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THE FUTURE TIMES Talk&Live @KLUB COUNTER ACTION

震災直後から、積極的に被災地支援を続けるSLANGのKOさん。今回のTHE FUTURE TIMESのTalk&LiveはKOさんの経営するライブハウス『COUNTER ACTION』で行いました。震災直後から、現在まで、被災地支援についての想いを語っていただきました。

阪神大震災のときに自分が何もできなかったっていうのがずっとあった

後藤「僕はこのThe Future Times Liveで『ゴッサン基金』という名前で募金を集めているんですけど、集まったお金をどうしているかと言うと、KOさんが運営している『NBC作戦』に物資の送り先をコーディネイトしてもらっているんですね。この間も、ヒートテックを500着買って、KOさんにどこの地域に送るのがいいのかを聞いて、お送りしたんです。今回は、被災地に早い段階から入って支援活動を続けるKOさんに震災当時の状況を伺いながら、復興支援についての話ができたらと思っています。今日はよろしくお願いします」

KO「お願いします」

後藤「KOさんは震災の当日は何をされていたんですか?」

KO「当日?(笑)。当日は、朝まで飲んでて」

後藤「はい(笑)」

KO「まあ、ベロンベロンな感じで(笑)。地震が起きたのが午後2時46分くらい。揺れで起きて。俺は日高(※1)の生まれなんで地震には結構慣れているんだけど、ちょっとおかしいくらい俺の部屋も揺れて。それで感覚的に、奥尻(※2)のときもそうだったんだけど、——札幌はそんなに大きな地震がないでしょう?だけど、子供のときからの感覚で、札幌がこれくらい揺れるということはどこかがすごい揺れているというのがあるから」

後藤「なるほど」

KO「奥尻のときは、ここの近くのライブハウスの5階にいて、立ってられないくらい揺れていたから。今住んでいるところは6階なんだけど、あのときと同じくらいだなと思って…。すぐにテレビを点けて。それで、津波の警報とか速報が出て、どんどん酷くなっていって…。どこだどこだと思ったら、全域になっていて。町が流される映像が出て、これはもうダメだと思って、三陸地方の沿岸部に友達がけっこういるから、直ぐに電話したんだけど全然つながらなくて。そこからかな、3日間はほぼ寝ないで、テレビ点けっぱなしで、パソコン開きっぱなしで、情報を拾おうと思って…」

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後藤「はい」

KO「友達関係は、次の日には繋がって。友達はひとりも亡くなっていなくて、『大丈夫、大丈夫』って言うんだけど、帰ってくるメールの様子がなんかちょっと変だなと思って。『他は?』って聞いたら、みんな、誰かが見つからないとか…。2日目になったら、もう少し詳しく分かって…。阪神大震災のときに、自分が何もできなかったっていうのがずっとあって、とりあえず撤去でもなんでも行くっていうのは決めていて」

後藤「そうだったんですね」

KO「それで、いろいろ現地の声が聞こえてきて。友達の実家が宮古(※3)だったんで、とりあえず、そこを目指して物資を持っていこうと思って。それで、物資を集めるという段取りを震災後の2日目くらいからリストアップしていて。いつでもwebにアップできる状態だけは整えておいて。宮古の友達のところで受け入れてくれるという確約が取れた時点で、直ぐに物資を集めはじめたんだけど」

後藤「なるほど。本当に早かったですよね。僕は当時、KOさんのことは知らなかったですけど、ミュージシャンの中で、いちばん行動が早かったように思います」

KO「物資募集かけたのと同時にあまっていた口座を募金用に充てて。みんなに声をかけたのも3日目か4日目くらいだからね。誰がやってるやってないということじゃなかったけどね。一般車が入れないとか、燃料が買えないとか、だけどもどんな手を使ってでも支援に入ってやろうと思ってたから(笑)」

後藤「なるほど(笑)。それで、物資を積んで行ったんですか?」

KO「そう。緊急車両証明書っていうのがあって、それがないと高速道路とか乗れなかったんだけど、カウンターアクションの店長を警察へ届けに行かせて。それが出発の前の日かな。発行されなくても行こうと思っていたから、フェリーも予約してあって」

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後藤「結果、証明書は手に入ったんですよね」

KO「そう。手に入ったから、高速道路は俺たち専用みたいな感じだった(笑)。一般車が全く走ってないから。すごかったけどね、高速がドーンと落ちてたりだとか」

後藤「僕がはじめて、5月に東北に行ったときにも、東北道はものすごかったですね。たわんでいる部分やデコボコが沢山あって」

KO「露骨にドーンと落ちてて、そこにカラーコーンみたいなのしか立ててないんだよね。高速道路なのに。危ないよね(笑)。道路が陥没してるのに、ちょっと穴掘ってる現場みたいな感じでしか置いてないから、分からない。これは死ぬだろって(笑)」

後藤「落ちなくて良かったです(笑)」

KO「あとは、いちばん怖かったのが、南三陸町(※4)にはじめて入ったときに、一車線の山の田舎道みたいなのを越えたときに、ギリギリすれ違えるようなところで対向車がパッシングしてきていて。何かを言ってるんだけど、よく聞こえなくて。そのままずっと行ったら、カラーコーンも何もないのにドーンと橋がいきなり落ちてて。その10メートルくらい手前で俺たち止まって。あれは怖かった本当に」

後藤「気づかなかったら落ちてたってことですよね。それで迂回して、結局物資を持って現地に辿り着いたんですか?」

KO「そこからはずっと回っていったかんじかな」

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■注釈

(※1)日高

北海道中央南西部の振興局。北海道の全面積の5.8%を占め、福岡県や和歌山県に匹敵する広さ。8割が山林。南部は地震活動が活発。

(※2)奥尻

1993年7月12日に発生した北海道南西沖地震は、震源地に近い奥尻島に、津波と火災の大きな被害をあたえた。奥尻島地震とも呼ばれている。

(※3)宮古

宮古市。岩手県の東端に位置する。人口約5万8000人。東北で2番目の面積を有する町。東日本大震災では死亡届出者407人、死亡認定者110人、行方不明者94人。5968棟の住家が全壊。1713戸、3883人が応急仮設住宅で生活している。

(※4)南三陸町

人口約1万5000人。宮城県の北東部、本吉郡の南端に位置している。仙台からは、国道45号線を車で約2時間の距離。東日本大震災では、3330戸が被災。死者369人、行方不明者612人。