THE FUTURE TIMES

新しい時代のこと、これからの社会のこと。未来を考える新聞

誰もが助けてと言える場所「希望のまち」を目指して

「“許し”って何かって、ずっと考えてきた」

後藤「支援されることって、危ないところもありますよね。支援や贈与って上手にやらないと、受けている側が過剰な負債感持ってしまって、ある種の支配性が生まれてしまったりとか、余計な劣等感を生んじゃったりすると思うんです。『抱樸』の場合は、僕が何人か会わせていただいたおじいちゃんたちは全くそういう感じではなくて、むしろ“私がここにいることで救われている人がいっぱいいる”みたいな形で、それ自体に生きがいを持ってるように見えました。おじいさんたちの苦難のエピソードから、ここまでに至る話を聞くと、そういう実感ってものすごく大事なんだなって。職業がどうこうとかじゃなくて、人から必要とされたり、お互いに必要とすることが、こんなに人間を人間らしくするんだと思いました」

奥田「その人間らしさというところが大事だと思うんですよね。私、うちのおじさんたちに救われているのは、何か支援とか問題解決は、それは野宿のままでいいわけないし、本人が嫌だというタイミングまで10年かかったりするんですけども、いずれにしても、問題を解消していくんだけども、別にいい人になるために支援しているわけじゃないんです。まかり間違うと、みんないい人になっていくと言う。ならないんですよね。人間って、やっぱりどこかだらしなかったり。僕もそうだけども。でも、そこが何か死線を越えた人たちは、やっぱり今、生きてるというところに、ちゃんと価値を見いだしてる。そういう前提がある社会の関係性と、ここまでいかないと認められないと思い込んでいる人たちの社会では全然違う」

後藤「そうですね」

「生きていればいつか笑える日が来る」。生笑一座の一員として、野宿生活からの自立を語る活動を続ける下別府さん。

奥田「今日会ってもらった下別府さんというのが、大変な状況までいって、だけど諦めないで、一回首にナイフあてた下別府さんがあそこでしゃべってると。それ自体が奇跡なんですよね。そこに基準が置けるようなベース。だから、そうなるとね、あんまりガチガチ詰めない。まあ下別府さんと僕は1回、大げんかして1年間話さなかったという。僕は、その辺では遠慮しないので、だからもう支援者との関係じゃないですね、本当に対話というか、同じところでギャンギャンやるから」

後藤「(笑)」

奥田「でもね、ある意味、命とか生きてるというところの価値自体からスタートしている関係だから、そこは“命”という言葉の中に“許し”があるんですね。“命”が“許し”の根拠みたいな。“許し”って、いいことしたら評価されるとか、謝ったら認めてもらうとか、そういうふうなイメージでとられるかもしれないけども、キリスト教においても“許し”って何かって、ずっと考えてきたんだけども、生きていることそのものに対する肯定なんじゃないかなというふうに思いますよね。どう生きてるかじゃなくて」

後藤「そうか…。そういうものすら、等価で交換できるような錯覚をすべてにおいてしちゃってるから、息苦しいというのもあるってことですね。これだけやったら救われるみたいな考え方というのが、まさに、お金を払って物を買う、対価としてサービスを受けることの比喩にしちゃってるということですもんね」

奥田「同じ。だからキリスト教も歪んじゃって、クリスチャンにならないと救われないみたいな差別性を発揮したわけですよね、2000年間。僕はもう、そういうキリスト教に辟易として、もうやめたと。クリスチャンだけ救うような神様だったら、いらないと。そんなケチなやつはいらんと。もう全部、救ったれと。もっと言うんだったら、一番、この人は救い難いと思うような、例えば植松君。植松を救ってやれないと神様じゃないでしょうという」

後藤「なるほど…」

奥田「ただ、救いとは何かというのは、認めるとか許すということ、そんな簡単なことではないと思いますよ。
でも、それにしても彼の存在自体をもう認めない、あいつはもう地獄へ行くしかないと言ってしまった瞬間に、『自分』と『自分』が重なっているわけだから、いつの間にか僕も一緒に落ちていくしかないわけですよ。だから何かそのあたりは、抱樸のおじさんたちに僕はやっぱり助けられてるのは、その最も大事な基準をちゃんと持ってる。だから、きのう会ってもらったお一人の方は、きのうちょっと夜ね、お話ししましたけど、2カ月ぐらい前に1回失踪してね」

後藤「ああ、そうでしたね」

奥田「いなくなったんですよ。どこ捜しても出てこないし。かつて10年前にホームレスやってたところも毎日のように、みんな捜しにいって。家にも手紙を置いてね。家に帰ってきたら分かるように、ドアに手紙を挟んで、開けると落ちて分かるという。そういうのを全部やっても全然出てこない。ついに1カ月近くなった時に、ある警察署から電話かかってきて、保護しているから迎えに来いと。うちのスタッフ、朝一の新幹線で行くわけですよね。『今、出会いましたって、これから、帰ります』って、うちのスタッフから電話かかってきて。結局、いなくなった理由は何やったん?と聞いたら、『いや、ご本人いわくですね、『いやあ、俺、時々こんなになるんよって言ってますよ』って』言うから。君ら、それで何て言うたの?って言ったら、『まあ、時々なるんやったら、しょうがないよね』って言って、今、連れて帰ってますと(笑)」

後藤「(笑)」

以前は支援される立場だった三好さん(左から2人目)と佐々木さん(左から3人目)。現在は世話人として、困窮者たちを支援している。

奥田「この感覚ですよね。あのね、これ支援とか何とかという世界観でいうと、もうすぐにね“事情聴取、アセスメント、再発防止計画”をやっちゃうんです。でも、うちのおじさんたちというか、僕らの基準は、もともと死線が越えられるか、越えられないかのところ生きてきた人が、野宿を脱して10年地域で暮らして、で、失踪した。どこかで事故にでも遭って亡くなってるんじゃないかって、そこは心配したけども。でも、再会した時に『いやあ、俺、これ、時々こんなん、なるんよ』、うちのスタッフも『なるんやったら、しょうがないよね』で終わっていく世界というのが、私は東京の出張先でその電話を受けたんですけど、もう電話口で大爆笑してた(笑)。翌日、帰ってきて本人と会って、ハグしながら、まあ、ともかく終わりよければ全てよしだと。元気で帰ってきたから、それでいいと。けど、『時々なるんやったら、次は俺、連れてってね』と言ったら、分かったと言いながら泣いてたけどね。だけど、人間って時々そうなるんですよ、たぶん」

後藤「なるほど」

奥田「失踪に限らず。だから、もう時々そうなっちゃうのが人間だと思ったほうが、優しくなれると思うんですね」

奥田 知志(おくだ ともし)

NPO法人抱樸理事長、東八幡キリスト教会牧師
1963年生まれ。関西学院大学神学部修士課程、西南学院大学神学部専攻科をそれぞれ卒業。九州大学大学院博士課程後期単位取得。
1990年、東八幡キリスト教会牧師として赴任。同時に、学生時代から始めた「ホームレス支援」に北九州でも参加。事務局長等を経て、北九州ホームレス支援機構(現 抱樸)の理事長に就任。これまでに3700人(2022年3月現在)以上のホームレスの人々の自立を支援。