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5年目の三陸海岸を歩く 対談:赤坂憲雄×後藤正文

〝シェア〟の感覚と新しい社会のモデル

赤坂「実は今、お金はたくさん集まってるのに貸す先がないっていう金融機関が福島にいくつもあるんです。そこで僕らは、そういった金融機関に支援してもらいながら、地元の酒造会社の社長を中心に『会津電力』という会社を興したわけ。つまりね、地域で集めたお金は地域の中で回そう、お金の〝見える化〟をしようって」

後藤「取り組みは順調ですか?」

赤坂「おかげさまでね。設立から2年ちょっとだけど、投資も増えてお金も順調に回ってるし、少なくとも20、30人くらいの雇用も生んでます。もともとは地域の有力者を中心に動き出したプロジェクトだけど、そこに志を持った若者たちが次々に加わって、彼らはとてもワクワクしてるよ」

後藤「素晴らしいですね」

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赤坂「労働の現場を効率主義でデザインしてる人たちは、いかに人員を置かずに回せるかっていうことばかり考えるから、新規の雇用なんて生まない。その点、会津電力は小規模とはいえ確実に雇用を生みながら、利益はすべて地域に還元してる。金儲けじゃなくて、地域のために、これからの地域を担う若者のために利益をシェアするっていう企業モラルをハッキリ打ち出してるから。すると、関わる人の表情も全然違ってくるんだよね」

後藤「働き甲斐にも繋がってきますからね。〝シェア〟っていう考え方がポイントですよね」

赤坂「そのとおり。釜石の君ケ洞さん、〝みんなの海〟とも言ってたでしょ。もちろん漁業権の問題っていうのはあるにせよ、そういった〝みんなのもの〟という意識も、震災を経て社会が気づき始めたことだと思う」

後藤「そうですね」

赤坂「実はね、かつて三陸の漁業のリーダーっていうのは山の所有者でもあったんです。遠洋漁業に出ようと思ったら、自分の所有物である山の土地を売って、それで得たお金で大きな船を仕立てて、地域のみんなと一緒に海に出るっていうことを率先してやっていた。ある意味、〝みんなの山〟だよね。つまり、リーダーというのは公共的な存在で、経世済民なんて言葉もあるけど、世のため人のためっていうのを気張らずにできる存在だったんです」

後藤「そうだったんですね」

赤坂「それがいつしか手前の利益だけを考えてお金を誘導するようなリーダーが幅を利かせるようになり、そして経済的にも人口的にも、日本の成長が限界にぶつかってる。それならば、かつて存在したような〝みんなでシェアする〟とか〝コモンズ〟みたいな価値観に立ち戻る必要があるんじゃないかって。やっぱりそういう成熟社会のモラルを立ち上げ直す段階にきてるんだと思う」

後藤「そうですよね」

赤坂「もうひとつ僕が取り組んでいる事例をお話しすると、震災後すぐ、岩手の遠野で『三陸文化復興プロジェクト』というのを立ち上げたんです。三陸で被災した小中学校に本を贈ろうってことで、全国に献本を呼びかけたら、最終的に30万冊の本が集まった。そこから約20万冊を三陸の小中学校に贈ったんです」

後藤「すごい数ですね」

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赤坂「すると、その活動にヒントを得た福島の会津にいる仲間が〝会津にも手作りの図書館をつくろう〟という提案をしてきたんです。実は、会津地域の市町村には図書館が全部で4つしかない。本屋も10年前の3分の1。学校の図書室も経費削減で黒ずんだ本ばかりが並んでいる。そんな状況をずっと見てきたから、だったら全国から集めた本を福島中にばらまいていこうって。そして、街角図書館と呼んでるんだけど、地元の商店や道の駅、一般家庭、いたるところに書棚を設置して、子供たちが本に触れられる場所をつくりはじめた。しかもその図書館がおもしろいのは、もしそこで借りた本が気に入ったら返却しなくていい、あるいは、ほかの誰かに譲り渡しても構わないっていうシステムにしたんです」

後藤「画期的ですね」

赤坂「つまりね、本というものを流動化して共有財産にしてしまおうと。それって〝みんなの海〟と根っこは同じで〝みんなの本〟なんだよって」

後藤「まさにコモンズですよね。最近はパブリックドメインというような言葉も使いますけど、どれも通じる部分があると思います」

赤坂「埋もれたままになっている財産が、呼びかければ浮き上がってきて流動化する。それを必要なところに持っていく。すべてをお金で買って、自分の所有物にするという発想をちょっと解いてあげると、まったく違った風景が作れるんじゃないかな」

後藤「贈与のような行為で社会を繋げていくってことですよね」

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赤坂「そうだね」

後藤「考えてみれば、自分が得てきた知的な何かって、必ず誰かから受け渡されたものですもんね。いきなり言葉を話せる子供がいないように、他者とコミュニケーションしたり、本を読んだりする中で得てきたものだから。それに僕は、人から人へと受け渡されていくものが一番強いんじゃないかっていう確信があるんです。老いて死んでいく運命は誰にも避けられないけど、人間の知恵っていうのは必ず次の世代にパスされていく。そういう意味では、一番大きなメディア、入れ物は人間なんじゃないかって強く思いますね」

赤坂「だからね、親から受け継いだものは自分の子供や孫に受け渡さなきゃいけないっていうことを、当たり前のモラルとして選択する人たちが出てきてほしい。大切なのは、いま生きている人たちだけではなく、これから生まれてくる子供たちのために何ができるのか、何を残せるのかということ。それさえ考えてれば、ハンドリングを間違えることはないと思うんだ。もしかしたら、それが震災後に学んだことの核心かもしれない」

後藤「そのとおりだと思います」

赤坂「それからね、僕はいつも心に留めていることがひとつあるんです。自分がどれだけ被災地に関わろうと、当事者ではない、部外者だということは忘れちゃいけないって。僕は被災してもいないし、被災地で生活してるわけじゃないから。でも、だからこそ僕が言えること、言うべきことがあるだろうって。もし自分に役割があるのだとしたら、どんな形であれ被災地に寄り添いながら、批判を承知で、沈黙せずに発言を続けることかな。部外者であること、当事者でないということを、手放しちゃいけないって思う」

後藤「僕も、一緒に戸惑ったり、逡巡したりするしかないなと思ってます。それから、この新聞もそうですけど、僕が政治的な発言をすると、ときどき若い子たちから反発されることがあるんです。でも、それはしょうがないなって。もしかしたら今の日本が抱えてる問題について、人によっては自分が親になって初めて気づく場合だってあるだろうから」

赤坂「そうだね」

後藤「でも、彼らが遅れてやってきたときに〝ようこそ〟って言える大人でいたいなと思ってます。〝じゃあ、今から一緒に考えようよ〟って言葉をかけられる存在でいたい。震災直後、僕は本当にめそめそしてばっかりだったし、心ない中傷を受けて、そのたびに傷ついたりもしました。でも、あれから5年が経って、ようやく矢面に立てるぐらいのタフさは身に付いたのかなって、そんなことを思ってますね」

赤坂「まあ、現実はろくなことができず、失敗ばかりして、惨めな思いをすることもいっぱいあるけどね、それでも、だからこそ僕は、みんなで苦しみあがきながら、新しい社会のありようを思い描き、小さな希望の種を蒔いてくしかないと思ってる。状況はとっても厳しいけど、その気持ちは信じていたいなって。5年目を迎える被災地を巡って、そんなことを思いましたね」

(2016.9.16)
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赤坂憲雄

赤坂憲雄(あかさか•のりお)

1953年生まれ。学習院大学文学部教授。福島県立博物館館長、遠野文化研究センター所長。主著・編著に『東北学/忘れられた東北』『司馬遼太郎 東北を行く』『会津物語』など。現在の三陸沿岸の復興状況とその問題に関するレポートは『ゴーストタウンに死者は出ない 東北復興の経路依存』(小熊英二との共編著)で読むことができる。本紙5号(「震災を語り継ぐ」2013年7月発行)では、東北の歴史と復興のビジョンについての対談(「東北から50年後の日本を描く」)を行なった。