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愛と未来 | 松田美由紀

2011年6月9日に発足した『ロックの会』。発起人である松田美由紀さんは、媒介役となって人と人を繋ぐ。松田さんの周りには、職業も世代も超えて人々が集まってくる。彼女が人を惹き付ける理由を見つけるべく、編集長・後藤が話を聞いた。

取材・文:水野光博/撮影:外山亮介

ただただ子供を守りたい。未来の子供を守りたいという想い。

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後藤「お久しぶりです。今日は、未来についてのお話ができればと思っています。よろしくお願いします」

松田「よろしくお願いします。未来ってことを考えるとき、私はまず、女優という目線より、母としての目線が強くて。3.11以降は、特に。私は、福島原発事故まで原発について知識がなかったので、それから勉強して、いろいろわかってきて。知ってしまったものに関しては、社会を変えていくため、発言していかないとって思ったんですよね。東日本大震災、福島原発事故が起こってしまい、今、私たちが変えなければ、いつ変えるときがあるって思うんです」

後藤「なるほど」

松田「原発事故で、本当に大きな負のエネルギーが動いたけれど、逆方向のエネルギーも動いたと思う。今、生きてる私たちが任されてることがあるんだなって」

後藤「そうですね」

松田「私、年齢的にも世の中のためになることをしていかなくてはって思っているので、私利私欲で自分の生計を立ててるだけでは、いけないんだって。でも、本来は年齢の問題ではなくて、若くても、問題意識を持たなくちゃいけない。だから、みんなの意識を変えられるのなら、言うべきことは言おうと思っています。誰かが声を上げないと。日本人の特性なのかも知れないけれど、大きいものになびく傾向があるでしょう?」

後藤「肩書きや役職に弱いですよね」

松田「弱い・・・」

後藤「僕も思いますね。それが不思議でならないなと思って」

松田「私は相手が、どんな立場の人でも、態度は変わりません。その人が偉かろうが、私には関係ないので(笑)」

後藤「ハハハハハ。その考え、面白いですね」

松田「もちろん尊敬する人は別。この人、すごいな、立派なことしてきたなって人は、有名、無名関係なく立派だと思う。肩書きだけを、ただ鵜呑みにして立派だなとは全然思わないですね」

後藤「本来、そうあるべきですよね」

松田「誰だって、言いたいことがあれば言うべきだとも思う」

後藤「人前に出て何かを言うことって大変ですよね。本当はやりたくないですよ。そのほうが楽ですから」

松田「今、思っていることは、ただただ子供を守りたい。未来の子供を守りたいってこと。たった50年前に人間が決めたことが、何万年先まで被害を出す。人類の歴史を見てって思うんです。ものすごい長きに渡る歴史があって。それなのに、たった50年の歴史が、何万年も先の未来に、悪い影響を及ぼすなんて。“みんなわかってる?  大変なことだよ”って」

後藤「歴史の話を出すとわかりやすいですよね。10万年前、縄文時代よりも前。人間がほとんど猿に近かったときに捨てたゴミ、放射性廃棄物を、現代人が片付けなきゃいけないと考えれば…。そんなことがあったら、今の人たちは怒ると思う」

私が、ひとつ見出したのは、人を繋げるってこと。

松田「もちろん、私は脱原発って発言に至るまで、いろんな角度から考えました。何が正しいのか。私たち素人は、実際に研究してビーカーを振ってるわけじゃない。研究の機械を発明したわけでもない。ほとんどが、人から聞いた話や人が発信した情報が判断の基準になっている。だからこそ、学んで、聞いて、いろんな情報から、何が正しいかよく考えて判断しなければいけない。だからもっと、みんなで考えたいって思ったの」

後藤「それが松田さんたちの開かれている『ロックの会』(※1)に繋がるんですか」

松田「そう。勇気を出して一歩踏み出したというか。もうお金の問題とかではないので」

後藤「意味や意義ってことですよね」

松田「私は、若いときに夫を亡くしたので、20代で3人子供を抱えて、苦労した時期もあるの。そのときに、自分がどういう風に立ち直ったかというと、人との繋がりだった。とにかく、どうしたらいいか人に相談して。人の心を辿りながら這い上がった部分が大きかった」

後藤「そうだったんですね」

松田「そこで知ったのね。いろんな問題があったときに、人ひとりの力なんてたかがしれてるって。3.11が起こり、多くの人が思ったと思う。“自分に何ができるだろう? 自分ひとりの力なんて”って。私が、ひとつ見出したのは、やっぱり、人を繋げるっていうこと。友達は財産だと思っていて。それをまた誰かに渡すのが、すごく得意なんです。結果、人が繋がってくれて、その人や、社会や世界が、よくなってくれれば良いなって思ってます。私もそうされてきたので。だから震災後、紹介の場を設けたら、すごくたくさんの方が集まってくれて」

後藤「すごいですね」

松田「私、いろんな人が、未来や原発について話してる姿を見て、すごくうれしかったんです。なぜかわからないけど、“みんなで考えてる”っていう場が。みんなで考えれば、何か変わるんじゃないか、形になるんじゃないのかって思ったのね。あと、NPOを立ち上げてる人たちもたくさんいたけれど、その人たちは、意外と他の団体とコミュニケーションを取っていないってことがわかって。だったら、私が彼らを繋げることができたら意味があるなって思って。

最初に、みんなが集まった日、それが2011年6月9日だったから、『ロック(69)の会』って名付けたんですよね。映画『friends after 3.11』もそこがきっかけです」

後藤「岩井さんの映画ですね。僕も『ロックの会』に、一度だけですけど参加させてもらいました。そのときは、経済産業省の再生可能エネルギー関連の方が来ていて、話を聞かせていただいたり」

松田「毎回、いろいろな知識を持った人が参加しているので、本当に勉強になりますね」

後藤「そういった人って、どうやってオファーしているんですか?」

松田「単純に人が人を連れてくる(笑)」

後藤「へえー!」

松田「そうやって、後藤くんとも繋がったわけだしね。本当によかったなと思ってます」

後藤「たしかに『ロックの会』がなかったら出会ってない可能性ありますよね。震災があって『ロックの会』を作り、その後、何か感じたことってありますか?」

松田「好きなタイプの人とたくさん出会ったってことかな。人の目を真っ直ぐ見る、おどおどしてない、勘ぐらない人たち。そういう人たちとたくさん出会うことができて。人生においても幸せな出会いでした。環境問題について考えたり、話し合ったりするときって、お互いのプライベートも、仕事のことも一切関係ない。ひとりの人間として話し合う。そうすると、目線がすごく上を向いてくるんですよね」

後藤「志向が高いってことですよね」

松田「人間本来の姿って、これだなって思ったの。その人が持っている悲しみに寄り添ったり、もし力になれることがあったら、力になるよって気持ちが人と人の係わり合いなんだなって。3.11以降出会った人たちに、そんなことをすごく感じましたね。前に、昔からの友人が“美由紀さんがやってること尊敬してる”、“僕が力になれることないかな”って言ってくれたの。その想いがとても嬉しくて・・・」

後藤「素敵なことだと思います」

松田「それに、会を主催してクリエイティブ魂が昔よりこう、ぐっと強くなったのかもしれない。頭の中にストレスがなくなったから(笑)」

後藤「僕も似たようなこと感じますね。『THE FUTURE TIMES』を作るようになって、なんて言ったら良いだろう……。自分がやってることに誇りを持ってる。奢り昂りではなくて、卑下しないという意味でのプライドというか。もちろん、被災地に行ってインタビューしたりするときはドキドキします。東京くんだりから来て、ずけずけ入っていろいろ聞いてることに対する申し訳なさがあります。悩むこともあります。だけど、一方で、新聞を作ったりすることを、恥ずかしい行為だと思ってないんですね。周りをキョロキョロ見回してびくびくしないっていうか」

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渡辺俊美

松田美由紀(まつだ・みゆき)

東京生まれ。モデル活動を経て、1979年映画『金田一耕助の冒険』(大林宣彦監督)でスクリーンデビュー。演技の幅広い個性派女優であるとともに、『松田優作全集』(扶桑社)、『松田優作全集改訂版』(幻冬舎)ではアートディレクションを務めるほか、フリーペーパーの制作やフォトグラフなど、制作活動も意欲的に行なう。08年、写真家として初の写真集「私の好きな孤独−片山瞳」をリトルモアより刊行。12年、「GENROQ」の連載をまとめた写真集『ボクノクルマ』が発売。待機作として映画『女たちの都~ワッゲンオッゲン~』(13年秋に全国公開予定)が控えている。

(※1)『ロックの会』

3.11以降に集まった松田美由紀、岩上安身、小林武史、岩井俊二、マエキタミヤコを発起人とし、日本そして世界を地球を未来に繋げていくためのみんなで環境問題を考える会。