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想像と未来 | 松田晋二

THE FUTURE TIMES 6号の特集は「三年後の現在地」。福島県出身が二人、茨城県出身が一人いるバンド、THE BACK HORNは、震災後、自分たちに何ができるかをメンバー内で模索し、『世界中に花束を』をすぐに制作。3月30日に配信をスタートさせた。2014年4月9日には、10枚目のオリジナル・アルバム『暁のファンファーレ』をリリース。これまで同様に、メンバー4人全員がそれぞれ作詞を手掛けている。そこで綴られているのは、それぞれの表現による“希望"だ。THE BACK HORNのドラマーでありリーダーである松田晋二さんに聞いた、震災以降の音楽への向かい方とは?

取材・文:石井恵梨子/撮影:中川有紀子

音楽でできること、音楽だからこそできるものを突き詰めたい

松田「『THE FUTURE TIMES』は断片的に読ませてもらってるけど、こないだの教授のインタビュー、『東北は植民地だった』っていうのは衝撃的だった。そんな歴史、自分が住んでいても全然知らなかったから」

後藤「赤坂先生とやったやつね。マツの出身は?」

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松田「福島県東白川郡っていう、茨城寄りの県南の地域。そこは津波の被害もなく、たまたま風向きの影響で放射能の被害もなくて。むしろ沿岸部の人たちを避難場所として受け入れてた地域なの。だから震災の被害も原発についての認識も、同じ県内とはいえ、それぞれ温度差があるんだよね。たとえば、(※1)渡辺俊美さんの実家(富岡町/福島第一原発20km圏内)の周りには、ずっと原発とともに生活を営んできた人たちがいて。でもそのこと自体を知らなかったっていう県内の人もいる」

後藤「福島って単語でひと括りにしちゃうけど、行ってみればわかるよね。めちゃくちゃ面積がデカいっていう」

松田「そうなの。しかも東西に長いから。中通りとか会津の人たちは、福島県に海があるっていう感覚すら薄かったりするんだよね」

後藤「今回、どうして対談相手にマツを選んだかっていうと、あんまり震災について話しているのを見かけないからで。光舟とは被災地でよく会うし、将司くんと栄純は炊き出しとかにもいるイメージで。もちろん、マツは『猪苗代湖ズ』をやっているけど、あんまり表立ってそういう話をしているイメージが俺の中ではなかったの」

松田「そうね。たぶん一番の要因は、俺がTwitterをやってないっていう」

後藤「あ、そっか! 確かに、そうかもしれないね。なかなかマツの考えを知る機会がなかったから、どう思ってるのか話してみたかったんだよ」

松田「そうだね。確かに俺……表立った発言はほぼしてないと思う。もちろん、バンドとしてはわりと早めに動いたとは思うの。福島県出身が二人、茨城県出身が一人いるバンドとして、何ができるか模索したし、会社に必死で掛けあって、すぐに曲も書いて(『世界中に花束を』配信限定シングル/3月30日配信)」

後藤「うん、うん」

松田「それと同時に俺は、震災直後、もう3月17日には『猪苗代湖ズ』としてレコーディングしてた。毎日みんなと連絡取りながら、まず集まろう、すぐレコーディングしようって。あのときの『I love you & I need you ふくしま』は、以前あったアイデアを元に、15日とかの段階で(※2)山口(隆)くんと(※3)箭内(道彦)さんが完成させてたの。で、計画停電のことも考慮して名古屋で録ったんですよね」

後藤「なるほど」

松田「ただ……そうやって猪苗代湖ズがどんどん活発になって、いろんなとこでライブやっていくと、良くも悪くも意見が出てくるの。『お前たち、実際福島に住んでないじゃないか』ってことも言われたし。でも福島出身のミュージシャンが組んだバンドだっていう事実はどんどん前に出ていって」

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後藤「箭内さんに話を聞いたときも思ったけど、『猪苗代湖ズ』って難しいよね。もちろん『福島住んでないじゃん』っていう声もあっただろうけど、でも、故郷に対する愛は当然あるでしょう。当時は状況が複雑だったから、『I love you & I need youふくしま』を聴いても、福島から避難してきた人と、ずっと福島に住んでる人、それぞれ受け止め方が全然違っただろうし。バンドがそういう声の全部に耳を傾けてたら、心のバランスを保てるのかなぁって勝手に心配してたよ」

松田「うんうん(苦笑)。こんな状況で意見が分かれるのはわかる、でもみんなの共通言語は“ふくしまが好き"ってことじゃないのかな?――っていうのが、俺たちの気持ちだったの。きっとみんなが一番繋がれる言葉というか。そう思ってたけど、それすら上手く伝わらない。あと『もっともっと福島に目を向けてください』って言うと『いやいや、見せもんじゃないんだよ!』って怒りの声が出てきたり。うわぁ、この言い方すらダメなのかって愕然としたかな」

後藤「あぁ……。でも、そういう難しさってあるよね。わかる」

松田「そういう意味でも、自分の伝え方、いち個人としての発言やメッセージについて、すごくシビアになってた部分もある。全然バランスが取れてなかった。だから表立った発言はしなかったけど、でも自分の中ではね、『猪苗代湖ズ』での活動を引き受けていくことが、震災との向き合い方そのものだなっていう感覚が固まってきて」

後藤「なるほどね」

松田「もちろんTHE BACK HORNでしかできないこと、東北全体に伝えたいことは別にあるんだけど、『猪苗代湖ズ』は福島に集中するし、福島の声を聴いて、福島の想いを伝える。そういう線引きは早い段階から自分で決めてた。ただ、言ったように、福島の想いも決してひとつではないし、時間と共に状況が変わってきてるの。たとえばウチは製材業で、親父と兄貴が二人でやってるんだけど、このまえ正月に帰ったら、隣町に処理場ができるっていう話が浮上してて。“あぁ……"って思ったな。この3年でずいぶん経った気がする一方、問題はどんどん細分化されて広まってる。いろんなところで二次的、三次的な影響が出てきて」

後藤「もうその処理場は動いてるの?」

松田「いや、隣の村で作られてる。中間処理場っていう名目なのかな。汚染されたものをそこで灰にして、コンクリートに収めて、それをまたどこか違う場所に移すらしいけど。でもその移転先もまだ決まってないまま処理場だけが作られていて。兄貴の立場も複雑なの。バーク(樹皮)は製材するときにどうしても出てしまうし、今まではそれをパルプとか資源にして売ってたんだけど、でも、それが汚染されてしまうと生活にモロに影響が出てくるし、じゃあ最終的にどう処理するんだっていう問題も未解決で」

後藤「林業は大変だよね。福島のあの広大な森林が放射能を受け止めてくれたという考え方もできるけど……。でも樹皮とかに付着しているわけだから、木材を作るときに問題が出てくる」

松田「そうそう。兄貴も最初そこまで深刻に考えてなかったみたい。やっぱり自分に直接関わってくると身に染みてわかるというか。だから……話を戻すけど、俺個人の発言という意味では、まだ整理がついてないところも多い。ただ、それよりも、音楽でできること、音楽だからこそできるものを突き詰めたいっていうのが一番にあるんですね。音楽の可能性っていうか」

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松田晋二(まつだ・しんじ)

松田晋二(まつだ・しんじ)

1978年生まれ、福島県出身。THE BACK HORNのドラマー。1998年にTHE BACK HORNを結成。"KYO-MEI"という言葉をテーマに、聴く人の心を震わせる音楽を届けていくというバンドの意思を掲げている。2001年シングル『サニー』でメジャーデビュー。また、2010年に福島県出身のミュージシャンやクリエーターで結成された猪苗代湖ズにも参加。2011年震災直後に緊急配信された「世界中に花束を」は収益金が震災復興の義援金として寄付されている。2014年4月9日に、10枚目となるオリジナルアルバム『暁のファンファーレ』を発表。同作では、2曲の詞を手掛ける。同作を携え5月1日から7月10日まで、「KYO-MEIワンマンツアー」〜暁のファンファーレ〜を展開。

(※1)渡辺俊美

TOKYO No.1 SOUL SET、ソロユニット・THE ZOOT16で活躍。福島県双葉郡富岡町出身。猪苗代湖ズでは、ベースを担当。

(※2)山口(隆)

サンボマスターのボーカル&ギター。福島県会津若松市出身。猪苗代湖ズではボーカル&ギターを担当。

(※3)箭内(道彦)

クリエーター。2003年『風とロック』を設立。ライブイベント「LIVE福島 CARAVAN日本 風とロック芋煮会」の企画者。福島県郡山市出身。猪苗代湖ズではギターを担当。
関連リンク:TFT2号「箭内道彦×後藤正文」