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箭内道彦

“手で触れらるもの”“どこかに貰いに行く”ことの重要性

箭内「ゴッチが、こういうふうに新聞を作ったり、東北の復興についてや、福島のことに対しても“脱原発”とはまた違う柔らかさで活動してくれている。その理由って何ですか? 」

後藤「2008年くらいから原発のことは気になっていたんです。まず使用済み核燃料を捨てる場所がないということを知って、六ヶ所村の問題を知って、ずさんなものがそのまま置きっぱなしになってることに驚いたんです。それで実際に六ヶ所村にも行ったし、山口県の上関原発の建設問題のことも知って、ちょうどツアー中だったので、上関にも行ったりしました。図式としては、沖縄の基地も一緒だと思っていたので、辺野古も行ってきたし……。どうしてこういうふうに、“自分のところじゃなければいい”というふうになってしまうのか、それは自分の中にもあるし、その源泉は何だろうというのがずっと気になっていました。震災の2、3日前にも“原発の問題はみんな本当に考えた方がいいですよ”ということを自分のブログにアップしたんです。そしたらこんなことになってしまった。だから反省はあるんですよね。もう少し、原発の問題について、僕らみたいなヤツらが、コミットしていたら、福島のことは違う結果だったかもしれないという。微々たるものだけど、そういう後悔があります。 あと、この『THE FUTURE TIMES』でやろうと思ったのは、“歩かない脱原発デモ行進”をやろうということだったんです。ただ、“FUCK”と言っても、誰も寄ってこないなと思って。じゃあひっくり返そうと思ったんです」

箭内「ひっくり返す?」

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後藤「『北風と太陽』という陳腐な比喩になってしまうけど、抱きしめにいかないと、何かの諍いを起こして終わるから、抱きしめにいって、その上で何をしたらいいのかそれぞれに考えてもらおうと思って。本当の効果とは何かと考えたときに、新聞を作ることはデモ行進するより強いかもしれないと思ったんですね」

箭内「なるほど」

後藤「福島にコミットするのは全然また別の理由なんですけど、僕が音楽をやりはじめるにあたって、福島の友達が僕に洋楽をすすめてくれて、それではじめたからなんですよ」

箭内「そうだったんだ」

後藤「浪人時代にずっとつるんでいたのが福島の友達でした。僕、1年間ずっと福島弁しゃべっていたんですよ(笑)。『ごせやける』とか」

箭内「『ごせやける』、懐かしいですね(笑)。久しぶりに聞いた」

後藤「教え込まれて(笑)。『いやになっちゃう』みたいな意味ですよね」

箭内「そうですね」

後藤「あとは、被災地、岩手や宮城に対しては、人間としての脊髄反射じゃないけど、普通の感覚として、困っている人を助けたいという想いです。福島に友達はいるけど、沿岸部に友達いないし、繋がりはなかったんですよ。だから、最初は手探りで、twitterで“困った人いませんか”ってつぶやいたりして、繋がったらそれは縁だと思って、そこに物資を送ったりしていました。その3つの理由がぐちゃぐちゃに合体して、今に至る、という感じですね」

箭内「そのぐちゃぐちゃもいいんでしょうね。さっき“抱きしめる”というのがいいなと思ったんですけど、僕もなるべく誰のことも否定しないようにしようと思っているんです。今まだ、“効果”というところまでみんな冷静になれてなくて、福島のことをすごく心配はしてるし、愛情もあるし、だからイライラして大きい声で“早く逃げて”と言ったり、“今すぐ原発は全部なくそう”ということを言ってしまうけれど、それがもっと効果に結びつく表情だったり、声の大きさだったり、話し方だったりするとすごくいいなと思うんです。やっぱりすごく強い口調で言われると、そう思ってない人がみんな怖がったり、すべてを否定されていると思ってしまうこともあるから、『THE FUTURE TIMES』みたいに、優しいけど強いというのはいいなと思いますね。だけどすごく計算しているじゃないですか」

後藤「そうですね」

箭内「そのことがすごく必要かなと思うんですよね。みんなすごく愛で突っ走っている人が多くて、計算している人がいないというか、隠す人はいるけれど。だから『THE FUTURE TIMES』のスタンスはすごくいいなと思いますね」

後藤「あと、自分たち30代って、一番、政治とか社会にコミットしてこなかった世代なので、ちょっと変わっていかなくてはと思ってるんですよね。そういう世代が集まるのはいいかなって。そういうふうに意識しはじめていて」

箭内「いろんな人がいろんなタイミングで登場したり、一休みしたりして、それを繋いでいるというか、リレーしている感じはいいですよね。この『THE FUTURE TIMES』は、ずっとそこの底に流れ続けて、きっと、未来が終わったと思う時まで出ますよね」

後藤「まず3年を目標にして作ってみようと思っています。またそのときに考えてみようと思って。今は新聞の体(てい)を成してますけど、もしかすると、こういう形じゃなくてもいいかもしれないし」

箭内「今、webじゃないものがすごく重要な気がしてて、自分も『風とロック』を作っていたんですけど、震災が起きて、一回去年やめていたんですよ。毎月3桁万円の赤字が出ていたので、その赤字とそれを作る時間を福島に投入していかなくちゃということと、自分の中で『風とロック』という言葉を掲げていることにすごく違和感を感じて、過敏になっていたというか。風評被害の“風”と、『風とロック』の“風”って同じだなって思ったり、ロックって、平和ボケした時代に何かを壊していくものかもしれなくて、みんなが壊れちゃった時に、壊すものなんてないなと思ったりして……。
 でも時間が経ってきて、今必要なのは、壊すことではなくて、愛だなって思って、この1月からもう一度『風とロック』を作りはじめたんです。やっぱり“手で触れられるもの”とか“どこかに貰いに行く”とか、そういうことがいいと思って。『風とロック』もそうですが、多分、『THE FUTURE TIMES』も定期購読で送られてくるものじゃないですよね」

後藤「そうですね」

箭内「インターネットみたいに検索した先のものにしか触れられないものではない、メディアやコミュニケーションをもっとしっかりしたいなとあらためて思ったんです。インターネットの中だけに閉じこもっている人を外に出してあげたいなと思いますね」

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後藤「いや、本当にそうですね。僕が新聞を作っている理由を全部言ってくれましたよ。やっぱり情報に肉体性があるのがいいんですよね」

箭内「そう、そう! それが言いたかった(笑)。さすが編集長!」

後藤「(笑)。この新聞をどっかに忘れるのがいいんですよ。どこかの喫茶店に忘れることができるというのは肉体性があるからで、そしたら、まったく関係ない、まったく興味のない人が開く可能性があるかもしれないわけで」

箭内「それはいいですよね。『風とロック』が復刊したのはつい先日なんですけど、そこである人がこう言ってくれたんです。“『風とロック』は読みたくない。そばに置いておくだけで嬉しいんだ”って。そこはインターネットとまったく違うところだなと思ったんですよね。それは『THE FUTURE TIMES』もそうだと思うんですけど、インターネットは情報だけだから読まないと何もはじまらないけど、これが部屋にあるというだけで勇気が湧いてきたり、何か自分で考えはじめたりしそうな気がする」

後藤「『THE FUTURE TIMES』はweb版も一緒に動かしてはいるんです。紙だとどうしても情報の量が限られるので、たとえばこの箭内さんのインタビューもノーカットで読ませたいなと思う時に、紙だったら枚数を増やさなくてはいけないし、印刷費が足りないし(笑)。それにデジタルの広がり方も面白いなとも思っているので、いいとこ取りでいいんじゃないかなって。あと、この新聞の方は、わけの分からないものにしていったらいいんじゃないかなと思ってるんですよ。1号目は曲をつけていて、ダウンロードできるようにしているんですが、“曲がついてるって何?”みたいな、それで貰おうと思う人もいるかもしれないし。
 あとは、福島の話は民俗学みたいな形で残していかないと、これはここ何年かの問題でもあるけど、百年後の問題でもあると思っているので。不思議なのは、戦争当時の話って、大きい歴史としてどかんと教科書には残っているけれど、一人ひとりの声としてあんまり残っている感じがしなくて、それもあって、この福島のことも民族史として残さないといけないんじゃないのっていうのはあるんです。だからなるべくたくさんの人の話を聞いて、文章にして残して、どこかに溜めていかないと、あのときどういうことでみんなが軋轢が生まれて、諍いがあってということは、原発だけの問題だけじゃなく基地だけの問題だけじゃなくて、いろんなところに通じるこというのがひとつの考える視点なんですよね」

(2012.5.25
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箭内道彦

箭内道彦(やない・みちひこ)

1964年福島県生まれ。東京芸術大学卒業後、博報堂に入社。2003年『風とロック』を設立。10年、福島県出身である山口隆(サンボマスター)、松田晋二(THE BACK HORN)、渡辺俊美(TOKYO NO.1 SOUL SET)とともにバンド『猪苗代湖ズ』を結成。11年3月にチャリティソング『I love you & I need you ふくしま』を発表した。