

平山「まあでも、借りてるところを借上げにしてくれるっていう結論が出るまでに、2〜3ヶ月くらいかかったのかな。だから、最初のうちは自腹で借りるしかないっていう方向で動いていた。1ヶ月近く不動産屋も再開してなかったので、友人のツテを辿って見つかったのはラッキーだった。」

放射線量によって3つに割れる立地

後藤「もうすぐ震災から一年ですけど、どんな心持ちでいるのか、富岡町の現状も含めて、ほとんどの人は知らないと思うんです。今日は、それを少しでも言葉にしてもらって、伝えられたらと思うんですけど」

平山「富岡っていう町の立地は、第一原発のある大熊町の南側にある。20km圏内にすっぽり入ってるので、震災以降は全町民が避難中。この1年は皆本当に辛い思いをしてきたと思う。そしてこの3月末に20km圏からの新たな線引きが決まるのね。年換算で地上1メートルの放射線量が50mSv以上が『帰還困難区域』、20〜50mSvを『居住制限区域』、20mSv未満を『避難指示解除準備区域』という方向に。富岡の場合は今の線量からいって、この3つに分断されると思う」

後藤「町自体がその3つの地域に割れてしまうってことですか?」

平山「そう。双葉郡内はどこの町も、なんかしらの制限地域に割れると思う。だから、『帰還困難区域』に指定されてしまった人は帰る事をあきらめて買い上げてもらう、という事が続出するはず。逆に『避難指示解除準備区域』

といっても除染や、ライフラインの復旧など、課題は山程あるので、すぐに帰れるというわけではないし…」

後藤「今のところ、まだ居住再開のメドがたっていない地域ということですか?」

平山「メドはたっていないし、すでに諦めてる人もいる。それは多分、今の広野を見ていれば分かると思うんだけど。広野は20kmと30kmの間で、9月に避難解除になったけど、町民としたら除染もちゃんと出来ていない、事態もそんなに収まっていないというなかで、帰った人はほんのごくわずか。更に避難していれば東電の補償金がもらえるので、当面の生活はできる。帰還してからの補償という話はこれからでてくるとは思うけど…。でも、実際、比較的線量が低いとはいえ、仕事、生活、子供のことも考えたら、解除、すぐ帰還というわけにはいかないでしょ」

後藤「確かに…。他の地域でも印象的でしたけど、除染に対する話は住民の皆さんでも意識に差があるというか…。 “除染だべ!”という人もいるし、 “いや、除染出来んのか?” みたいな人もいる」

平山「やっても無駄だっていう人もいるしね。それはもう、どこの町でも、意見は分かれてる。児玉教授も、除染というのは一回やれば終わりじゃないって言っていて。二回、三回やって、あるいはずっと続くのかわかんないけど…。結局、その場所だけきれいになっても周りから、また流れてくるし。もし戻るとしたら、ある意味、その繰り返しを覚悟しないといけない。当然、そういうところに子供を住まわせられるわけがないし」

後藤「そうですよね…。10年とか、何年かはやり続けないといけないかもしれないですもんね。あとは原発そのものの、『事故収束』という宣言について、皆さん怒ってらっしゃいましたもんね」

平山「そりゃ怒るでしょ!」

後藤「周りの人たちも、大体同じ気持ちですか?」

平山「うん。もう間違いなく。まあ、怒るか呆れるか…」

後藤「どこが収束だと…」

平山「うん。これでは見捨てられたのかと思ってしまう…」

(※1)富岡町にあるビジネスホテルひさご http://www.hotelhisago.jpn.org/