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あの日から、そしてこれから

震災について考える時間は必要だったと思う

後藤「インタビュアーの2人はどうですか、インタビューをしてみて」

大高「私はたぶん、ここの4人全員足して悪いとこだけハイブリッドしたら私になるんです、実は。何もやってなかった時期もあるし、お前たちとは違うぞって優越感を持っていた時期もあるし、板井君みたいに自分のスキルアップのために今のいるボランティアを利用しているところもあるし、そういうことを改めてみんなに気づかされて……。自分でも分かっていて目を逸らしていたところがあるんですけど、それでメンタルがザクザクとやられていきました」

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國井「図書館のとあるスペースをずっと居場所にして、そこで毎日取材、執筆、取材、執筆っていうのを繰り返して、そこのスペースを気づいたときから “メンタルブレイクの部屋” って呼ぶようになって。やっぱり話すほうもしんどいし、聞いてるほうもしんどいんですよ。でもそこから何か見出せないかとか、何か肯定できないかっていう闘いをやって…。ものすごい温度と密度で向き合ったっていう、ちょっと浮き世離れした生活をしました。この記事を作るときに…」

大高「人間やめてるって言ってたね」

國井「だから、まだちょっとその中にいるので、今回のことを通してどうだったみたいな振り返りをやるほど私はまだ頭が冷えてないですけど…」

後藤「なるほど。聞いておいて失礼かもしれないけれど、何かが見えたりはしないんじゃないかって気もします。別にバキっと何かが急に見えたりはしないだろうって…」

大高「3年後くらいに振り返ったら分かるかもしれない。社会人になって、もっと時間をおいて、 “あ、こんなの見つけた、読んでみよう” ってなって、腑に落ちるのかもしれないし」

阿部「具体的にどうこうでもないですけど、話す前と後で比べたら、後の自分のほうが好きだなと思ってきました。だからその、就活どうこうとかには全然つながってないんですけど、でも長い目で見て、こういうことを考える時間は絶対に必要だったんじゃないかなという気はしています。せっかくこういう機会があったから、そういうところにしていきたいなと」

後藤「なるほどね。そうだよね、まだ3年たってないし、分かんないといえば分かんないですよね。海辺の町々が元通りになったかって言ったら、なってないですもんね。これからどうするのか…。巨大コンクリート建造物を造ったりして、それを僕らが将来、税金でチビチビ補修していくわけだけれど、それができるほどの税収があるのかしらとか思います。人口が減るんですよね、将来の日本は。そういう不安ってないですか」

全員「あります」

後藤「僕も心配です」

風化させないこと。書き残していくこと、語り継ぐべきこと

後藤「この記事は『震災を語り継ぐ』っていう特集の一部なんですよね。東北っていうのは元来どういう場所かっていうところから始まって、どうやって震災の記録を残してきたか、これから残していくのか、そういうことを考えるための記事を作ったんです。例えば、津波の被害で言えば、当時の義援金で “ここより下に家を建てるな” というような石碑を作ったんですね、調べて分かったんだけど。あとは集落で危機管理としての震災教育が口伝えで残っていて、沢山の人が助かった地域もあります。一方で、そういうものが全く残らず、数十年前の津波の時と似たような被害を受けた地域もありました。風化させないっていうことは、ひとつの防災になるし、大事なんじゃないのかなと僕は考えていて。でも、風化している感じって、ありますよね」

全員「あります」

大高「でもそれは避けられない」

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後藤「毎日のように気にしていたら、精神が疲れてしまったりしてやっていけないっていうのは分るんですけれど、でもあまりにもスピードが早い気がします」

大高「そうですね」

後藤「選挙みんな行かなくなったり…。行かないというよりも、大きな震災と原発事故の後なのに投票率がすごく低くて、ショックを受けました。柴田君は仙台出身者としてどうですか。全国各地の人の興味が薄れていくことに対して」

柴田「正直、それこそ自分の話はあまりしたくないですけど、でも、例えば “今日は3月11日です” ってなった時に、一緒にいる人に “忘れてた” って言われたらすごくショックだと思うんですよ。やっぱり自分の中ではつきまとうものですし、沢山の人が亡くなって、自分の目の前でそういうことがあってっていうことを忘れてほしくないですし…。僕は、自分の体験はしゃべらないってことにしていたんですけど、でも伝えていくためにはいろんな方法がたぶんあると思うので、どれがベストなのか分からないですけど、今一個一個風化していくような流れをつぶしていくしかないんじゃないかなって、この企画をやっている中で思いました」

後藤「人々の声をどれくらい残せるのかっていうことが大事だと思うんですよね。これから “3月11日” は言葉として、どんどん太いフォントになっていくと思うんです、時が経つにつれて…」

阿部「教科書の太字みたいですね」

後藤「現在何冊も出版されている震災にまつわる書籍に書かれた情報も、50年後の教科書では、そんなに沢山ページが割かれないような気がします。例えば、第二次世界大戦のことを考えると、いろんな兵士の記録が残っていることの意味って、時間が経てば経つほど大きくなっていくような気がするんです。歴史解釈っていうとても複雑な問題が立ち上がってくるなかで、シンプルにそのとき何が起きたかということが、解釈以前に情報として当時の人々の言葉で残っていることの大切さ。それが教科書、要は権力の側が作る歴史に抗うものなんじゃないかって考えています。時の権力に都合の良い歴史解釈を防ぐ役割を持つと思います。こういう特集の中で、みんなが話してくれたことが、これからどんな意味を持つのかは、今直ぐに言うのはちょっと難しいですけれど…。本当に参加してくれてありがとございました」

一同「ありがとうございました」

(2013.10.9)