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覚悟と未来——希望を語らざるを得ない時代、踏み出す一歩。 | 園子温

福島第一原子力発電所事故の数年後、架空の県で再び起きた原発事故に翻弄される人々を、映画『希望の国』(2012年10月公開)で描いた園監督。劇中で3組の男女に託される「愛」と「希望」は、どのように生まれたのか。忘れてはいけない哀しみ、そして表現することへの覚悟。今、映画にできることとは。

構成・文:神吉弘邦/撮影:中川有紀子

節操の無い人らが怖いよね

「後藤さんが編集長をやられている『The Future Times』、読みました。スゴくいいと思った。これは、強い新聞ですね。ガッツリ作ってるからお金もかかるんじゃないですか?」

後藤「自腹でコツコツとためたお金を印刷費に回したりしてますね。全国に『ASIAN KUNG-FU GENERATION』というバンドでツアーに行くんですが、その移動に合わせてギター1本と募金箱を持って、各地でひとりで弾き語りをやってます。すると、宿泊代や交通費が浮くんですよ(笑)。そんな感じでDIYでやってます」

「そういうのいいですね」

後藤「俺、福島の人たちへの気持ちとか、とても3分の曲じゃ唄えないと思ったんですよ。じゃ、新聞を作ろうと思って。ちょうどその頃に音楽史の本を読んでて、中世のミュージシャン、つまり吟遊詩人ですよね、彼らが『もうすぐあっちで戦争が起きそうだ』とか、各地の情報を唄いながら伝える新聞の役目を担ってたというのを読んで、なんだかピンと来て。俺が現代にその役を復活させようって、やり始めたんです」

「動かずにはいれない感覚ですよね」

後藤「こないだは取材で南相馬に行ってきたんですが、震災から1年半以上経ってもなお、週末に側溝の泥かきをされている方がいらっしゃいます。その方はお子さんが行方不明になっているので、捜索も兼ねているんですね。それを見たら、なんとも言えない切なさが残りました」

「僕も被災地で映画を撮るために取材をしていて、結講辛かったのが『大丈夫ですよ』なんて気軽に言えないことだったな。でも、何度か会っているうちに目も慣れてきた自分がいて環境に対応しつつあった様な気がします」

後藤「それは、そこまで関係が深まったんでしょうね。最新号で南相馬の消防団の方にインタビューしたときは、最後にたったひとつ質問できただけで『俺はここに上がり込んできちゃいけないんだけど、ここにいる』みたいな気分になりましたから。人の心に土足で踏み込むような…」

「最初に被災地で撮影した『ヒミズ』(2011年)(※1)のときは、僕らも『娯楽映画の監督が被災地で映画を撮るなんて!』という声に配慮して、いろんな人に迷惑がかからないよう、朝5時から7時くらいのうちに撮影してました。ひとつ言っておきたい話があるんです。スタッフの中に被災した人もいたんですが、彼女に対して報道の人が『君の周りに人が死んだりした面白い人いない? ねぇ、教えてよ』と平気で聞く人たちがいたそうです。彼らだって、上司から『面白いネタないのかッ!』と毎日やられてノルマがあるんでしょうけど。そういう節操の無い人らが怖いよね」

後藤「……ひどいな」

「その反対に、被災地を取材する人が『とても言葉にならない』とか『僕はカメラを回せません』と言って、それで何かを表現したつもりになるのも、実は何も現したことになってないと思う。しっかりした表現が出てくるのを待たなくていいんです、ちょっとずつ前進しないと。一歩がないと、二歩目がないと思うんですよ。だから、その一歩を踏み出した方が僕はいいと思った」

誰もやらないなら自分がやろうと


希望の国 : 全国公開中

後藤「園監督の最新作、『希望の国』(2012年)(※2)を鑑賞しました。ブログの日記にも感想を書いたんですが、すっきりと“良い”と言えないと思ったんですよね。もちろん、映画の意義としては“良い”と書きたかったんですけど、なんというか、感想を書くのに困ったんですよ」

「そうですね。良いとか悪いと言える類の映画じゃないですから。映画で何かできないかな、という気持ちだけでやった作品ですね。原発の事故さえなければ作らなくても良かった映画でした。今まで自分がやってきた映画とは全然違う、いわば、緊急出版の増刊号。何か早く、急いで作って、すぐに発信しなければ、と焦ってました。1年間、ゆっくり台本書こうなんてやってたらテーマから逸れちゃうし、いろんな事態に変化が起こりますから。本来は公開も夏を希望してたのですが色々な事情で最短でこの時期になりました」

後藤「でも、無事に公開できたのは良かったですよね」

「首相官邸の前で毎週金曜日に原発再稼動反対のデモをやってますよね、何人かで最初にデモを始めたひとりが、僕の田舎の友達だったと後から知ったんです」

後藤「そうだったんですか」

「お前がやってるのか!とビックリして。だったら本当はもっと早く、デモと自分の映画がリンクしたかったな。でもまぁ遅くはない、手遅れじゃないと思いつつ作ったんですね」

――監督のそのモチベーションはどこから来るんですか?

「昔、忌野清志郎がTIMERSというバンドを作って『原発いらねー』って唄ったじゃないですか。そのとき、僕は冷ややかな目で『ああ、ロッカーってスゲーなぁ』くらいに眺めてたんですよね。今聴くと、どエラいこと唄ってたんだなと思う。僕の『これからずっと福島の映画を作り続けたい』という気持ちは、それに対する反省からです。今回はもう自分の番だな、と思った。清志郎の唄に励まされたり、あとはジョン・レノンの曲を引っ張り出して聴いたり。ジョン・レノンはシンプルな唄が多いですが生々しいのもあります。そんな音楽を残してもらうことで、後に続く人は励まされますよね。ああいう人がいないと、ひとりだと怖くて赤信号を渡れないじゃないですか。『誰も発信しないの?』と思いながらやったら、キリストになっちゃうから。やっぱり僕ら、キリストほど強くはなれないんで」

後藤「そうですね、はい」

「みんながちょっとずつ、のこのこ歩き出したら『俺も、俺も!』って便乗して頑張れる。歴史の中に頑張った人がいると、なんとなく自分もできるわ、って励ましになるんです。音楽の人もアートの人もやっているのに、日本の映画が誰も原発事故について扱わないなら、自分がやろうと思ったんです。『ヒミズ』と『希望の国』で一歩、二歩ときて、また2013年も次の映画を撮ろうと思ってます。確かにどこか幼い部分があったり、未熟だったり、間違えてる部分もあると思いますけど、進まないと話になんないと思いつつ、やってる感じですね」

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園子温

園子温(その・しおん)

愛知生まれ。映画監督。87年『男の花道』でぴあフィルムフェスティバル(PFF)グランプリ受賞。PFFスカラシップ作品『自転車吐息』はベルリン国際映画祭正式招待。以後、世界の映画祭で高い評価を得る。代表作に『愛のむきだし』(09年)、『冷たい熱帯魚』(11年)など。『恋の罪』(11年)はカンヌ国際映画祭監督週間正式出品。2012年10月『希望の国』公開。12年は「非道に生きる」(朝日出版社)、「希望の国」(リトルモア)などを執筆。最新作『地獄でなぜ悪い』が13年公開。

■注釈

(※1)『ヒミズ』(2011年)

『行け!稲中卓球部』で時代を確立した漫画家・古谷実が、ギャグ路線を完全に封印した超問題コミック『ヒミズ』を、園子温監督が実写化。夢と希望を諦め、深い暗闇を歩く少年と、愛だけを信じる少女の魂の出会い。絶望だらけの世界の果てに彼らが見たものとは――。主人公に、染谷将太と新人の二階堂ふみを抜擢。第68回ヴェネチア国際映画祭で、日本人としては初となるマルチェロ・マストロヤンニ賞(最優秀新人俳優賞)を染谷と二階堂がW受賞。

(※2)『希望の国』(2012年)

園子温監督が、実際に被災地で取材を重ね、見聞きした事実をもとに描かれた本作は、東日本大震災から数年後の架空の土地を舞台に、新たな地震と原発事故に翻ろうされながらも希望を見いだしていく家族の姿を描いた。フィクションでありながら、未曾有の事態に巻き込まれた人々の“情感”を克明に記録し、“生”や“尊厳”を鮮やかに映し出す。第37回トロント国際映画祭最優秀アジア映画賞受賞。