HOME < マイケル・マドセン(映画『100,000年後の安全』)

マイケル・マドセン

環境意識の高い国々と目されている北欧の国々のひとつ、フィンランドのオルキルオト島では、世界初となる高レベル放射性廃棄物の永久地層処分場の建設が進んでいる。今もなお、500メートルもの地中深くで建設が進められているこの処分場は、核廃棄物が完全に無害になる〈10万年後〉を想定して設計されているのだという。巨大なその地下施設で実際に撮影を行ない、科学者や多くの関係者たちに未来の世代の安全性を問いかけたのが、ドキュメンタリー映画『100,000年後の安全』だ。10万年後の安全どころか、次世代につなげる希望すらあやしい状況でもあるこの日本で、『100,000年後の安全』が描く技術と未来のシーソーゲームは、ちょっとしたモダン・ホラーのようにも見えてしまう。DVDでの発表を機に来日したマイケル・マドセン監督に、編集長・後藤正文が話を訊いた。

構成/文:関口易正編集所 撮影:外山亮介

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核処分場を語ることは、今の時代が迎えてしまった新しい局面を語ること

後藤「この『The Future Times』は、日本の若い人たちにポジティブなニュースを伝えようと始めたフリーペーパーです。一般的に、日本人はシャイで、意思表示もあまり得意じゃないんですね。デモへの参加に消極的な人が多い。反原発とか“反○○”と言ってしまうとひいてしまうところがある。だったら、その先にある再生可能エネルギーなどのポジティブなニュースを伝えようじゃないかと。ポジティブなニュースに向き合うことで、それぞれが意識を変えていけるきっかけになればと思っています」

マドセン「なるほど。でも、ポジティブな面を語ることだけでは、時に物事の本質に辿り着けない場合もありますよね」

後藤「ええ、それは理解しています。たとえば、福島に住んでいる人たちは放射能の問題でとても複雑な状況に置かれていますが、そんな方々が実際に感じていることなども、同時に紙面で伝えています。状況の酷さだけではなく、そんな中でも希望につなげていくような記事を発信していきたいんです」

マドセン「物事を見つめる視点はひとつだけじゃないですからね。私もそう思います」

後藤「日本の社会や若者はここ20年ほど、特にバブル経済以降は、メンタル的に打ちのめされてしまってる傾向があります。“これはダメ、あれをしてはいけない”と常に言われ続けてきた若い世代に、別の言い方で提案していこうというつもりもあります。問題意識を持ってもらおうという気持ちはもちろんありますが、『The Future Times』ではその提案の仕方を変えているんです」

マドセン「よくわかりました」

後藤「監督された『100,000年後の安全』ですが、以前、日本の公共放送(NHK)でショートバージョンが放送されていたことがあります。核廃棄物の問題については、福島第一原発の事故以前から興味も持っていました。日本でも2008年ぐらいから核燃料の再利用について、小さなコミュニティの中でですが、話題になったことがあります。そこからの広がりはそれほどありませんでしたが…。このような映画を撮るに至ったのはどんなきっかけだったのでしょうか?」

マドセン「オルキルオト(注1)のことは2006年に知りました。核廃棄物に興味があったというよりも、10万年後も壊れない建造物が作られている、そこに興味を惹かれたんです。確実に10万年もつ設計というのはどういうことなんだろう? と素朴に思ったわけですが、10万年というタイムスパンは、私には理解不可能でした。建造に携わってる人たちや、近隣の住民たちは、10万年という時間軸をちゃんと理解しているのだろうか? そして本当の“耐久性”とは何なのだろう。厳密な耐久性を追究するなら、建造物だけではなく、未来そのもののシナリオを正確に描かなければならないでしょう? しかし今生きている誰が10万年後のプロジェクトの成否を評価できるのでしょうか。オルキルオトの貯蔵庫と比較できる建造物があるとすれば、それはピラミッドや大聖堂などの歴史的建造物になるでしょう。そしてそれらは共に宗教的な建造物です。人類史の上で見れば、10万年後を設計した処分場もまた、新しい歴史的現象と言えるのかもしれません。つまりこの核処分場を語ることは、今の時代が迎えてしまった新しい局面を語ることでもある。それがこの映画を作った動機です」

後藤「監督は、クリスチャンですか」

マドセン「いや、私は無宗教です」

後藤「そうですか。それでちょっと話がしやすくなりました(笑)。日本での原子力発電の扱われ方には、一神教的なものを感じることがあります。多様性が認められていない、それ以外の選択肢を担保しないような物言いになっているんです。いろいろなエネルギーのソースがある中で、マドセン監督は原子力エネルギーについてはどう考えていますか」

マドセン「私の個人的な見解はあまり面白いものではないと思いますので、今あなたが話題にあげた宗教観のことから話をしてもいいですか? 日本の神道にみられるような自然観は、西洋の思考法とは根本的に異なったものだと思うのです。西洋の思想は、科学的に発見された事実に基づいた思想を発展させてきました。ルネッサンス主義(注2)や啓蒙主義(注3)などのプロセスを経て、現代まで連綿と続いてきているわけです。日本にとっては西洋哲学は輸入されたものであって、日本自体の精神史の中で自発的に生まれたものではなく、それ以前からある自然観などの思想と決定的に異なっているのは、この点です。西洋の生活思想の基本というのは、現実世界のすべては“理解できるものである”ことが前提となっていますが、一方で日本の神道にみられるような自然観では、現実に対してとても神秘的な捉え方をするところがありますよね。未来について考えるときも、科学など人智を超えたところに理解を示すスタンスを持っているようにみえます」

後藤「はい」

マドセン「西洋的な思考は論理を積み重ねていく発想のスタイルですが、理想を求める思想である宗教とは違って、科学的思想というのは理想を追究する思想ではないということです。しかし科学者には強い信念があるわけです。科学者たちは、核廃棄物の問題についても、現在はまだ技術が足りないが、将来的には解決できる問題だというスタンスをとっています。100年ぐらいの時間をかけて研究していけば解決できると考えているのです。しかしそうしている間にも確実に廃棄物は増え続け、科学的思想は一世代だけの社会を対象にしていることはできなくなってしまった。そして、本当にこの問題を解決できるのかという問い自体にも疑問が残ってしまう現実を迎えてしまっているのが今なんです」

“Future is unknown”――未来のいいところは、何が起きるかわからないこと

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後藤「そうしたことをこの映画は実に端的に捉えていると思います。一方で科学者たちは、将来の人類が核廃棄物をリサイクル利用できるんじゃないかと考えているところも描かれています。そしてやっぱり、世界中にはいまだに核廃棄物があふれかえっている現実があります」

マドセン「まず、ポジティブな面から考えてみようと思うんです。核廃棄物への取り組みについて、フィンランドはとても進んでいる国であることは確かです。実際、核処理の問題を抱える全ての国がこのプロジェクトの成否にとても注目していますが、要するに、核エネルギーを使用する国々にとって、廃棄物処理の唯一の方法は今のところ『地中に埋める』という方法、唯一それしか可能性が発見されていないわけなんです。しかし、この方法がまったく適さない国がひとつあります。それが日本です」

後藤「はい」

マドセン「地震の多い火山帯にある日本では、埋めるという方法は不可能でしょう。そして、これから原発需要の高まる第三世界の国々にとってはどうでしょうか? フィンランドは、このプロジェクトのために、30年間にわたって地層などのリサーチを行ない、莫大な予算と労力をつぎ込んで建設にあたり、将来的な精密な計画もできている。それと同じようなことを、まだ技術力も発展の途上にある第三世界に可能なのかどうか。つまり、“埋める”ことが本当に永久的に有効な解決法なのか、科学者たちの中からもかなり多くの疑問の声が投げかけられています。“埋める”が選択された一昔前、50年代から70年代ぐらいまでは、将来的にも科学は進歩し続けるはずだから、先々で解決できるだろうと考えられていたのです。それが近代になって、解決策ではなく単なる先送りで危険な選択肢ではないかという声が高まってきたのです。日本の福島では原発そのものの危険性が露呈した事故が起きてしまいましたが、それ以前から、核廃棄物の問題はフィンランドにとっても原発問題のアキレス腱でした。しかし原発は環境に負荷をかけないからという理由で、原発ルネッサンス(注4)が起きてしまったんです。二酸化炭素が排出されないクリーンエネルギーという環境問題からの視点が、原発の追い風になってしまったわけです」

後藤「建設をしている企業が私企業であることが撮影や取材の障壁になっていたそうですね。日本でもこうした大きな事故を起こした東京電力が株式会社であるがゆえに、利益が重要視されて、本当の情報が出てこないという構造があるんですが、そうしたことについてはどう思われますか」

マドセン「私企業に期待することはできないんです。それが現実なんです。私企業は利益をあげていくことが存在理由で、それが資本主義のロジックですから。そのうえで現実として、福島原発のようにあれだけ大きな事故を起こしてしまったその責任を、果たして一私企業がとれるのだろうかと思います。しかも福島の原発事故は、自然災害でもなく、間違いなくヒューマン・エラーによって引き起こされた人災ですよね。自然災害は想定を超えるものが起きることは充分にご存知だと思いますが、人災というものも、想定を遥かにこえた規模の事故を起こしてしまうのです。震災後、被害の大きさに関わらず、パニックにならず冷静さを保っていた日本人のメンタリティは世界でも賞賛されていますね。ただ、そうしたメンタリティの背後に、権力や有力者に対する日本人の姿勢のあり方にも思うところがあります。つまり、結果的に権力にへつらってしまうような、そういう姿勢が透けてみえてしまうのです。そのおかげでパニックに陥らないのかもしれませんが、自分の考えや自分の考えを持つこと自体を麻痺させてしまっている面も持っているようにもみえるのです」

後藤「確かに」

マドセン「しかし、今回の事態を受けて、そこからプラスの方向を目指して進んでいくことは充分可能だと思います。そしてだからこそ、情報発信側が社会に対して事実を隠すのはあってはならないこと。だからこそ強く思うのですが、ありのままの事実の情報を求めるために、市民自らが答えを求めていかなければいけないと思うのです。政府は、“わからない”ならば率直に“わからない”と認める必要があります。事実を社会で共有することで、バッドニュースをバッドニュースのままにせず、悪いニュースをプラスの方向に持っていくこともできると思います」

後藤「そうだと思います」

マドセン「最後にいいですか? この新聞が2041年の号が出たことを想像してみてほしいんです。日本政府がアナウンスしている、原発を廃炉にするまでのロードマップでは30年後がひとつの区切りになっていますが、そのときに今ここにいる人たちがどこにいるのか、この新聞をあなたが作り続けているのかどうか。そうしたことを考えると、たった30年間だけどきっと大きな30年間であることが生々しく想像できると思います」

後藤「はい」

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マドセン「それと、僕の友人の話です。とても親しい友人なのですが、最近、とても悲劇的な状況の中で身内を亡くしてしまいました。彼自身、とても辛い思いを味わったと思います。ですが彼は、その深い悲しみを自分の人生を豊かにしてくれる経験として、彼自身の人生に取り入れたのです。彼は自分の身内に起こった不幸を率直に私に語ってくれて、僕にとっても彼の話を聞くことは人生の大きな励みになっていました。悲しみにふたをかぶせたり、怖がって直視しないこともできますが、それをあえて受け止めて取り入れて人生を豊かにする彼の姿勢にはとても示唆されるものがあると思います。それと“Future is unknown”、未来のいいところは、何が起きるかわからないこと。僕はそう思います」

後藤「本当にそうですね。ありがとうございました」

■脚注

(注1) オルキルオト

フィンランドのボスニア湾岸に位置する島。オルキオルト原子力発電所があることで知られ、世界初となる高レベル放射性廃棄物の最終処分場「オンカロ」の建設が進められている。

(注2) ルネッサンス主義

ルネッサンスは、14世紀後半から15世紀の終わりまで続いた、イタリアを中心に西欧で興った古典古代の文化を復興しようとする文化運動を指す。この運動は多様な展開を見せた。中世の思想がキリスト教の神を中心としていたのに対し、ルネッサンスの思想は人間を中心とするようになった。

(注3) 啓蒙主義

ヨーロッパ思想史上、17~18世紀に支配的だった、反封建的な合理主義思想。ルネッサンス・宗教改革を経て、中世から脱しつつあったヨーロッパ社会において、絶対主義のもとでなお残る旧来の制度や思想に反発し、理性による思考の普遍性と不変性を主張する思想。

(注4) 原発ルネッサンス

1986年のチェルノブイリ原発事故を受けて高まった反原発運動と入れ替わるように、90年代後半から、温暖化などの環境変動への配慮とともに、CO2排出などの環境負荷の少ないクリーン・エネルギーとしての原発に再び注目が向けられるようになった。
(2012.5.9)
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マイケル・マドセン

マイケル・マドセン

1971年、デンマーク生まれ。映画監督、コンセプチュアル・アーティスト。スウェーデン作家ストリンドベリの戯曲をベースにした、都市と景観を上空から撮影さいた映像作品『Damascus』(05年)など、コンセプチュアル・アート/ドキュメンタリーの作品を発表し続けている。また、デンマークの音楽図書館のコンセプト発案など、建築への関心も高い。映画『100,000年後の安全』は、09年に制作された作品。

映画『100,000年後の安全』

原題『Into Eternity(地下深く永遠に)』として2010年に発表された本作『100,000年後の安全』は、核廃棄物の安全管理についての「10万年」という想像不能な期間にわたる当局の管理責任や基準設定への疑問の声を喚起した。
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