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あの日から、そしてこれから

いろいろな悩み方を肯定する記事を作りたかった

後藤「自分たちでインタビューし合ってみようよというところに着地したのは、決定的な理由は何だったんですか?」

國井「(2013年の)5月13日のミーティングですね。その時に、だいぶ話し合いが行き詰まった感じになってきていて、やっぱり学生にしか書けない記事とか、自分たちには書けない記事ってなんだろう? みたいな話になっているときに…」

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板井 「 “あの時何してた?” っていう話題になって、雑談というか、ミーティングから離れたところで話が進んでいったんです。 “寝てた” とか “どこかで練習してた”とか、質問の意図からすればそこで終わるはずなんですけど、 “次の日どうしてた” とか “そこから1ヶ月後大学に入った” とか、その後何をしていたかを自然とみんなが話し始めたんですね。それが印象的で。僕たちのような、別に何か立派なことをしてきたわけではない本当に平凡な学生でも、ひとつの震災に対して、被災体験とまでは言わないですけど、それだけの当事者意識があって。どうにか記事にできないかなというのを思ったのがその時ですね」

後藤「みんなは、震災の体験を誰かに話してみたかったんだというような気づきがあったんですか?」

板井 「やっぱり、どんどん出てくるんですよね」

大高「私と國井さんがインタビュアーだったんですけれど、私たちが口を挟む隙もあんまりなかった…。取材っていっても、本当にこちらもしゃべるし、インタビューされる側だけがしゃべるわけじゃなくて…。全然関係ない話もいっぱいしました」

柴田「正直、震災について話すことになった時は、今までずっと言わないでいたことだったのでためらったんですけど、取材後はすっきりしたというか、自分の中で “これでもいいんだ” って思ったんです。それでも最近になって、本当にそれで良かったのか?って、思うようになって。でも、たぶん、この先何回話そうとも、同じような心境になる気がしていて…。それこそ板井君の記事にあった “つきまとう” というと言い方じゃないですけど、逃れられないことなので。たぶん、自分との震災との付き合い方というのは、そういうことになっていくのかなって、最近はちょっと納得してきました」

後藤「柴田君と板井君の記事を読んでると、最後は肯定的に落としたい、自分を肯定して終わりたいみたいな印象を受けたんですけれど、どうなんですか? 僕とか、もう全然自分のこと肯定できない(笑)。いろんなことについて、やっぱり今でも迷いがあるというか…。原発のこととかも、震災の前から興味を持っていたにも関わらず、いまいち腰引けていたというか、日記には意見を書いていたけれど、ものすごい量の反論が飛んでくるんですよ、震災以前から。それでもう、面倒臭いというか。怖いというか。うちの前に街宣車とか来たりとかしたらどうしようみたいな…。来なかったですけど」

一同「(笑)」

後藤「前から興味を持っていたことだったから、原発が爆発するかもしれないって分かったんですね。でも、 “逃げた方がいい” って僕は公の場で発言していないんです。もっと大きな声で “爆発するから、早く逃げろ” って言えたと思うんです。でも、“危機を煽るな” とか “パニックになったらどうすんだ” と言われる怖さがあった……。それで発信できなかった…。今でも、心の底から後悔しています。話が少し逸れてしまったけれど、記事にあった “友達を亡くしたのに泣けなかった” というような経験って、なんとなく分かる気がします。目の前で起こっていることが大きすぎて、整理がつかないまま置いてかれてしまう感じでしょう? 自分の悲しさよりも周りの人の悲しみを大きく感じてしまって、それに圧倒されてしまう。記事を読んでいて、そんなことを僕は思いましたけれど」

柴田「震災での体験を初めてしゃべったってことを、すごく仲の良い友達に話したんですよ。そうしたら “うーん……” みたいな、 “それっていいのかな” みたいな反応が返ってきて……。自分の中でも、そういう反応が返ってくるだろうなとは思っていたんですけど……。でも実際に、すごく近いところから返ってきたんで、ショックな部分がありました。なので、本当に周りの人に自分の記事として読んでほしいとは言い切れないというか……」

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後藤「はい。そういう記事ですよね。赤裸々だなと思って。僕もどうやって載せようか悩みました。友達の家族が読んだらどう思うだろうかとか、そういう想いはみんなで共有してたと思うんですけれど…。よく話してくれたと思います。でも、逆に、だからこそ “このままやっていけばいいんだ” みたいなことを記事の最後で言っているのが不思議だったんです」

柴田「そう思い込みたいっていうのがすごくあって……。結局、迷いは絶対になくならないけど、迷い続けてたら進めないし、無理に自己暗示をかけようとしてるところはありました」

後藤「大きな出来事ですからね。そして、これから社会人っていう時期ですもんね。クヨクヨしてはいられない気持ちもわかります。でも、無理に肯定した文章にすると、自己啓発本を読んでいるかのような気分になってしまう。みんな、綺麗に着地しないといけないと思ってるのかなって、記事を読んで感じました」

板井 「どこまでも内向きな記事になることに対する危惧がやっぱりあって。最初の頃のミーティングで出た “肯定” っていう言葉がすごく僕は印象に残っていて。たぶん日本中悩んでいるだろうと。東京にいる人も何かしたいと思ってるけど、東北は遠いし、なかなか行けない、とか、西日本の人は無関心だって括られることに対する想いとか、そういうことも含めて、日本中それぞれの場所で、それぞれの悩み方があると思うんです」

後藤「同じような思いを共有している人たちに伝えたいと」

板井 「そういう人を肯定するって言ったらおこがましいですけど、そういう記事になれたらなっていうのは少しあって。それが結構文末に出ているのかなと思います」

後藤「なるほど。もう一歩踏み込んで伝えたい、というような気持ちがあったんですね」