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『THE FUTURE TIMES』の今までとこれから -インタビュー: 編集長・後藤正文-

「新しい時代のこと、これからの社会のこと。未来を考える新聞」をテーマに、2011年に創刊された『THE FUTURE TIMES』。 紙面では、震災以降の東北各地や、次世代エネルギーの現場などを訪ね歩きながら、さまざまな分野の識者の取り組みから新しい暮らし方のヒントを探ってきた。 創刊から約6年が経った今、編集長である後藤正文があらためてこれまでの歩みを振り返る―。

構成:金子厚武/撮影:中川有紀子

〝未来を考える新聞〟はこうして生まれた

——『THE FUTURE TIMES』の創刊準備号が発行されたのは2011年7月です。それから約6年で8号が発行されてきましたが、まずは創刊の経緯から話していただけますか?

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「東日本大震災が自分の中でとても大きかったです。それ以前にも社会に対して考えていたことはあったけれど、自分の意見を世の中に向けて発信したいっていう欲求は低くて、自分がやりたいのは音楽だし、ミュージシャンが社会に何かを積極的に発信するのって、嫌悪とまでは言わないけど、『社会的なことってそんなに簡単に歌にできるのかな?』みたいな疑問もあったんですよね。とはいえ、社会の問題はどうしたって生活する目線の先にあるから、単焦点のレンズでずっと音楽だけを見ていていいのかなっていう問いも、同時に自分の中で湧き上がってきて」

——震災以前は、どんなことに関心を持っていたのでしょうか?

「社会に対する意識が徐々に高まるなかで、実際に自分の目で見てみたいと思うようになって、ツアー中にいろいろな場所に行きました。大人の社会見学みたいな感じで、六ヶ所村に行ったり、上関原発の建設予定地に行ったり、軍艦島の炭鉱跡に行ったり。『Not In My Back Yard』(※注1)の問題に興味があったから、沖縄の米軍基地も巡って。辺野古を初めて訪れたのもツアー中でした」

——そうした背景があった上で、震災が行動を起こすきっかけになったと。

「関心があるのに黙っていたところがありました。自分の臆病さに気づかされたんです。震災によって、日本の社会のあり方の良くない部分が露わになったと思ってるんですけど、でも、それを一方的に誰かのせいにして非難することはできない。自分の責任でもあると思った。だから、まずは自分から改めよう、できることをやってみようと。ただ、その頃はデモ行進には参加したことがなくて、抵抗感があった。ボランティアに行こうにも腕っぷしが弱いというか……」

——当時で言うと、パンク界隈の人たちが率先して現地に向かいましたね。

「僕は煮えきらなくて、グズグズしていました。いろいろ考えて、自分のやり方はポジティブなものを集めるというか、面白い視点を持ちながら、ユニークな活動をしている人たちの話を聞いて広めるのがいいんじゃないかと思ったんです。将来についてみんなで考えたり、話し合ったりすることが大事なんじゃないかなって。社会全体をよくするようなアイデアが自分の中から出てくるとは今でも思っていないんです。僕はロックミュージシャンとしてはちょっと変わっていて、万能感が一切ないので(笑)」

——そこから〝未来について話そう〟というコンセプトが生まれたわけですね。

2013年7月発行05号
「贈与とお布施とグローバル資本主義」
思想家の内田樹、浄土真宗住職の釈徹宗、後藤正文による鼎談。グローバル経済の進展で社会のすべてが“商品”に、人々は“消費者”に見なされるようになった現在。“贈与”と“お布施”という概念をカギに、“お金だけじゃない” 社会を創り出すヒントを探った。

「みんなで未来をよくしたいと思うことが大事だし、そのための活動をする人たちがいることを学ぶのも大事かなって。取材を始めてみたら、面白い人がホントにたくさんいて。自分たちの知らないところでユニークな研究をしてる学者もたくさんいた。聞くべき人の話を聞くことで、自分も社会的に大人になっていけるんじゃないかって、取材をしながら学んでいます」

——〝無料で配布される新聞〟という形式については、どんなこだわりがあったんでしょうか?

「内田樹(うちだたつる)先生と釈徹宗(しゃくてっしゅう)先生が『贈与』という言葉を鼎談(2013年7月発行05号「贈与とお布施とグローバル資本主義」)の中で話してくださったように、自分の持っているものを他者に差し出すような活動にしたいと思って。募金をするように、社会に行動を寄付すればいいんじゃないかと考えたんですよね。お金以外も寄付できるんだと。そして、売り物にしたら必ずしがらみが生まれるので、一度、お金との関係を切り離してみたいとも考えました」

——それはボランティアの考え方とすごく近いですよね。

「それから、もともと民俗史に興味があって、震災前から読んだり考えたりしていたこともすごく大きくて。たとえば、西洋音楽史の本を読みながらミュージシャンの役割について考えてみると、遠いロックの祖先みたいな中世の吟遊詩人たちは、楽器を持ってヨーロッパの荘園や街を渡り歩いてた。彼らは、そこでただ演奏したり歌ったりするだけじゃなく、『あっちの街では戦争が始まった』とか『向こうの国では飢饉が起きてる』とか、ニュースを土地から土地へ伝える役割も持っていた。つまり、ミュージシャンには昔からニュースペーパーとしての役割があった」

——かつての吟遊詩人の役割を、自分に置き換えるような感覚があったと。

「だから新聞作りは音楽でいう『カバー』みたいなものっていうか。楽曲をカバーするように役割自体をカバーする、引き継ぐ。だとしたら、ミュージシャンが新聞を無料配布することには、何も矛盾もないって思ったんです。当時、レディオヘッドのトム・ヨークが新聞を配ってたりして、それも参考にしました」

——『The Universal Sigh(世界のため息)』(※注2)という新聞、タイトルもインパクトが大きかったですね。

「徐々に自分のやることに対して迷いがなくなっていきましたね。あと、もうひとつ言えば、紙に文字を書きつけた方が強いなって思った。これは哲学者の佐々木中さんから受けた影響もあるんですけど、文字には5千年くらいの歴史があって、日本でも古い木簡から新しい史実がわかったりするじゃないですか。メディアに何かを書きつけておくと、時代を貫いて残る可能性があるんだなって。音楽をメディアに収める歴史って本当に短くて、レコードは100年くらいだし、CDだって30~40年の話だから、ちょっと心許ない。そう考えたら、紙に書きつけて残すっていうことの強度が、より浮かび上がってきますよね」

——確かに、そうですね。

「僕たち庶民としての言葉を書きつけておく必要があるとも思ったんです。権力者たちが自分にとって都合のいい言葉で語るように、この先、この数年の歴史もたった数行の見出しとして編集されてしまうかもしれない。郷土史のようなものを自分たちで書き残しておかないといけないなって。戦争の記録だって、ほとんど燃えてなくなって、太文字の記録しか残ってないから、末端の兵士たちの気持ちを想像するには、当時の日記や手紙を手がかりにするしかない。でも、ほとんどの人は誰に何を語るでもなく亡くなっている。だから、この時代の不条理を書きつけておくことは大事なんじゃないかと思うし、まだ生まれていない世代に対して、すごくいい資料にも、贈り物にもなると思っています」

東北の〝複雑さ〟を前に引き裂かれ、逡巡する

——では次に、紙面の中身についてお伺いしたいのですが、震災・原発事故以降の東北を追いかけるというのがベーシックにありつつ、東北を見つめることによって日本の社会全体が置かれた現状を浮かび上がらせようという視点がありますよね。

「東北のことは放ってはおけないですよね。どう考えても、みんなで取り組んで行くべき課題だと思うし、まるでなかったことのように、オリンピックに突っ走っていく気運には違和感があります。まだ6年しか経ってないわけで、忘れるには早すぎます。だからこそ、『THE FUTURE TIMES』では、同じ場所や取材対象者を何度も訪ねて話を聞くっていうことを意識的にやっていて」

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——継続的な取材が基本姿勢になっていますね。

「いろいろな情報を網羅的に掲載する能力では、一般の新聞や週刊誌に敵わないですから。取材網も違うし、関わってる人の数も違う。だったら、同じ人に何回も話を聞くのがいいんじゃないかなって。いわゆるニュースって、大きなイメージや視点に集約されてしまいがちだけど、実際は物ごとって複雑で、全員に話を聞けば四角形みたいな整った形じゃなくて、なんとも言えないでこぼことした形だと思うんです。そういう複雑さを受け入れることは大事で、それができないと排他的な社会になってしまう」

——なるほど。

「だから、見出しのような言葉で一般化していくのとは逆のことがやりたいんです。特に、東北に関してはそれが必要なんじゃないかと思う。一般化できないんだっていうこと。仮設住宅ひとつとっても、『なんでもいいから早く引っ越したい』という人もいれば、『こんな建物はあんまりだ』って思う人もいるわけで、その難しさを受け入れるしかない。福島で起きていることも、もちろん、すぐにでも町を立て直して、みんなで戻って、以前のコミュニティを取り戻したいっていう気持ちもよくわかるし、一方で、『戻るのは怖い』っていう気持ちも否定できない。そんな状況を見聞きしたときに、僕らがあいだに立って意見を整理することなんてできないんですよ」

——そうですね。

「じゃあどうするのかって、そこで自分の無力に打ちひしがれるしかない。でも、そうやって言葉を失ったり、『どこから取り掛かればいいかわからない』って途方に暮れたりすることって、大事なんじゃないかと思うんです。どちらかの側に立つのは簡単なんだろうけど、そうすると分断が起こる。そうじゃなくて、その複雑な物事の成り立ちの前で、自分の無力や矛盾を引き受けながら思い悩むっていうことが、今の僕たちに必要な態度なんじゃないかなって思う」

——それが『THE FUTURE TIMES』を作る上でも前提になっている。

「わかったような気で語っちゃいけないし、代弁なんてできない。いわゆる新聞や雑誌のインタビュー記事では、文体が過剰に整理されたり、ある方向に発言を誘導されているような印象を受けることがあって。『福島を返せ』って、福島の人が言うのならばいいけど、勝手に代弁することには違和感がある。あくまで自分の問題として考えて、自分の言葉で語るべきだと思う。自分自身が引き裂かれる過程や、そうした逡巡を引き受けないで、たった一行や二行の見出しにまとめないでくれと思う。自分も詩を書く人間だから、言葉がイメージを一般化してしまう危険性について、自省しながらやっています」

——東北の記事とも関連して、創刊号からエネルギーの問題も定期的に取り上げていますよね。「震災以前から気になっていた」という話でしたが、取材を通じて考え方に変化がありましたか?

「エネルギー問題は、発電方法がどうこうっていう表面的な話ではなくて、社会の在り方や、僕たちの欲望そのものついての問題だと感じています。原発の問題って、ごみの問題だと思うんです。捨てる場所がない廃棄物を作り続けてしまった。処理には一万年、十万年かかるっていう説もあるし、そんな先まで管理できるはずがない。そもそも自分の作った何かが千年先まで残るとはとても思えないし、一万年後には国家っていう考え方が瓦解してるかもしれない。そんな不確定な未来に向かって危険な廃棄物を残すやり方自体に問題があると思います。それは同時に、僕ら自身の『消費』の問題に跳ね返ってくるんですよね。ミュージシャンも電気を使いますしね」

——原発の問題は、自分たちの身近な暮らしの問題に直結していると。

「そう。身の回りの暮らしを整えていくと、世の中が少しずつよくなると思うんです。たとえば、日本の建物ってスクラップ&ビルドが基本だけど、海外のいろいろな街を見ると、文化的な建物は大事に残しつつ、中だけ改装して使ってるんですよね。日本は地震も多いし、東京は一度全部焼けちゃったから、更地に戻すような文化が根付いたのかもしれないけれど、他にもやりようがあると思う。農作物にしたって、人々が何を望むかで農業のあり方も変わる。『形の整った野菜がどこでも安く買える』ことを望むから、そのしわ寄せが農家に行く。いびつな形をした野菜がバンバン捨てられることにもなる。街や社会の在り方と自分の生活の結びつきについて、疑ったことすらない人もいると思う。でも、そこに『なぜ?』って疑問を持つことは大事だと思います」

——自分の消費行動にちょっとした『なぜ?』を持つだけでも、変化のきっかけになる可能性がありますよね。

「莫大なお金を使って、山を崩して、老朽化したら壊すビルを作るのか、それとも、山で木を育てて、みんなで家を補修しながら暮らして、また別のところにお金を回すのか。何をどうやって未来の世代に受け渡していくのかって、自分たちがどう生きるかっていうことと関係していて、現状を少し変えるだけでも、未来は変わっていくと思うんです」

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後藤正文(ごとう・まさふみ)

後藤正文(ごとう・まさふみ)

1976年生まれ、静岡県島田市出身。ASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカル&ギター。 Gotch名義でソロ活動も行い、音楽レーベル「only in dreams」の運営を手掛ける。それらと 並行して、朝日新聞で連載エッセイ『後藤正文の朝からロック』を担当するなど、執筆活動も 行う。著書に『何度でもオールライトと歌え』(ミシマ社)など。 2017年7月には初の短編小説『YOROZU〜妄想の民俗史〜』(ロッキング・オン)を刊行した。

(※1)Not In My Back Yard

「うちの裏庭には勘弁してほしい」といった意味で、原子力発電所や ゴミ焼却施設などの必要性は認めるが、自分の居住地の近辺に建設されるのは 避けたいとする考えを示す言葉。それぞれの単語の頭文字を取って”NIMBY”と略される。

(※2)The Universal Sigh(世界のため息)

2011年3月から4月にかけて、レディオヘッドのアルバム『The King of Lims』リリース時に世界64カ所のレコード店などで無料配布された新聞。