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1年後の現在地(岩手)

10年後には、この街から何を生めるか?

 陸前高田へ向かう前に、岩手県の内陸部にある奥州市江刺(えさし)地区に立ち寄った。ここは日本最古のタンスと呼ばれる伝統工芸品『岩谷堂箪笥(いわやどうたんす)』の産地。値は張る商品だが、使用木材の年輪と同じ年月は優に使えるという。ケヤキ材や桐材のタンスに漆(うるし)塗りをして、南部鉄器の金具を施した高級家具は、現代の洋室にもマッチしそうなモダンさを備えていて美しい。この『桜木家具店』の工房では、販売先の家で津波を被ったタンス類の修繕作業が行われていた。
 案内をしてくれた高橋勇樹さんは、実家である陸前高田店が津波で消失。甚大な被害を被った。現在は陸前高田の仮設住宅で暮らし、地元青年会議所の活動を行うほか、被災した住宅の改装のため、はめ込み家具を備え付ける設計図をパソコンでデザインする仕事に精を出す日々だ。母を震災で、父を数ヵ月前に亡くされた高橋さんは、実家が営んでいたもうひとつの店舗、骨組みだけ残した大船渡店の再開を目指していた。だが、釜石と同じように進まない都市計画の決定を待つ状態にあった。
「これまでの1年は、〝生きるため〟に過ごす時間でした。今度は、僕達が〝生き残るため〟に何ができるかを考えなければ。家具産業でいうなら、この復興需要が終わった後、伝統が残せるのだろうか。陸前高田という街は今は世界中から注目を浴びているけれど、10年後はどうでしょう。震災が露にしたマイナス面だけでなく、たとえばあの狭い避難所で人々がどうやって信頼関係を築けたのか、自分達こそが伝えなくては、と思います」
 取材後の高橋さんから、嬉しい知らせがあった。新たな土地が見つかって、大船渡店の店舗再建が決まったとのニュースだ。そして、陸前高田にできた『未来商店街』の一角にも仮設店舗が建つことになった。 

 陸前高田では、一般社団法人『SAVE TAKATA』の現地ディレクターである岡本翔馬さんが台湾のテレビ局から取材を受けている真っ最中だった。ソーシャルネットワークやニコニコ動画などを駆使して、多言語で情報を発信する『SAVE TAKATA』は、東京と陸前高田の二拠点で活動している。
「コーディネーターとして、なんでもお手伝いさせてもらっています。外の方だと土地勘もないから、現地にニーズがあるか分からないこともありますよね。たとえば、物資系の援助はもう行き届いているからお断りするとか、調査をしたうえで協力できるものはやらせてもらう。最近は復興支援イベントが多いです」と岡本さん。赤字を出す催しはしない、というポリシーを持つ。
「僕が東京から高田に戻って来たのは、街をゼロから創ろうという空気を感じたのもあります。自分の故郷でこんな機会があるとは思わなかったですから」
 彼らが支援するイベントは、一般的に思い描く被災地での様子とは趣向を変えたものが多い。震災で指輪を失くした方のために表参道のジュエリーショップによる〝自分で作る結婚指輪〟のワークショップを始め、ネイルやエステ、ヨガ、ペットの支援、そしてスイーツ。まるで女性誌の世界を抜け出したかのようだ。
「まさにそれがニーズでした。元々なかった産業は地元企業ともバッティングしません。お母さんが土日に子供を連れて出掛けられる場所があったらいいのに、という声から企画されたイベントも多いですよ」

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 被災地を等身大で見る目線からは、支援というかたちを超えたビジネスの可能性も感じられる。
「今取り組むのは、水の課題を解決しながら雇用を生み出す仕組みづくり。仮設住宅では井戸水を利用する場所も多いです。寄贈された2000台の浄水器の設置や、その後のメンテナンスを行う地元企業の立ち上げを目指しています」

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高橋 勇樹

高橋 勇樹(たかはし•ゆうき)

有限会社『桜木家具店』常務取締役。34歳。函館の大学を卒業後、350年の伝統を受け継ぐ『岩谷堂箪笥』を販売する家業を継いだ。「モノを残すのではなく、技術を後世に残す」という発想のもと、既存の枠組みにとらわれず、海外市場に向けてタンスと高級家具を組み合わせた商品の提案や、DJブースなども試作している。
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岡本 翔馬

岡本 翔馬(おかもと•しょうま)

一般社団法人『SAVE TAKATA』現地ディレクター。28歳。東京では建築関係の会社に勤める傍ら、インテリアデザインの仕事も行っていた。現在は陸前高田の出身者として、市外の企業や団体と現地を結びつける活動中。『桜ライン311』実行委員会副代表も務める。
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