2026年2月26日 大慶寺本堂(静岡県藤枝市)
旧東海道の宿場町・藤枝に、新しい音楽スタジオが生まれようとしている。
アップルビネガー音楽支援機構1が手がける「MUSIC inn Fujieda」だ。そのオープンを前に、大慶寺の本堂で開かれたトークイベント「藤枝トーク Vol.1」。宗教学者の釈徹宗2、僧侶でまちづくりにも携わる大場唯央3、そして進行役にASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文4。三者が語り合ったのは、信仰と芸能が宿場町で果たしてきた役割、そしてこれからのコミュニティのあり方だった。
異質なものの接触面
──宿場町に芸能が生まれる理由

後藤今日は釈先生と大場さんのお二人に、藤枝の街について、そして音楽スタジオと絡めて、芸能と町──この辺りは宿場町でしたから、かつての芸能の流れについてもお伺いしながら話を進めていけたらと思います。今日は大きく二つのテーマをお二人に投げさせていただきました。一つ目は、藤枝のような宿場町で、お寺も含めた信仰、そして芸能が、一体どういう役割を果たしてきたのか。二つ目は、これからこの地域の未来を、お寺や信仰や芸能がどうやって支えていけるのか。新しい宿場町のあり方として、私たちがどういうふうに関わっていけるのかというところまで着地できたら素晴らしいなと思っています。釈先生、今日このあたり──岡部から島田あたりまで案内しましたけど、どうでしたか。
釈旧東海道を案内していただいて、後藤さん自ら運転していただいて、本当に贅沢なことでした。やっぱり興味深いのは、大井川のところと岡部。海や川が迫っている地域と、山間部の地域。両面を持っているところの魅力ですね。農村部があり、多くの人が行き交う交通の要所であり、いくつかの要素が複合的になっている。そういう印象を受けました。
後藤そうですか。
釈大体そういうところって、世界中どこに行っても新しいものが生まれるんですよね。特に芸能が発生するのは、そういうところなんです。異質の者同士が接触するインターフェースのところが一番クリエイティブで、そこに宗教者がウロウロする、芸能民がウロウロするということになる。たとえば京都の南座──歌舞伎をやるところがあるでしょう。あそこが出雲の阿国が島根県からやってきて念仏踊りをしたところで、歌舞伎の発祥なんです。川の境界があって、東山があって、大谷という古代からの死体廃棄場所がある。生と死の境界線、川と山のインターフェース。あそこに芸能も発生しましたし、空也とか一遍という人がうろうろして、そこに新しい信仰ムーブメントが生まれた。異質なものの接触面が、やっぱりクリエイティブなんですよね。
後藤網野善彦さん5の本を読むと、あの世とこの世の境界線上っていうのがキーワードですよね。辻──交差点もそうですし。
釈ええ。交通の要所として多くの人が行き交うポイントでもありますし、そういう人を受け入れる側のホスピタリティの問題がある。農村で定住している人たちの葛藤と、多くの人が行き交う地域のコンフリクトは、やっぱり事情が違うんですよ。行き交う地域の人は、「また来たい」と思ってもらわないと成り立たない。だから農村部で起こるハレーションとはまた違うハレーションが起こる。それを克服するための工夫も変わってくる。そこに芸能の問題も関わっているんですよね。
芸能の起源
──真似る技、祈りのかたち

大場その前にまず大前提として、後藤さんの問いがあったんですけど、「芸能」っていう言葉と「信仰」っていう言葉。特に「芸能」って、僕からすると、なんか手の届かない領域みたいな感じで、ちょっと自分ごとから離れてしまう感覚があるんですけど。「娯楽」とかだとまだ近いんですよね。そのあたり、芸能とは何かっていうところも釈先生に聞きたいですし、後藤さんにそれをチョイスした意図も聞きたい。
後藤芸能と信仰はかなり近いと思っています。捧げものですよね、芸能っていうのは。
釈芸能民と宗教者は混在しているんですよ。宗教者は時に芸能民の役割を果たし、芸能民は時に宗教者の役割を果たす。これは全人類的なパターンとしてあります。
後藤コンサートに行ったら宗教みたいだと感じることがあるじゃないですか。近いんですよ。だから割とその区別なく、このふたつっていうのは、私たちが穏やかな、あるいは豊かな精神的な営みを絶えず生み出していくうえで、重要な役割を持つんじゃないかと。逆に言うと、今、芸能が即時的な娯楽になりすぎていて──それ自体は悪いことだと思わないんですけど──本来はもう少し豊かに、時間を引き延ばしたり、ほぼ祈りに近いような歌を聴いて安らいだりする役割があったのではないかと。
大場はい。
後藤ただ、それが資本主義的な、現金回収の歯車の一つになってしまっている。時間の流れを人間らしく取り戻すために、信仰や芸能には役割があるんじゃないかって、僕は時々考えるんですね。
「姿を真似する技」
──芸能の語源
釈芸能民の大切な役割として「祝福する」というのがありまして、特に「予祝」6という、あらかじめお祝いをする役割。地域を褒め称えたり、収穫を祈ったり、感染症が流行らないように祝祭芸を行う。日常を讃え、日常が順調にいくために非日常を持ち込んでくる。非日常を生み出す場を作るという意味では、宗教者も同じ役割を果たします。
後藤はい。
釈「芸能」という言葉の語源をたどると、「芸」は「わざ」、「能」は「才能」と普通は説明するんですが、「能」の下に「心」をつけると「態」という字になるでしょう。だから、「姿を表現する技」という意味があるんじゃないかと僕は思っているんです。もっと平たく言うと、「姿を真似する技」。
後藤なるほど。
釈たとえば、動物の真似をする。人間は飛べないけれども、鳥の真似をすることによって鳥の能力を身につけようとする。鹿(しし)踊りとかあるじゃないですか。古代インドでは、孔雀がコブラを食べるので、コブラへの恐怖が強い地域で孔雀は憧れの対象になった。古代人はどう考えるかっていうと、「自分が孔雀になろう」って思うんですよ。野生の思考というか。孔雀の真似をしたり鳴き声を出したりする。そのうち孔雀のマントラが生まれ、孔雀明王という信仰が生まれる。もう一つは、宗教儀礼の真似ですね。宗教者は独特の抑揚で文言を唱えたり、独特の仕草で儀式を行う。でも宗教者以上に見事な声で語る人、見事なステップを踏む人が出てくる。そこに観客が発生すれば、もう芸能が生まれる。宗教儀礼を元にした芸能というのは、世界中にあるパターンです。

宗教学者。浄土真宗本願寺派如来寺住職(大阪府池田市)。相愛大学学長、武蔵野大学総長。NPO法人リライフ代表。著書に『いきなりはじめる浄土真宗』『落語に花咲く仏教』など多数。比較宗教思想を専門とし、宗教・芸能・地域社会の関係について幅広く論じている。

僧侶。静岡県藤枝市を拠点に、宗派の枠にとらわれない活動を展開。まちづくり会社の立ち上げにも関わり、アップルビネガー音楽支援機構の活動にも協力している。

ミュージシャン。ASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカル・ギター。音楽活動のかたわら、文筆活動や地域振興にも取り組む。アップルビネガー音楽支援機構理事。



