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『THE FUTURE TIMES』Gallery & Live 2014レポート

Talk Live
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渋谷「最近、上野さんがよくお話しされるんですが、昼の部のゲストで来られた木村さんもそうなんですが、自分のように家族を亡くして苦しんでいる人がまだ沢山いるはずだと。福島に限らず、宮城にも、岩手にもいるはずで。そのことをすごく気にしていて。そういう人を、ひとりでも減らしたいというか、行方不明で見つかっていない家族がいるならなんとか見つけて、帰るべきところに帰してあげたい。そういう気持ちで福興浜団を始めて。それこそ、南相馬だけじゃない、大熊など色々な場所にも足を運び活動をしている。そんな上野さんの想いに応えるように人が集まって活動をしていますよね」

安田「家族を亡くすという意味では、佐藤からも何かあれば」

佐藤「そうですね。僕も陸前高田市で両親が被災して、母が津波で流されたんですけど。ホントに最初の1ヵ月は母を捜すことに必死で。ジャーナリストとして何かを伝えようというよりは、家族として母に早く再会したかった。この早く再会したかったという意味は、生きた母と再会したかったではなくて、早く遺体を見つけてあげたかったということなんですよね。陸前高田市で、いろんな避難所を巡ったりして、母の知り合いに会ったりすると、『お母さんは見つかったの?』と聞かれるんですね。この見つかったのっていうのも、遺体が見つかったのかという意味なんですね。生き残った人たちというのは、奇跡で。早く遺体を見つけてあげなきゃいけない。4月になって、春の暖かさが増してきて、どんどんと遺体と対面できない状態になっていく。そういう状況にある人たちがまわりに普通にいて。それが日常と化していった状況があったということは、やっぱり僕は残していかなきゃいけないと思うんですよね。この被災者の数、亡くなった人の数というのは、簡単に数字に置き換えられますけど、実はそのひとつひとつが想像もできないほど大きくて。もし、たったひとりでも顔と名前が一致する人がいたら、その悲しみが、いかに想像を絶することであるかということを想像できると思うんですよね。今も木村さんや上野さんがご家族のご遺体を探されている気持ちは、自分のような人間でもまったく理解できないんですけど、想像が及ばないほど大変なことが起きているっていう感覚はあるんですよね。それはやっぱり、僕たちが復興、復興と目指しているものは、目を逸らしたいそういう悲しみだけ土に埋めてしまって、その上に街を作って『はい、これで復興が完成です』としてしまったら、また同じことを繰り返してしまうんじゃないかなって恐怖がずっとあるんです。特に今、陸前高田市には瓦礫なんてないんですよね。上野さんの家のまわりも知らない人が訪れたら、元から原っぱだったんじゃないのか、と。海のほうに行けば綺麗な砂浜があって『こんな綺麗な砂浜があったら、夏は多くの人が来たんでしょうね』って思うと思うんです。でも違う。そこに砂浜なんてなかったんです」

上野「そうですね。元は萱浜には、砂浜がなくてテトラポットと堤防があっただけ。それが全て流されて壊されてしまったから、新しくできた砂浜なんですね」

渋谷「今は朝、自宅からキラキラした海が見えるんですよね。でも前は見えなかった。以前のお写真を見せてもらったんですが、想像がつかないくらいの変貌振りで」

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