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多様性と未来 | 乙武洋匡

初めて「障害者は弱者かもしれない」と思った

後藤「乙武さん、震災からひと月半後くらいには被災地を訪問していたじゃないですか」

乙武「5月の連休中ですね」

後藤「僕もその頃に初めて行きました。いろんな人が被災地へ入る中、乙武さんは電動の車椅子で出かけましたよね。著書の『希望 僕が被災地で考えたこと』を読ませてもらったんですが、その決意に至るまで、いろいろ考えたんだと分かって。あのときの思い、もう1回伺ってもいいですか?」

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乙武「僕はTwitterや著書を通じて何かを喚起したいという思いはあるけれど、普段通りの生活を送っているとき、自分の障害に対しては、ほとんど無意識なんです。障害者だからこんなことが嫌だとか、何か制限を受けているとは感じないですから。ところが、東日本大震災のような非常事態になると、あまりにもできないことが多かった。たとえば僕、玄関のドアを自分で開けられないんですよ。妻が買い物などで外出して留守番していたとき、あの頃は東京でも震度4とか5クラスの余震とか平気であったでしょう。『もし、家具が倒れてきたり、万が一、このまま建物が崩れたら、俺、逃げ遅れてひとりで死んでいくんだろうな……』と思うわけです。そのときに『あれ。障害者って、もしかして弱者なのかな?』と、たぶん生まれて初めてくらいに思ったんですよね」

後藤「なるほど」

乙武「同じ頃、Twitterを通じて、友人たちが震災直後から被災地で炊き出しをしたり、瓦礫を撤去したりという活動を見ていました。『頑張ってほしい』と思う半面、『悔しいな』という気持ちがありましたね。『俺だって、今すぐ行ってお手伝いしたいけど、そもそも瓦礫の町を電動車椅子で進めるのか。行くことがかえって迷惑になるぞ』と。自分にすごく、しんどさ、もどかしさを感じたんです」

後藤「僕も体が小さいから畳とか運べなそうだし、炊き出しなら役に立てるかな、とかいろいろ考えたんですが、結局、被災地にギター持って行ったんですよ。唄い手は唄うべきだよなと思って。でも、ミュージシャンがこんな大変なときにギターを持ってやって来たら、俺だったら石投げるかもしれないなとか……ものすごいドキドキしました」

乙武「普段のライブ前よりも?」

後藤「ええ。でも、行ったら行ったで認識は変わったんですけど」

乙武「僕にはミュージシャンの友だちもたくさん居るんですが、同じように悩んでたみたいですよ。『歌を歌ってる場合か、ギター弾いてる場合か』って。でも、実際に先陣がどんどん行ってくれて、『食べ物も電気もなかったけれど、音楽が支えになった』という声が聞こえてきたときに、みんなそれぞれに意味があるんだな、と思えたんです。僕はたまたま文章で伝えることが強みだから本をいっぱい出していますけど、自分のやりたいことは、ミュージシャンと同じように何かを伝え、表現することなんだ、と思い出せました」

後藤「僕は結構あつかましくて、3月11日から1週間後の18日には作った曲(「砂の上」)をサイトにアップしました。あのときは被災地に向かう覚悟はなかったんですけど、それでも今感じていること、考えていることは誰かが書いとかなきゃだめでしょう、と思ったんですよ。グワグワに戸惑ってて、まるで様子が分からない原発も怖いし。でも、なんかしなきゃいけないと思うし。それを全部書いておこう、曲にしなきゃダメだって。すごく考えましたね、そのときは。いや、そのとき“から”でもあって、1年くらい『何唄うの、お前?』って自分に問い続けてて、それは今でもそうなんですが。そういう意味で、なんだか当時のことを思い出すと、うまくまとまんなくなりますね、言葉が。すみません」

メッセージに緩急をつけ、本音をズドンと投げる

乙武「全体的に、謙虚さと照れのある人ですよね、後藤さんは。Twitterやブログを読んでも、ちょっと茶化すことで『ゴメンね。俺、こんな真面目なヤツじゃないんだよ』ってエクスキューズを入れるから、この人カワイイなと思ってました」

後藤「深刻になっちゃうのが怖くて。笑いがあったほうがいいと思うんですよ。ちょっと笑えることによって、物事が膠着しないで済むというか。ただ『障がい者』や『子ども』という表記は、平仮名にして柔らかいイメージにしようとしているのだけど、そのやり方にはユーモアを感じない。本当の柔らかさっていうのは、もっと別のところにあるんじゃないのかって。乙武さんのエロツイートとか読んでると、こういうのが必要だって思うんですよ」

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乙武「ウハハハ(笑)。そう言えば、この前、後藤さんが警察官に職務質問されるのを妄想する話がブログにあったじゃないですか(※注:Vo.ゴッチの日記「散歩師の悪夢」)。あれは面白かったな」

後藤「俺、なんも悪いことしてないんですけどね。妄想ばっかしで(笑)」

乙武「その妄想シーンの中で、職業を答えるときに『ミュージシャンとか』と言いましたよね。『とか』の2文字、僕は大きいと思っていて。純粋に音楽をやってるだけなら『ミュージシャン』で終わると思うんですよ。でも、その後ろに『とか』を付けたのは、自分はただ音楽をやれていればいいわけじゃなくて『俺がやりたいのは、メッセージを伝えたり、表現したりすることなんだ』という思い、それが2文字に凝縮されているのでは。僕もよく『乙武さんの肩書きって何ですか』と聞かれるんですけど、面倒くさいから作家としているだけで。後藤さん流に言えば、『作家とか』かな(笑)」

後藤「自分の職業をひとつの単語で言い切る怖さというのが、どうしてもあります。憧れている“ミュージシャン”のイメージもあるし、音楽家って言えるほど音楽のこと分かってないし。音楽が好きだからこそ言えない、というのもあるんですけどね」

乙武「あと、後藤さんは野球も好きじゃないですか。その例でたとえると、たとえばソフトバンクの新垣(渚)とか、速球派で入ってきたピッチャーって期待されていたほどには結果を残せない。昔ね、僕がスポーツライターをやってた時代、近鉄のノリさん(中村紀洋。現横浜DeNAベイスターズ)と(タフィ・)ローズに『いまパ・リーグで一番速いピッチャー誰?』って聞いたんですよ。そうしたら『オリックスの星野(伸之。現オリックス・バファローズ一軍投手コーチ)さん』って同じ答えでした。これはマジだなと」

後藤「出た、星野!」

乙武「速球派が150kmを投げられても、その球しか放れなければそのうち打者の目が慣れて、スコンスコン打たれるんですよ。でも、星野さんみたいに80kmのスローカーブを持っていれば、130kmのストレートもむっちゃ速く感じるじゃないですか。やっぱり緩急は大事だなって感じたんですよね。メッセージを伝えるのにも、同じことが言えると思って。真面目な連ツイをずっとやっていれば、いつしか説教くさいものに思われてしまう。それが、普段はみんなを笑かしといて、あるときストレートを投げ込むから『あ、乙武いいこと言うじゃん?』って思ってもらえるのかなと。ユーモアや笑いを交えてメッセージに緩急をつけ、本音をズドン!っていう」

後藤「めちゃくちゃ速いですけどね、乙武さんの直球。おぉ、スゴいとこきたなってなりますもん」

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乙武洋匡

乙武洋匡(おとたけ・ひろただ)

1976年東京生まれ。大学在学中に出版された『五体不満足』がベストセラーに。卒業後はスポーツライターとして活動。2007年から3年間、杉並区立杉並第四小学校教諭。著書に『オトことば。』、小説『だいじょうぶ3組』や続編『ありがとう3組』など多数。自身をモデルにした赤尾を自ら演じた映画『だいじょうぶ3組』が、3月23日(土)より全国にて公開される。また、今年3月から東京都教育委員に就任。自己肯定感をテーマにした最新刊『自分を愛する力』(講談社現代新書)が好評発売中。