HOME < ゼロセンター Part.1

ゼロセンター

■4/11(水) Part.2公開しました!!→記事はこちら

東京から熊本に移住した建築家・アーティストの坂口恭平さんは、今年5月、原発事故の影響を避けて疎開する人々の一時避難施設『ゼロセンター』を設立。8月には東日本の子供達を招いて体を休息させる数日間のサマーキャンプも開催した。

取材/文:神吉弘邦 撮影:伊藤菜衣子

世界はいつのまにか変わっている。

img001

—この『ゼロセンター』はかなり年季が入っていますが、立派な木造家屋ですね。

坂口「築80年ほどらしく、大家さんはこの地域の高校の元校長先生です。あまり手を入れずに少しずつ直しながら使っています。家賃は3万円。住む人がいないから“いつまでも借りていいよ”と。さらに半額でいいと言ってくれたけど、さすがに悪くて。そういう意味では、東京と比べて街に隙間があるんですね。『ゼロセンター』は僕の仕事場でもあり、みんなに開放している場所。だから“プライベートパブリック”な、個人が作る公共の空間と呼んでいます。半分は公園だから、アポなしで人が遊びに来ちゃう。こっちは仕事してんのに……とたまにケンカもするんだけど(笑)」

—5月の開設から、『ゼロセンター』にはどんな人が訪れたのでしょう。

坂口「面白い人達でしたよ、技術を持っている人もたくさんいて。“私はマッサージができるから、同じように避難してきた人達の体をケアできる”とかね。この家に今は誰も避難していませんが、ここから出た後、熊本で家を買ったり、アパートを借りたり、雇用促進住宅に入ったりして移住した人達もいます。サマーキャンプはよく集まったよね、ここに五十数人も。父親が引率していた場合もあるし。僕がちゃんと名の知れた人だったら、もうちょっと気持ちいいところを用意できたし、効率的にやれたかもしれないな。あのときは雑魚寝状態だったから。住所も携帯電話の番号も公開したから、電話がどんどんかかってきて正直しんどかったけど、この状況に慣れるしかないと覚悟した。行動を起こさないで、普通にこのまま何事も起きなかったようにはできないもの」

—ある程度、未来の予定は立てていますか。

坂口「1年後に人の体がどうなっているのかが、もう分からない。でも、子供達は気づいています。サマーキャンプの終わりに“帰りたくない”って泣いてね。“こっちにいた方が気持ちいい。地元にいると今までなんだかおかしかった”って。それでも家には帰りたいんですよ。でも、彼らに“家族”や“人生”のかたちなんて、変えられっこない。だから“一度その土地を出てまた戻るのだから、自分が感じたものを大人に伝えてみたら?”と言いました。それでひと組は疎開したらしいです。今後、チェルノブイリのときのように毎年続けるべきか、そのあたりを考えないといけないですね」

—長期的な活動になるかもしれません。

坂口「地元には“こういう土地があるから、食料を作るための畑にしたら?”と言ってくれる人もいました。だから僕は今、阿蘇と大牟田の2カ所に畑を持っています。すると、菜種油で機械を動かす研究をしている人にも出会って、じゃあ畑で菜種を育てれば、もしかして燃料が自給できるんじゃないか? となる。そうやってどんどん自前でやれればいいんです。僕らは普段、何にコントロールされているのかもっと自覚しないといけません。電気もそうだけど、住宅でもそう。3万円で作れる家だってあるのに、家なんか安く作れないと思い込まされている。農地がちょっとでもあれば、その横に住める工作物を作ることなんて全然できるわけだし」

—著書の『TOKYO 0円HOUSE 0円生活』(2008年)や『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』(2010年)では、既存の〝家〟に頼らない都市の生活を紹介していました。

坂口「ええ。でも僕は“家が必要ない”と言っていたのではなく、路上生活を送るおじさん達のダンボールハウスが、なぜ小さくて安いもので済んでいるかという話をしてきました。なぜかというと、彼らが街自体を“家”の一部として利用していたから。密着取材させてもらった“隅田川のエジソン”こと、鈴木さんの家は一間くらい。彼にとっては、図書館が書庫で、公園のトイレがプライベートなトイレ。お店から捨てられるものを少しずつ狩猟して、ガソリンスタンドから電源をもらって利用する。やっているのは、家が要らない生活じゃなくて、ここもあそこも私の家であるという、かなり進んだ発想なのではないかと。その考えに触れると、自分の“所有”への考え方が揺らぐんです」

—ゼロセンターの庭にある『モバイルハウス』も、東京から運んで来たものでしたね。吉祥寺で駐車場1台分を借りて、そこにずっと置いたという。

img002

駐車場に置いていた『モバイルハウス』の室内

坂口「住まい=家じゃないんですよ。住まいとは何かって、実は法律でも規定されてませんからね。駐車場にこのモバイルハウスを置くときも“ここに住まないですよね?”と大家さんに尋ねられる。でも、そこで仮眠だって取るわけですよ、朝まで。住まうとか、住み続けるというわけじゃないから固定資産税もかかってこない。住むって一体どういうことなのか、本気で考えていきたいです。そこから“家とは何か”“土地とは何か”と考えてシフトチェンジしていかないと。今回の避難の計画など、そういう“手前”のこともやっていきますが、もっと根源的なものをさぐったほうが面白い。中途半端に方向性を変えたりしても仕方なくて、震災が起こる前からみんなが悩んでいたことこそ、解決しなきゃダメだと思う。自分がおかしいと思うものを、今こそちゃんと正してみる。そうすると、それが有効に機能するんじゃないか、と」

—具体的にはどんなことですか。

坂口「働くという行為を、もう少し変化させたい。“稼ぐ”ということだけじゃない世界を作るのが重要です。お金でなんでも買うこと、労働という仕組みを解体したい。家賃や食費、光熱費のために仕方なく働くのではなく、自分の頭と身体だけを使い、すべてを自分で決定するのが本来の仕事。そうすると“才能のない人はどうするんだ”って言われるんですが、僕、才能のない人に会ったことないですよ。たとえば“あんたがいると飲み会が盛り上がるから来てよ”と言われる才能って、ちょっと変わったらプロデューサーの能力だったりするわけでしょ。お金を稼がなくてもよくなったら一番いい、そんな妄想が広がっているんです。こんな夢を描きつつ、かといっていきなり実践しても無謀だから、僕はここで考える時間を作りたい。具体的に問題を解決しようとするなら、もっと複数の人が協力してやっていくことが必要です。たとえば、後藤さんが音楽をやっていたら、僕は建築だし、お互いにアイデアを出し合える。今は僕の中で、なんでも試してやろうという気持ちが大きく育っています」

img003

少しずつ手を入れている『ゼロセンター』。仕事部屋や書棚、そして台所といったすべてがプライベートパブリックな空間だ


Part.2へ

(2012.2.15)
cover
兼松佳宏

坂口恭平(さかぐち・きょうへい)

1978年熊本生まれ。建築家、作家、アーティスト。早稲田大学理工学部建築学科卒業後、日本の路上生活者の住居を収めた写真集『0円ハウス』を刊行。06年にカナダのバンクーバー美術館にて初個展。07年にはケニアのナイロビで世界会議フォーラムに参加。著書に『TOKYO 0円HOUSE 0円生活』『隅田川のエジソン』『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』ほか。東日本大震災後に熊本市へ移住。自ら「新政府初代内閣総理大臣」を名乗り、同市内坪井町に「ゼロセンター」を5月に設立した。