THE FUTURE TIMES

新しい時代のこと、これからの社会のこと。未来を考える新聞

誰もが助けてと言える場所「希望のまち」を目指して

他人に対する厳しさは
どこからやってくるのか

後藤「ある時期から他人に対して厳しい人が増えてると感じます。しかも、すごく短い期間で評価を下すようになった。何なら2、3秒で、こいつはクソと言えるみたいな。
それは結構まずいなと思っていて。とりあえず何か失敗したやつは、もう社会から排除だみたいな、徹底的に目に入らないところまで行けみたいな極端さがあって、すごく怖い。『抱樸』は全く、それとは別のタッチだから安心します。どうやってやり直せるかを一緒に考えてくれるみたいな、そういうところだと思うんですけど。でも、こういう寛容さを、『抱樸』にだけ任しちゃいけないというか」

奥田「それはそうですね」

後藤「僕らの中にも、同じような寛容さがないといけない。もう、お前も、知らない芸能人も、みんな燃え尽きろ!みたいなことって誰だって言えるけど、本当にそれで社会が良くなるのか。そういう言葉で、むしろ自分自身をザクザク切ってるのかもしれない。自分が将来に何らかの過ちを起こした時に、誰からも抱きしめられないような社会をつくることに加担している気がするというか」

奥田「本当そうですよね。なんで、そんなになっちゃったんですかね」

後藤「分かりません。そう見えてるだけな気もするんですけどね。ネット言論が荒れているだけであって、意外と街なかでは、優しい人は優しいんじゃないかなみたいな」

奥田「結局ああいう攻撃性も、ぐりっと回ると、やっぱり自己認証の不安からきてるんだろうなと。だから誰か攻撃することで自分はこうだ、俺は正しいんだって、どこか。けど、それをやっぱり誰からも言ってもらってないからなんですよね」

後藤「そうかもしれないですね。だからマウントを取って、少しでも自分を相対的に上だと感じたいみたいな」

奥田「その攻撃性というのは、相手を正そうとか、何かをつくろうとしてるんじゃなくて、結局、自分のポジションを定めようとしてるという。もったいないですよね。本当に」

後藤「生きてるだけですごいことだよ、でいいと思うんですけれどね」

奥田「本当そう」

後藤「その人が存在するだけで価値があるみたいなことをお互いに思えたら、マウントを取り合う必要ないですよね。たぶん本当に奥田さんがおっしゃったように、うまく自分を認めてもらえないってところが根底にあるのかもしれない。穏やかに自分を認められていたら、誰かを攻撃しないような気もしますもんね」

奥田「そう。だから、極端なヘイトスピーチなんかの構造も、ひょっとしたら、そういうのがあって。思想的、イデオロギー的にやっている人、それを確信してどうのこうの言ってる人もいるでしょうけども。一方で、ああいう過激なところに身を置くことで自分のポジションを見いだそうと、もがいているみたいなね。それはあまり被害者がいるから同情できない話だけども、もったいないと思うんですよね。そんなところ行かんでも、うち来たら、なんぼでも仕事あるのに、みたいな。そこで発揮しなくても、今日の夜でも、このあと8時から炊き出しあるし。雨降ってもやるし。並ぶ人いるし。君が必要だって言ってもらえる。雨の中、ありがとうねと言ってくれる人いるわけで。そこを何か人を攻撃することで自分を保とうというのは、何か、ちょっと勢いあって、かっこよく見えるのかもしれないけど、かっこ悪いですよね」

後藤「いわゆる成功のモデルみたいなのが、そのビジョンがめちゃくちゃ細ってきちゃったから、というような気もしますね」

奥田「なるほど」

後藤「他人にありがとうって言われて、必要とされることが、成功のイメージからは完全に葬り去られていて。空港の書店とか駅の書店で売ってる“秒速で稼ぐ”みたいな本とかに代表されるような、経済的成功以外は成功じゃないみたいな。社会が持っているイメージが細っているというか。豊かじゃなくなっているような気がするというか」

奥田「そうですよね。そう。その点では逆に本当、貧しい社会になりましたよね」

後藤「音楽とかも、何万回聴かれたとか、どうでもいいじゃないですか。実際は、どうでもよくないという気持ちも2割くらいあるから、どうでもいいって言い切ったのは、ちょっと違うかもしれないと言いながら思ったんですけど(笑)。でも、数字をみんなで比較して落ち込んだりすることも、盛り上がったりするのも、本来はおかしいというか。僕はいろいろなバンドと一緒に音楽を作りますけど、『できただけで、すごくない?』みたいな気持ちあるというか」

奥田「なるほど」

後藤「『実現したじゃん、やりたいこと!』みたいな。ここから先は半分運でしょうって。自分を高く売りたくてやってるわけじゃないんですよね、音楽を。自分を売るための手段じゃない。音楽そのものが目的だよねみたいな。そういう思いも、結構、数字的な思考にやられているというか」

奥田「全くそうなんですよね。だから僕らの世界でいうと、“支援”という言葉でくくられるんだけども。困っている人を支援するのは全然悪いことじゃないし、必要なこと。だから、ほったらかしにする社会は困るんだけども。一方で支援って、何か前提にある感覚が、『お前それじゃ駄目だよ』という感覚が前提にある言葉ですよ。どこかで支援、あなたのこと支援しますよというのは言外に、『お前、変われ。そのままじゃ駄目だ』という。だけど、その世界のもうちょっと手前に、その人が変わる、さっきの意欲の話でいうと、変わろうとする意欲というのが生まれるためには、ある意味、全的な肯定がないとね。だから、“変わったら相手してやる”という話じゃなくて、本当に生きてるってすごいよねとか、そこに存在していることがすごいよねとかいうのが」

後藤「はい」

奥田「あの相模原の事件も、そもそも論として、命そのものには価値を見いだしてないんですよね。そこに生産性が伴うかとか、それが何を生み出したかというところに価値を見いだそうとしてる。だから、あの植松君も裁判の中で、ぺろっと、こんなこと言うんですね。『もし自分が歌手か野球選手だったら、こんなことしてない』って。要するに、今の自分には価値がないって彼は自分自身、思い込んでるわけで。生きてるだけじゃ駄目なんだと。だから、やっぱりみんなからちゃんと評価されるような、大谷さんみたいにならないと駄目だし。もしなっていたら、こんな事件してないと言うんですよ。そうなると本当に、あれヘイトクライムでも何でもない。彼のゆがんだ自己実現の中から起こっている事件なんですよ」

後藤「そういうことか…」

奥田「みんなヘイトクライムだと思ったんですね。あれはもう障害者に対する差別事件だと。当然、ターゲットがなぜ障害者だったかという問題は残るんだけども。でも、よくよく彼の話とか裁判記録とか、ずっと見てると、実際会ってしゃべってみると、ゆがんだ承認欲求が。だからちょっとしたところで、彼がもし、そこを何らかの形で得れるような出会いがあれば、変わってたよなって本当に思うんです」

奥田 知志(おくだ ともし)

NPO法人抱樸理事長、東八幡キリスト教会牧師
1963年生まれ。関西学院大学神学部修士課程、西南学院大学神学部専攻科をそれぞれ卒業。九州大学大学院博士課程後期単位取得。
1990年、東八幡キリスト教会牧師として赴任。同時に、学生時代から始めた「ホームレス支援」に北九州でも参加。事務局長等を経て、北九州ホームレス支援機構(現 抱樸)の理事長に就任。これまでに3700人(2022年3月現在)以上のホームレスの人々の自立を支援。