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福島からの言葉 Connecting the dots vol.1.5

「戻って、町のためにやっていかなければならない」

後藤「いわきは人口が増えているんですよね?」

平山「そう。だから、南相馬といわきは全く対称的。南相馬は半分くらいだって言っていたかな。いわきの場合、そこから県外に避難した人はいるけど、双葉郡から約2万人が避難して来て、今も増えつつある。その中で富岡の人は約5千人。1万5千人しかいないうちの5千人がいわきに来てる」

後藤「富岡町の1万5千人のうちの5千人がいわきに?」

平山「うん。仮設は、いわきと三春町、郡山、大玉村ににあって、借上げはあちこちに点在。親戚のところに身を寄せてる人も多くて、福島以外の46都道府県すべてに避難者がいる状態。でも、もし移住とか、移住じゃなくても戻って来られるなら、まず、いわきに住みたいって人は沢山いる。ただ、もう住むところがない」

後藤「住宅が余っていないんですよね。その話は聞きました。どこも空いていないんだと、アパートも。あと、本当かどうか知りたいのですが、学校の定員がパンパンになりつつあると。高校では、受験の問題になっていると」

平山「それで、確か公立の定員増やしたのかな。それでも私立を含めても高校に入れない子供は確実にいる。この前、郡山にいる人に聞いた話だと、郡山の公立は定員を増やさないんだって。もしもの場合、私立に行って下さいと言われたらしい」

後藤「郡山に避難した人達も住んでる地域の学校に行きたいけれど、公立の定員が増えないから、私立に行けと…」

平山「あるいはサテライトか…。逆のケースで、避難先は郡山だけど、いわきの高校が受かって、寮にはいるとか、郡山からいわきに通うっていう話も。どちらにしても子供達にかかる負担というのは切なすぎる…」

後藤「いわきは比較的に被害が少ないから、皆さん、そちらに動いているってことですよね」

平山「被害ってよりは線量ってことかな? 地震、津波の直接的被害は当然いわきのほうが大きかったけど。いわきに集結するのは、線量が低いのはもちろん、地元に入れなくてもやっぱり近くにいたいっていう心情的なもの、地理的にも商圏的にも普段から繋がっていたこと、あとは利便性。南相馬とは対象的に、いわきは電車も高速も東京まで一本、郡山まで一本で便利なところだから。気候も同じだし。ちょっと隣りにおじゃましますよ、っていう感覚でいられるのかも」

後藤「南相馬は交通アクセスがますます悪くなってしまった感じがありますもんね」

平山「そう。 “陸の孤島”っていう言い方がぴったり」

後藤「双葉郡から避難している皆さんは、そろそろ、本当にどうするのかっていうことを決める人が増えているんじゃないですか?」

平山「だろうね。実際、1月末に紛争解決センターの和解で、東電に家を買い取ってもらうというのが決まった事例は、まだ大熊の1件だけ(※2/16までに5件成立)。建てた家が十何年経っているから資産価値が大体これくらいでという査定みたい」

後藤「民事で、住宅の賠償問題が和解したのは1件だけってことですよね?」

平山「そう。というのは、3月末にはっきりとした線引きが出るまでは、皆(決めるのを)待っていると思う。でも前例ができたことで、後に続く人はでるかもしれない」

後藤「大熊の1件が和解成立したことを受けて、皆がそれをはじめるのではないか、と。なるほど。平山さんはどうするんですか?」

平山「親が何十年かけて築いてきたものもあるし、ホテルという宿泊施設の需要もある。それを考えたら、やっぱり戻って、何かしら町のために、地元のためにやっていかないといけないなって思ってる。自分ごとなら、せっかくノーマディックレコード(※2)を地元にもってきたっていう思いもあるし。」

後藤「宿泊施設の需要っていうのは、観光客とかですか?ビジネスとか?」

平山「原発事故終息へ向けての需要ということ。いわきはどこも皆いっぱいで。北茨城のほうまで一杯らしい。でも実際、今のちょっと壊れかけたホテルを修理して宿泊施設にして使うのか、あるいは別の用途で使うのかは考えなきゃいけないと思うけど…」

後藤「もしかしたら、そこに作業員が泊まりながら、廃炉の作業などが始まるかもしれないってことですよね」

平山「もともと原発関係の宿泊者が多かったのでそうなるでしょ。世間では線引きが富岡川って言われてる。富岡川から、その上(北側)に線量の高い夜ノ森、大熊、双葉があって、川から南の町中は比較的線量が低いから、そこから南側は部分的に解除されるだろうと。うちは南側なのね。宿泊施設として稼働できるのであれば、第一に一番近い宿泊施設になるかもしれないよね。終息に向けて貢献できるという。まだ正確にはなんも決まってないけど」

後藤「その宿泊施設は、震災前から作業員がよく泊まっていたんですか?」

平山「そう。原発関係でいえば第一が3割、第二が7割くらいかな。それだけではないけど」

後藤「そうか、最近はあまり報道されないけど、第二原発があるんですよね、トラブルはありつつも。福島第一原発のようにはならずに」

平山「そう。皆忘れているかもだけど、第二原発から8km圏内も警戒区域だった。第一の20km圏内にすっぽり入っていたから、全然フィーチャーされなかったんだけど。冷温停止で原子力緊急事態が解除されたのはまだ12月の事。と言っても、そこが解除されたところでこっちは何も変わってないんだけど。もう第二は大丈夫ですよっていう」

後藤「まあでも、12月の段階までは、それなりの危険があったってことですかね、裏返すと」

平山「でも、だいぶ前から落ち着いてはいたみたい」

「今の状況をなんとかしたい!福島をなんとかしたい」

後藤「町のことを考えていくと、子供たちのことを考えると、気分が暗くなりますよね」

平山「暗くなるね。うーん…。暗くなるっていうか…。双葉郡はどこの町も人口が少なくなるから、合併案とかもちらほらと耳に入ってくる。帰れる見込みのある人なんて少数派になってくるから。そういうときに、そんな少ない人数でそれぞれ町として存続できるかどうか。存続するとしたら、避難している人達の面倒を見続ける機関、役場がそういうふうになっちゃうんじゃないかなと思う。あるいは、町として集団移住とか出来るんであれば…」

後藤「住民票はあるけれど、別のところに住んでいるっていう感じになるんですかね」

平山「まあ、そうなるか、いわきの中に土地を買っちゃうとか。(笑)。そんなことできるのかどうか分からないけれど」

後藤「ひと山切り開くのかとか、そういう話になってしまいますね」

平山「まずは、その3月末の線引きで一斉に動き出すんじゃないかな。震災後一年の区切り、はっきりと帰れるか帰れないかの線引きが出るっていう、本当の意味の区切りが来るよね。そこに。なんとなく淡い希望を持っていた人が夢打ち砕かれたり、もうダメだと思っていた人が帰れたり、っていうパターンが出てくるんじゃないかな」

後藤「道路一本で区切られるってことですよね。それは酷ですね…」

平山「酷だけど…、実際、帰れますよと言われても、別に帰りたくない人もいるし…。帰りたくないっていう人を強制的に帰すものでもないし。一人ひとりの判断っていうのは、薄々、皆、決めてるかも」

後藤「なるほど。どうしようかなっていうのは、それぞれが、言わなくても何かしらの決心をしているということですか?」

平山「うん。それはもう、間違いないだろうね。だから、国や町がしっかりしてくれないと、ズルズルいっちゃうよね。例えば小さい子供がいるから移住しますという人には移住対策というか、そういう支援を決めてしまえばいい。3月末では4月からの新学期に間に合わないわけで、そういう悩みを身近なところからも聞いた。サテライトにしたって肩身が狭いわけだし」

後藤「そのあたりは、自治体はまだ策を出せない感じですか?」

平山「町によって方向が違うのが一つ問題があると思う。ようするに、これが一つの双葉市だったらさ…。原発があるがために合併しないでいた弊害がでたと思う。それぞれの自治体が足並みを揃えなければいけない、というところで…」

後藤「原発があることが理由で、財政的に良かったということで合併しなかったんですね、合併する必要がないから。言葉を失うな…。あと、率直に、現在はどういう感情が強いですか?憤りや、怒りといった感情が強いですか?」

平山「…。いや…、まわりにはそういう人達が多いけど、自分の場合そうではないね。3月11日以降、それぞれの町なり、東電なり、福島県や国なんかの対応を見て、何やってんだってもどかしく思うこともあったし、実際に口にすることもあったけれど、それよりも、まず、今の状況をなんとかしたい!レーベルを、ホテルを、町を、福島をなんとかしたいという気持ち、感情の方が圧倒的に強い」

後藤「そういう言葉を聞くと…、なんて言ったらいいんだろう…、力になりたいっていうか、そういう気持ちが湧いてきます」

平山「怒ったってしょうがないんだから。嘆いたってしょうがないし。なんとかするしかない。かと言って、黙ってたら、ニュースも減っていくし、忘れられていく。町の人もどんどん少なくなって、離れていく。それはそれで、個人の選択で離れて行くのは全然良いんだけど…。富岡インサイド(※3)というサイトを立ち上げたのも、忘れられてたまるかというところと、気持ちを繋いでおくということが前提としてある。それは町の人に向けて現状はこうですよというところもあり、それ以外の人に向けても、まず知ってもらうと。——この前、富岡二中の除染の映像をYouTubeに上げたけれど、ここまで進みました、現状はこうですっていうのを実感してもらいたい。じゃないともう原発事故って収束したのかなって思われても不思議じゃないというか」

後藤「そういう意図がありますもんね、政府の発表には。皆さん、南相馬の人達も、忘れられていくのが怖いと言っていました」

平山「うん。だから、1年経って、2年3年、5年で終わる話ではないからさ、明らかに」

後藤「今でも、たまに町の中に戻ったりしているんですよね。町の状況とかはどうなんですか?ほとんどの人が知らないと思うんですけど」

平山「道路はだいたい修理なり応急処置はしてあって、電気も全部落ちていたのが、ところどころ、信号の点滅するところまでは戻ってる。1月に行って除染しているところとかを見ると、確実に、何かが動き始まってるなっていう実感が自分としてもあるし、遠くに避難している人がそれ(アップされた動画)を観たときに “あ!動き始まっている” みたいな、ちょっとした希望みたいなものが持てるでしょ。それが放置されたままでは、ゴーストタウンには違いないんだけど、本当のゴーストタウンというわけではなく…」

後藤「段々と、人の手が入っているということですね」

平山「そう。それを記録にして残さないと。一年、二年経って振り返ったときに、こういう経緯・段取りがあったんだなって、足跡がなかったら寂しいような気もするし。何より『被災者義務』っていう言葉をどこかで聞いて、これ良い言葉だなって思って。要するに、その経験を伝えて、後々のために活かしていくっていう…。そういう意味でも、現状や経験の記録ってとても大事だと思う」

後藤富岡インサイドのページも、皆、観てくれたら良いんですけどね」

平山「知り合いやネットづてに広がっているね。避難者のいる地方新聞に取り上げてもらったり、いろいろなサイトに取り上げてもらったりもしてるんで。でも、見てくれる見てくれないに関わらず、続けるべきだし、他の誰もやってないから、やらないといけないと思う。本当は、双葉郡の他の町にも、こういうことをやって欲しい。オフィシャルじゃなくても、いや、オフォシャルには出来ない事を伝えられるようなページを。大熊、双葉、浪江とかもやってくれて、横の繋がりが出来ていけば、情報交換もしやすくなると思うし。市民レベルで繋がる事も大事だと思う。南相馬やいわきとは色んな繋がりができつつあるのに、双葉郡内ではまだ…」

(※2)Nomadic Records 平山が立ち上げた音楽レーベル http://www.nomadic.to/
(※3)富岡インサイド 平山が立ち上げた富岡町の支援・情報サイト http://www.tomioka.jpn.org/