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箭内道彦

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東日本大震災という大きな出来事を経験した私達は、これからどんな“未来”を作っていけるのでしょうか。「THE FUTURE TIMES」では、これから時間をかけて、様々な人の声を紹介していきます。今回は福島県出身で、東日本大震災以前から福島出身のミュージシャンたちと猪苗代湖ズを結成し、福島を盛り上げてきたクリエイターの箭内道彦さんに現在の福島への想いを伺いました。
■対談実施 2012年2月2日

取材:川口美保 構成:千葉明代 写真:外山亮介

“中央”と“緩衝材”という意味で“真ん中”に立つこと

後藤「デモに関して言えば、こういうものを作ることで、歩くデモに偏見を持つ人たちとデモをやっている側の主張の真ん中に立って、緩衝材になっていったら面白いなと思っているんです。いろんなものの真ん中にポンッと置けたらいいなと思うんですよね」

箭内「『真ん中』というのは今すごく大事ですよ。『中央』ということと『緩衝材』ということの両方の意味で。僕も3月4月はとにかく自分たちの故郷だからということで、バーッと突っ走っていたけれど、だんだん少しずつ、“だったら、なぜ住まないの?”って質問してくる人がいたりして、そこはいろんな考えがあって、東京でたくさんお金を稼いで寄付をするんだという考えもあるし、東京にいるからできることも絶対にあると思ってもいる。間に入ることは、東京にいないとできないなと思うんですよね。県内にずっといる人たちと、あと、避難していった、かなり全国に散らばった人たち、そこの間の人間がもっともっといろんな場面で機能しないと。今、白か黒かということだけが問いを突きつけられている気がするので、『緩衝材』というのはすごく実感できますね」

後藤「ふたつに分けるの、みんな好きですよね」

箭内「やっぱり、ふたつに分けないといられないくらい苦しいんじゃないですかね。曖昧にしたり、真ん中に立ったりするのって、結構タフじゃないと難しいんですよ。タフか、もしくは無神経じゃないと。そう思うと、音楽をやっている人で、30代半ばから40代の人たちは頑丈ですよね」

後藤「そうですか?」

箭内「40代は特に頑丈だなと思いましたね。20代の人たちはものすごく悩んでいるじゃないですか。“今歌うべき歌はどんな歌だろう”とか、“こんな歌を歌ったら誰かを傷つけてしまうんじゃないか”とか。まだそこの部分に関しては鍛えている途中なんですよね。でもアジカンがこういうことをやれているのは、この10年やり続けてきて培ってきた包容力だと思うんですよ。それは30半ばというのがひとつのタイミングなんだなということを、震災以降、いろんな人を見て思いましたけどね」

後藤「箭内さんのやってることも、いろんなものの真ん中にいる気がして興味があるんですよね。たとえば9月(2011年)に『LIVE福島 風とロックSUPER野馬追』を開催されたじゃないですか。あれも多分、“こんなところでライブやって”とかいろいろ言われたんじゃないかなと思うんです」

箭内「(笑)」

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後藤「8月15日に大友良英さんたちが行った『8.15世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!』もそうだと思うし」

箭内「福島で生きてる人がいるからね。生活している人が。その人たちのこともやっぱり考えないと、避難すればいいっていうことだけじゃない。190何万人もいるわけだし」

後藤「そうですよね。実際に福島に行ってみるとわかりますよね。こんな大きな街、まるごと動くわけないだろって。でも投げつけられている言葉は、一切そういうのを無視して、なんらかのイデオロギーにおいて濃縮されたものをボコボコ投げている感じがする。だからフィールドワークをしようというのがあるんです。行ってみないとわからないことが山ほどあるから」

箭内「本当に行ってみないとわからないことはたくさんある」

後藤「実際、『LIVE福島』をやられてみての今の想いを聞かせていただけないですか」

箭内「あれは、僕は、ムチャなことをやりたかったんですよね。個人の想いであれだけの人に協力してもらうなんて間違ってるかもしれないんだけど、何にも予定を立てられない現状の中で、“9月にこういう形でやります”っていうことをちゃんと約束して現実することが、福島にいる人たちにとって、すごく必要な気がしたんですね。あとはYouTubeでライブ配信したんですが、191万くらいの人たちが生で観てくれたんです。その時にカメラマンたちに僕が指示したのは、演奏者以上に、観客としている福島の人たちをたくさん撮って、それを全国や世界の人たちに観てもらうようにということだったんです。だから、歌っている人たち以上に会場の人たちを映したんですよ。
『LIVE 福島』をやったのは、ちょうど震災後半年目あたりだったんですけど、福島の人たちは半年間こらえてきてね、きっと泣きたくても泣く場所がなかったり、大きい声を出したくても出す場所がなかったりしたと思うんです。もともと音楽を好きな人や音楽の楽しみ方を知ってる人だったら、“じゃあフジロック行ってくるか”とか、“近いからひたちなかでのフェスに行ってくるか”ということもできるんでしょうけど、『LIVE 福島』は、そういう音楽好きだけじゃなくて、じいちゃんばあちゃんたちもいっぱい来てくれて、みんな泣きながらコブシ振り上げて歌っていたんですね。その時にたまたまみんなが歌える歌が、『I love you & Ineed you ふくしま』だったというだけで。なのに、そんなのも許されないで、“家の中でずっと雨戸閉めていなさい”なんて、外の人が言う権利はないんじゃないかと思ったんですよね。1日くらいみんな、外で笑ったり泣いたりしないとやってらんないっすよっていう」

後藤「確かに、そうですよね」

箭内「そういう意味では、あのイベントに関しては、原発に対するどういう思想のもので行動しているかとか、復興をどう考えているかとか、何にもないんですよね。ただ、福島を、さっき言ったように、忘れないでいてほしいし、福島で暮らしている人たちのことを見てほしいということだけでした。
だから福島の中でも反対もあったし、猪苗代湖ズの歌も“あんな歌、聴きたくない”という人もたくさんいたし……。でもそっちに合わせてしまうと何もできないということになってしまう。そこは僕も葛藤があったんですけど、待ってくれる人の強い気持ちに抗えなかった。もちろん放射線量もきちんと調べた上で、途中で会場を変えたりもしたし、“何かあったらどうするの?”ということもものすごく言われていたので、その最中には何も起きないという自分なりの取材や研究に基づいてはいたんですけど、基本無我夢中でやったみたいなところが大きいですね。大友さんたちは8月にやって、来る人たちも僕たちのイベントに来る人たちとはまた違う層の人たちだから、そうやってみんなで手分けをしてやらないと。全員がひとつの考えにはならないし、ひとつにすることはできないんだという前提があった上で、その人たちの間に立てないかなというのはすごく感じましたね」

後藤「それはよくわかります」

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箭内道彦

箭内道彦(やない・みちひこ)

1964年福島県生まれ。東京芸術大学卒業後、博報堂に入社。2003年『風とロック』を設立。10年、福島県出身である山口隆(サンボマスター)、松田晋二(THE BACK HORN)、渡辺俊美(TOKYO NO.1 SOUL SET)とともにバンド『猪苗代湖ズ』を結成。11年3月にチャリティソング『I love you & I need you ふくしま』を発表した。