HOME < 被災地に寄せる自衛隊員の想い -Connecting the dots vol.4

被災地に寄せる自衛隊員の想い -Connecting the dots vol.4

職業における使命と、個人の尊厳について

大宮「自衛隊は入隊するときに、命懸けで国を守るって宣誓するんですよ。“ことに臨んでは、危険を顧みず“という感じで。それをやっているのは自衛官だけなんですよね。なので、最後は僕らだけが残ってやっていたんですけど…。だけど、恐らく警察官だって “俺たちだって原発の最後まで救助に行きたい”と思っている…、消防にも…、そう思っている人が沢山いるだろうなって…」

後藤「なるほど」

大宮「どうして俺たちが行けない地域があるんだって、警察の人は特に想ったんじゃないかなと…」

後藤「そのあたりが、一概にまとめられないから、難しいですよね。みんな警察なら警察ってまとめて話をしますけど、救助に行きたい人もいただろうし、逃げたい人もいただろうし…。実際に逃げた人もいるかもしれないし。個人としての意志や尊厳が先なのか、職業としての使命が先にくるのか、とても重たいテーマですよね」

大宮「切ないですよね。大多数の人間は命を投げ打つ覚悟でやっていて…。方や、身の危険を感じて、自分の命を守るためにそこから離脱する人もいる。例えば、そういう人が1人でも出れば、自衛隊は何やってんだと言われてしまうこともある。いろいろな想いの中で、それぞれ必死になってやっていましたけどね」

後藤「う〜ん…。そうですよね。そういう自衛隊の方の想いとか立場とか、僕は聞いたりすることがなかったので、そういう話を聞くと、ありがたいなという気持ちにしかならないです。でも、今になっても悔いが残るのは、本当に原発の事故さえなければ、もっと状況は違ったなって思ってしまうからなんですよね」

大宮「助けられた人は…、もっともっといると思いますよ」

後藤「そうですよね…」

大宮「あの時期、寒かったんで…。外に投げ出されている人がいたら、本当にもう…マズいなっていうか…。この寒い中、外に投げ出されている人って、一刻も早く助けなかったら、折角助かっていても無駄に命をなくしてしまうっていうのは、救助に向かいながら思っていたし」

後藤「そうですよね…。例えば、骨だけ折れていて、生きていた人もいたかもしれないですもんね。う〜ん…。そういうことは、自分の中でもまだ上手く消化できないでいます…」

大宮「ですよね…」

後藤「当時、放射能の恐怖というか、健康への影響がよく分からない状況でも人を助けに行った人たちがいるなか、自分は一体何をしていたんだろうかという気持ちもありつつ…」

甚大な被害と、壮絶だった捜索活動

後藤「僕が大宮さんにインタビューすることで、私たちの町は見捨てられたみたいな…、自衛隊が来てくれなかったみたいな…、そういう精神的な隔たりを少しでも埋めたいというか…」

大宮「う〜ん…。それは凄く切ないというか…。隊員の誰もが一刻も早く行きたいと思っていたところですけど…、現地の人たちからすれば…、そういうことは分からないわけですし…」

後藤「そうですね…」

大宮「早く来て欲しかったんだなって…」

後藤「やっぱり原発のない岩手とか宮城には自衛隊がスっと入ってという印象が、あるのかもしれません。それはテレビを観ての印象なのかもしれないですけれど…。僕もそういうイメージを、部外者ですけど持っていますし」

大宮「本当に、今回がはじめての事故だったので、タイベックスーツを着て行くとか、そういうマニュアルが全くなかったので…。仮にですけど、絶対にあって欲しくないですけど、もしものことがあったら、危険区域だの関係なく全自衛隊はタイベックスーツを直ぐに準備して飛び込んで行く学びは今回の事故であるはずだと思っていて。同じ想いは絶対にして欲しくないと思っています」

後藤「すごいな…。そうとしか言えないです…。そうやって何があっても、——例えば、今回の経験があるから次はタイベックスーツを着て入って行くんだっていう、そういう命の懸け方っていうんですか…。改めて、自衛隊はすごいなって思いました、僕は」

3月17日捜索写真

大宮「12日に現地に入った人間というのは、水浸しの中、突っ込んで行ったんですよ。こういう状態ですよね。これは17日の写真です。水浸しになって、ご遺体を抱き上げて…。捜索が進んでいくと、中には腐敗しているものもあるんです。そうすると迷彩服に肉が張り付いてしまうんですよね。そういう状態になっても、一晩明かさないといけないんです」

後藤「その服のままですか?」

大宮「なぜかというと、12日から現地に入っていて、迷彩服は2着持って行っているのですが、帰るときのための綺麗な迷彩服を一着残しておかないと、それで高速道路とか乗れないので…。ご遺体を抱き上げるんですけど、そういうときに付着してしまっても、そのまま寝ざるを得ない状況だったと隊員たちは言っていて。ビショ濡れの状態でも、一晩明かして、また次の現場へ向かうという感じで…」

後藤「はい…」

大宮「もう壮絶な状況のなか、自衛官はやってましたよね…」

後藤「そういう状況のなかで、何キロずつか、何百メートルずつか潰しながら捜索していったってことですよね」

大宮「こんなに瓦礫がある状況で、ローラーしていくんですよ。今考えてよくできたなって思うんです。福島の(沿岸部)全域をこうやって進んでいくってことですよね、要は」

後藤「北と南から」

大宮「福島だけではなくて、言ってみれば東日本一帯ですよね。それを人力で捜索していくわけですよ。それはとても時間がかかるし…。このときに初めて自衛隊は50万人ですか、半分の人間が東日本に入って…。僕は福島にいましたけど、九州から来ている同期に会ったりしました。そんな遠くから何日もかけて来て活動して、またチェンジしてというのを繰り返しながら、何万人がそれぞれの被災地を人力で…。グラップルというハサミのついた重機が大活躍したんですけど、これでまず瓦礫を撤去するんです。そこに自衛隊なり警察なりが行って、人がいなければ赤スプレーで丸を書きながら、どこまで来ているっていうのを表示しつつ、どんどん進んでいくんですよ」

後藤「はい」

大宮「それで福島県を全捜索するので…。これだけ瓦礫の量がすごくなっているのって、新潟でも見たことがなかったし、撤去しながら、こういう水浸しのところをボートで、六角棒でつつきながら捜索していったんですよ。自分たちのことですけど…、本当によくできたなってくらいの甚大な被害だったというか…。まだ見つかっていない人がいますからね…」

後藤「そうなんですよね…。それはもう、なんとも…」