THE FUTURE TIMES

新しい時代のこと、これからの社会のこと。未来を考える新聞

誰もが助けてと言える場所「希望のまち」を目指して

誰でも助けてと言える場所
『希望のまち』

後藤「あとひとつ、聞きたいんですけれど、『希望のまち』で実現しようとしていること、どんな社会とかコミュニティーはどうあるべきかとか、そのあたりをお話しいただきたいです」

奥田「私は『希望のまち』は、幾つかテーマがあるんですけども、まず第1は助けてと言える町だと。それはもう単純で、いかにこの社会が助けてって言いにくいか。何、甘えてるんだとか、人に迷惑をかけてはいけないとか、もう言い続けてきたんですね」

後藤「はい」

奥田「最近になって、この2、3年で一番衝撃だったのは、2020年に子どもの自殺が過去最悪になるんですね。1年間で499人、子どもが死ぬんです。365日しか、ないんですよ。今日も、こうやっている間にも平均したら1人以上の子どもが自ら命を絶ってるんですね。さらに衝撃だったのは、大人の自殺って8割以上は要因が分かってる。例えば失業したとか、うつ病になったとか。でも、子どもの自殺は2018年の文科省の調査によると58パーセントが要因不明なんです。ある日突然、子どもが死んでる。けど理由がなくて要因がなくて死ぬ子はいませんよ。死ぬほど苦しんで死んでるんだから。じゃあ何が起こっているかというと、誰にも相談できない。誰にも打ち明けることができない。助けてって言えない状況の中で子どもが追い詰められる」

後藤「なるほど」

奥田「誰が犯人かって言いたいわけじゃないんですよ。なぜ、その相談ができなかったんでしょうかみたいなことを問い詰めようとしているわけじゃないけども。でも、さっきの相模原事件と同様で、それは親だけの問題じゃない。学校の担任の教師だけの問題じゃない。私たち大人が助けてって言わなくなったし、人に迷惑をかけてはいけないとか、すぐに目くじらたてて、馬鹿なことを言うわけです。子どもたちから見たら、立派な大人とか社会人というのは誰にも頼らず自立して、人に迷惑かけない。もう本当に僕、三十何年、これやってきたけども、人に迷惑かけないで生きてるやつ、1人でもいいから連れてきてほしいよ。本当。そんなやつ1人もいなかった。僕自身も含めて」

後藤「そうですね」

奥田「逆に野宿時代のほうが誰にも頼らず生きてた人たちですよ。けど自立してから、あれだけ協働性、持ってるわけですよね。助けられたり助けたりしながら。『こんなん、なるんよ』と言いながらも、迎えてもらったら涙を流して喜ぶ。だったら失踪するなよと言いたい。だったらいなくなるなよって言いたいんだけど」

後藤「確かに(笑)」

奥田「それ確かめてるのかどうか知らないけども。でも、私は、やっぱり助けてって言わせない社会というのは一番の問題だと。ただね、助けてって結構難しくて。いざとなったら助けてって言いなさいって、よく言うんだけど、いざとなったら言えませんよ。震災の時もそうでしょう。大体、災害時って日頃やっていることの半分もできないですよ。日頃やってないことは、ああいう時、何もできないんですよ」

後藤「なるほど」

奥田「だからね、もう私は、この『希望のまち』をつくったら、もう、ほとんど意味なく助けてというのを連呼するような、道を歩いてると“助けたろうかとか”言いながら、“今度でええわ”とか言いながら、“本当助けたるから、お前ちゃんと言えよ”とかって言いながら、助けてをもうボンボン安売りする。私は助けてのインフレを起こせと言ってるんですけどね。ともかくハードル下げる。それを子どもたちが見ると、“ああ、言っていいんだ”という話になると思うんですね」

後藤「はい」

奥田「もう一つだけ言わせてもらうと、今の日本の社会の二つ大きな大きな問題があって、一つは人口減少なんですよ。これはすさまじい勢いで進行してて。もう一つは実は単身化なんです。今から40年前は、全体の42パーセントが夫婦と子ども世帯なんです。これが今でも標準世帯と言われている。夫婦と子ども世帯が標準世帯。これに合わせて政策が今でも打たれてる。第2位が3世帯同居。サザエさんタイプが20パーセント。つまり、42年前、1980年は6割の世帯に家族が同居してた。2020年のデータを見ると、第1位が単身世帯で38パーセントなんです。夫婦と子どもは、もう25パーセントしかいない。サザエさんタイプは今、7パーセントしかいない」

後藤「そんなに違うんですね」

奥田「けど、僕らの頭の中の構造は40年前と変わってないんですね。だから自分は1人暮らしだけども、たまたま自分は1人であって、周りにはサザエさんとか、クレヨンしんちゃんみたいな家が多数あるんだろうと思い込んでるけども、実はいないんです、そもそも」

後藤「もう3軒に1軒以上は1人暮らしってことですもんね。数字の上では」

奥田「そう。3軒に1件。あるいは、もう数字的にいうと5軒中2軒。だから、その現実を踏まえて社会構造を変えていかないと。日本人は極端に身内の責任、これ自己責任論のまあ親戚みたいなものですよ。自分で責任取れ。取れなかったら家族が何とかしろ」

後藤「自助の次は共助って言ってましたもんね」

奥田「まさに、あの菅さん言った、あの順番なんですよ。彼は共助をというのを何をもって共助と言ったかよく分からないんだけども。それにしても、もう自助とその身内の責任はほぼ一緒。そこ、(同居人が)いないでしょう。その時に、それでも無理して身内と言ったら、ヤングケアラー問題になったり、8050問題になったりしてる。それを、町としてカバーできないのかって考えているわけです」

家族機能の社会化とは?

後藤「いろいろな問題が家族のなかに閉じていくのが一番不幸だし、それで苦しんでいる人がいっぱいいますよね。どうやって、そうした問題を社会みんなで背負うのかというのが、一つのテーマというか、やらなきゃいけないことですよね」

奥田「それを、ある程度、仕組み化してやらないと。個人で広げるというのは難しいと思うんです。あの『希望のまち』を拠点としたような、ちょっと難しい言い方だけども、“家族機能を社会化”すると。だから親は親しかできないことをやってもらえばいい。それ以外のことは、もう社会化すればいい。みんなでやればいい」

後藤「家族機能の社会化」

奥田「そうすると出番も生まれますよ。うちのおじさんたちもハッスルしちゃうんです。俺がおじいちゃんだとかって、たぶん言いだすやつがいっぱい出てきて、いいんじゃないかと。だから、お母さん10人おってもいいし、お父さん30人おってもいいし、おじいちゃん50人おってもいいやないかという。そういう世界観をもうつくるというふうに考えてるんですね」

後藤「昔って、すべての町がそうだとは言えないけど、近所のおじいさんとかをシェアしてましたよね。みんなのじいさん的な感じで」

奥田「やってました。子どももそう」

後藤「子どもたちもそうだけど。今は何か、おじいさんも孤立化していくし、子どもたちも声かけたら、警察呼ばれますよね。僕は公園で不審者とかに見られがちですけど(笑)。でも、子どもたちが危ない遊び方してたら、ちょっと声かけたくなったりするんですけど。なかなか難しい時代になって」

奥田「かつて日本は“道親(みちおや)”という言葉があって。道々に立ってる大人が親代わりで声かける。“道親”って本当にあった言葉なんです。バカボンでいったら、レレレのおじさんですよ。お出かけですかって声かけてるわけ。気いつけて行けよという。この“道親”と言われた文化が日本にはあったんだけども、なくなった。まさに今、“道親”したらネットに載るわけですよ。PTAのメーリングリストに、どこどこの交差点で子どもに声かけてる眼鏡でひげ生やした人がいますみたいな」

後藤「だから近所の子どもたちに、普通に考えたら“おはよう”くらい言いたくなるじゃないですか。でも、元気に子供の列に“おはよう”と言い続けてると、本当に通報されるなみたいな。どうして、そんなことになったんですかね」

奥田「本当に。そして一方では何か、子どもの何か避難所みたいなステッカーみんな貼ってみたり。あんなの無理して、やらないかんのかという話も思うし。何か、よく分からないですよね」

奥田「事象は違うかもしれないけど、エスカレーターの片方乗り習慣。あれも不思議ですよね。横でマイクで延々と“歩かないでください、危険ですから”というアナウンスが流れてるのに、みんな改めないですよね。東京行ったら左側、大阪行ったら右側。空いてる側を、時々、駆け上がっていく人がいるけども。あんなのも何なんですかね。2列で上がったほうが効率がいいと、輸送量はそっちのほうが高いというエビデンスが出てるのに、みんな変える勇気がないですね」

後藤「“治安がいい”とか“秩序だっている”みたいな日本ともリンクしてるから、全否定はできないけど、みんな、なかなか拍手しなかったりとか、曲が終わっても、絶対に拍手していいという空気になるまでしないというか」

奥田「誰か1人目が…」

後藤「そうなんです。それでなるべく最初に拍手しようと試みるんですけど。何か“沈黙を破ったらいけない”みたいな空気のシェアって、よくないんじゃないかって思うんです。みんな人を見てから動くよねみたいな。その代わり、誰かひとりでもやっているのが分かったら、それを超えるヤバさを出す人とかも」

奥田「乗ってくる人ね」

後藤「全体主義から、一夜にして民主主義になったみたいな、戦後の空気とも通じるかもしれないんですけど。ビートたけしが言っていた『赤信号みんなで渡れば怖くない』みたいに、あれを本当に日本人はやるんですよね。今まで我慢していた感情がひっくり返った瞬間って、ものすごいスピードで、ものすごく怖いリアクションになったりして。全然その『希望のまち』と関係ない話にいっちゃいましたけど、ああいう怖さも感じつつ」

奥田「『希望のまち』は、そういう何か集団的なものに極力ならないような、いろんな人がいていいんだみたいな、そういう町でないと駄目ですよね。全体がまとまってて1人が変わってるんじゃなくて、全員が変わってたら何が基準かもう分からないというね。そういう町があっていいんじゃないかと。だから、一番大事なのはそれを面白おかしくできるかが勝負だと思います」

後藤「なるほどね。うん」

奥田「そこを何か真面目に解釈するんじゃなくて、さっきの“いやあ、俺、時々こんな、なるんよ”というのを笑いながら、“なるんやったらしょうがないよな”と言ってる感覚ですよね。そういう本来の意味でのユーモアですね。その柔軟性みたいなもの。ユーモアって言葉は、もともとフモール(humor)というラテン語から来てて、『液体」という意味ですよね。だから、こういうカップに入れたら、この形になるし、丸に入れたら丸になる。そういう柔軟さがユーモアのセンスなんですよね」

後藤「はい」

奥田「だから、そうなると、いかにこのユーモアを持つか。柔軟性を持つかというのが、『希望のまち』はそれが勝負ですね。だから何が起こっても、面白おかしくしゃべれるかという。ある意味、ネタにしていくみたいなね。それはとっても大事なんじゃないかなと思いますね。あんまり深刻にならないという」

後藤「深刻にならずに“助けて”って気軽に言えるの、いいなと本当に思います。今日も昨日もおっちゃんたちの話を聞いていると、やっぱり自分で“助けて”って言えた瞬間から生き直せてるというか」

奥田「そうそう。助けてって言うことが人助けになるという。下別府さんは、今日、それを言ったわけですよね。子どもたちの前で話に行くときに、おじさんはずっと助けてって言えなかったと。それは恥ずかしかったし、やっぱり言っちゃ駄目だと思ってた。けど助けてって言ったら助けてくれる人はいた。助けてって言えた日が助かった日だった。それを聞いた子どもたちが“ああ、言っていいんだ”になるわけです。助けてという言葉を言ったことによって自分が助けられるということもあるけども、同時にそれを言うことによって誰かが助けられるという。ああ、助かったと思えるという。このあたりは、やっぱり本当に面白いですよね。うん。まさに最初に言った、その自分と自分が重なっていく。一つの言葉がどんどん普遍性を持ちだすというところですよね」

(2023.04.14)
奥田 知志(おくだ ともし)

NPO法人抱樸理事長、東八幡キリスト教会牧師
1963年生まれ。関西学院大学神学部修士課程、西南学院大学神学部専攻科をそれぞれ卒業。九州大学大学院博士課程後期単位取得。
1990年、東八幡キリスト教会牧師として赴任。同時に、学生時代から始めた「ホームレス支援」に北九州でも参加。事務局長等を経て、北九州ホームレス支援機構(現 抱樸)の理事長に就任。これまでに3700人(2022年3月現在)以上のホームレスの人々の自立を支援。