THE FUTURE TIMES

新しい時代のこと、これからの社会のこと。未来を考える新聞

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『意味のない命』という言葉

奥田「今も実は全然会ったことない人の刑務所の引受人になったりするので、一応、会いに行くんですね。刑務所まで。でも話聞いてると、僕がそっち側に座ってても全然不思議じゃない。何かがたまたま恵まれただけで、その幾つかの条件が欠け落ちたら、ガラスのというかアクリル板の向こう側に座って話を聞いてる。最近ね、刑務所行って帰りの電車の中で、関西人って自分のこと『自分』って言うけども、相手のことも『自分』って言いません?」

後藤「ああ。『どう思ってるの?自分』みたいな」

奥田「そうそう。『自分、この間、何か言うてたやん』とか、『自分ら、この間どこどこ行ってたやん』って。『自分ら』とか『自分』という、この言い方は相手、『あなたは』という使い方を『自分』って言葉で使ってる。私、関西人なので結構その『自分はこう考えてる』って言いながらも、相手のことも指さしながら、『いや、自分らも、この間こう言ってたじゃん』みたいな」

後藤「そういう言い方しますね、確かに」

奥田「どっちも『自分』なんですよね。そこにおける、そのつながりの中で人格形成していくというのと、もう一つ、やっぱり相手の中に自分の存在を見ているみたいなね。だから違うことと共通項みたいなものが。『自分』という言葉って結構面白いよなと思いながら。この間、刑務所の帰りしな、そんなことを考えながら帰ってきました」

後藤「いろいろなことが違っていたら、自分が向こう側にいるんじゃないかみたいな感覚が僕にもあります。今、私がここにいるのは環境に恵まれたからだって、すごく思うんですよ。音楽についても同じで。音楽の才能があるみたいに言われてうれしいなって思うこともあるんですけど、会社で働きながら音楽をやってたときは、『ああ、このまま誰にも見つけられずに、もう諦めて静岡に帰るんだろうな』みたいな気持ちになったことがたくさんあった。どうにかこうにか見つけてもらって、『お前たち、やれるよ』みたいな声がかかって、いいスタジオに入る機会を得るようになってから、自分たちがみるみる変わっていったのが分かるというか。環境によって自分の才能が開いていくことがよく分かったんですよね。だから僕には、才能なんてそんなものだという気持ちが強くあるというか。ただ機会が開かれていないだけであって、もっと才能を発揮できる人が各方面にいるはずだって思う。だから、子どもたちのことや、貧困のことを考えるときに、与えられる機会がフェアじゃないってことが、どれだけこの社会にとっての損失かって思うんですよね」

奥田「うん。そうですね」

後藤「それは、かつての自分のことも見てるから。社会活動って結果的に自分のためでもある。かつての自分のためかもしれないし、まったく機会に恵まれなかった世界線の、想像上の自分のためでもあるというか。でも、みんなやっぱり、そういうことを考えてくれなくて」

奥田「そうなんですよね。結局、成功すればするほど俺様が頑張ったんだみたいな話になっちゃうから」

後藤「そうなんです。菅(義偉)さんのような政治家がいきなり『自助』って言うのは、やっぱり、たたき上げの人だからこそなんですよね」

奥田「そうですね。俺はやったみたいなね」

後藤「そう。実際、努力もすごかったんだと思うんですけど。そういう発想は悲しいんですよね」

奥田「いや、だから、やっぱりゴッチさんの今の話なんかは、まさに民主主義ってそういうことなんだろうと。まさにその結果平等に考えるか、機会、チャンス平等で考えるかという考え方、二つあるけども。最低、機会平等は担保しないと」

後藤「そうですね」

奥田「みんなすぐ結果平等のことで、いや、そんなのは、よくないとかって議論になるけど、最低、全ての人がその機会平等みたいな、そこを担保できるかが民主主義社会なんだろうと。この間、『白熱教室』のサンデルのあの本を読んでたら、本と同時にYouTubeかな。見てたら、大谷翔平は、あれは努力の人なのか、どうなのかという、その議論をしてて」

後藤「はい」

奥田「大谷翔平は確かに努力して頑張ってあそこまでいったと。それはそうだ。しかし大谷翔平がもし中世の世の中に生まれてたら、大リーグ自体がないから、その投手とバッターで活躍する機会はなかったと。たまたま21世紀に生まれてるから大谷翔平はあれだけ頑張れるんだという話で。だから、どこまでが個人の問題なのか、どこまでが時代や環境の問題なのか」

後藤「なるほど」

奥田「たくさんホームレスの人とかも見てきたし若者たちも見てきたけども、本当にちょっとした差ですよね。何かのかけ違いで、次のステップ行けなかったという。そこさえうまくクリアできていたら、全然あっちとこっちに分かれてないというふうに感じることがいっぱいある。だから、逆転もあり得るし、自分であるところの自分と自分であるところの自分がどこかでつながっているんです」

後藤「確かに」

奥田「だから否定できないんです、その人のことを。どんだけいらんことをしたとしても、彼は別だとは(言えない)。例えば犯罪でいったら、あの相模原事件の植松君にも会いに行きましたけども、あの植松君と会ってしゃべった時も、彼を全然擁護する、やったことを擁護する気はないけども、ひどいことをしてるわけですから、駄目なことは駄目だけども、やっぱりね、あの人の発想の中に時代の中で生きてきた人の感覚を見るんですね。彼だけが特異な異質なものじゃなくて、やっぱり時代の子だなと思うんですね、『意味がない命』とか言っちゃうのは」

後藤「今の時代の感覚ですか…」

奥田「彼自身がたぶん言われてきたことであろうし言ってきたことなんだろうと。こっちの自分とあっちの自分は、どこか重なってるように、拘置所で会った時にすごく感じましたね。面会の最後に、『君は役に立たない人間は死ねというのか』といったら、そうだと言うから、『じゃあ君に聞くけども、君はあの事件の前、役に立つ人間だったのか』と聞いたらね、彼、ぐっと考えてね、『僕はあまり役に立ちませんでした』って答えたんです。その答えを聞いて、ああ、この人も、あの自分が発した『意味のない命』という言葉の中に生きてきて、その意味のない命なのかという問いの中におびえてきた1人なんだろうなって。だからといって、あんなことをするかといったら、してはいけないんだけど」

後藤「もちろんですね」

奥田「そんなこと絶対駄目なんだけども。でも彼1人、死刑が確定して、じゃあ、あの事件終わらせて本当にいいのか」

後藤「それは同感です。私たちに責任がないのか。それぞれが彼をかたち作った社会の一員であるわけですから、自分に問うてもいいことだとは思います。だから、ああいう犯罪が起きた時に、少なからず本人の資質もあるでしょうけれども、社会がある種、育ててしまったというか、育んでしまった思想や思考でもある。だから自分は無関係だとはいつも思えないんです」

奥田「それもまた、ある意味、民主主義的な発想なんだと思うんですよね。もう全く別物にしないで全体の問題だという。私はやっぱり、たとえヒットラーであろうと、やっぱり時代が生み出していった面というのは、あると思うんです。彼だけが特異な存在。まあ特異ですよ。非常に特異だけど。でも、じゃあ全く同じ時代じゃない全然違う土地、時代、違う歴史の中に彼が生まれて、あの結果になるかというと、ならないんじゃないかなという。まあ何か、そのあたりでいうと、本当に社会のあり方をもっと考えないと非常にまずいところにきていると」

奥田 知志(おくだ ともし)

NPO法人抱樸理事長、東八幡キリスト教会牧師
1963年生まれ。関西学院大学神学部修士課程、西南学院大学神学部専攻科をそれぞれ卒業。九州大学大学院博士課程後期単位取得。
1990年、東八幡キリスト教会牧師として赴任。同時に、学生時代から始めた「ホームレス支援」に北九州でも参加。事務局長等を経て、北九州ホームレス支援機構(現 抱樸)の理事長に就任。これまでに3700人(2022年3月現在)以上のホームレスの人々の自立を支援。